日本の精神 2~“連”って何? |
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2009年05月27日
日本の精神 3~江戸の「講」
画像はコチラのサイトからの引用です。
江戸時代、町民たちが生きていくためのさまざまな方法について、講師を呼んで学び合ったり、相互扶助活動を行ったりする場をみんなでつくっていたそうです。それが「講」であり、大人も子どもも混じって、手取り、足取り、口移しで、ものの考え方、言葉遣い、振る舞いをみんなで学んでいたようです。「江戸しぐさ」もこの「講」によって伝えられていったとされています。
今日はこの江戸の「講」について紹介してみたいと思います。
いつも応援ありがとうございます!
「講」について、コチラに詳しく紹介されていましたので、転載します。
自治都市として、町民たちが寄り合い、何が問題か、どうすれば良いかを議論する場が「講」であった。今で言う町内会のようなものだろう。また、この場で、手とり、足取り、口移しで江戸しぐさを教えた。「講」は江戸を支える話し合いの場であり、教育の場であった。
講ではメンバーが円をなして座る。これが「講座」である。その際に尻に敷くのが「座布団」。そこで「講師」が「講義」をする。そのための建物が「講堂」であった。
講は原則として、月に2回開かれた。その日は商売はお休みである。準備は明け六つ(午前6時)から、茶碗を熱湯で四半刻(約30分)ほど、煮沸消毒する事から始まる。風邪などが流行らないようにするための用心である。子ども達は、そこで茶碗の洗い方、畳の掃き方、廊下の雑巾がけなどを、見よう見まねで習い覚える。
講では、武士の悪口であろうと、役人の批判であろうと、何でも自由に言えた。それが江戸っ子の批判精神を育てた。
また、男は先に着いても、玄関で履き物を脱ぐときに、1、2列分開けた。後からくる女性のためである。男は足を広げて跨げるが、女性はそれができないからだ。江戸時代の初期は男の出稼ぎが多く、女性が少なかったので、大切にされた。
講は、人と人とが手を取り合って、住み良い暮らしを考えるおおもとです。講がしっかりしていれば、人間は安心して住むことができます。
また、講はおつき合いの場です。人間がおつき合いしている世の中を「世間」といいます。だから、講は世間ということができるでしょう。
皆さんもこの寺子屋で、人と人とがしっかりと手を取り合ったおつき合いができる人間となるよう勉強してください。そして、日本一のお江戸で、人の心がわかる商人を目指してください。
講や寺子屋、広くは江戸全体で目指していたのは、金儲けや立身出世ではなく、「人の心がわかる」人間であり、そのような人々が「しっかりと手を取り合ったおつき合い」をしている「世間」だった。そうした社会なればこそ、「花のお江戸」というほどに経済も繁盛したのだろう。江戸しぐさは、繁盛しぐさとして、全国の商人に広がっていった。
「講」という場は、よくできているなと感心しました。お茶を沸かすことだけ見ても、みんなの健康が目的となった作法がなされ、それを子どもたちが見よう見まねで覚えていく。また、しがらみも排して本音で語り合えるなど、みんなの意識が町をつくっているといった状況だったのではないでしょうか。
ポイントは、主体が町人「みんな」であり決して「個人」ではないこと。そして大人も子どもも全員参加して、みんなが当事者になっていることだと思います。商人といえばついつい金儲けに走るイメージを持ってしまいますが、江戸においてはこのような場があったことで、みんなで生きていくことが課題になっていたのだろうと思います。
投稿者 hiroaki : 2009年05月27日 TweetList
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コメント
投稿者 だいち
なるほど!昔はそうやって自分達の生活する環境をよりよくしようと、みんなで話し合ったわけですね。
そしてそれがおのずと教育システムとなっていったと。
昔の人は、すごく社会のことみんなのことを考えて日々暮らしていたのだなと、改めて感じました。