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2009年05月14日

【性教育って・・・?!】その3~性教育の歴史②~

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性教育シリーズの第3回目です。

前回の日本の性教育の歴史に引き続き、今回は海外の歴史に目を向けてみたいと思います。

性教育というと、性行為についての教育という風に思いがちですが、今回取り上げるのはちょっと違っています。

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今回取り上げる海外の例は、ネイティブアメリカン(インディアン)の例です。

ネイティブインディアンの性の捉え方(特に女性についての捉え方)について、
るいネットから投稿を引用してみましょう。
 

 「先住民族女性と白人の女性開放論者のちがいは、 
  白人フェミニストたちは権利を主張し、
  先住民女性は負うべき役割について主張しているところだ。
  このふたつは大きく異なる。
  わたしたちの役割とはこの世界にあるわたしたちの土地を守ることだ。」

上の言葉は、ネイティブアメリカン(インディアン)のある女性が、彼らの生活を
追ったレポートの中で語った言葉です。
この言葉には、先の投稿で三ケ本氏が書かれていた、アイヌの女性の言葉と
同じ心を感じます。

両者(ネイティブアメリカンとアイヌ)に共通しているのは、男女の分業・役割分
担を「ジェンダーの優劣」とは、考えもせず、自らの女性としての役割と責任を
心得、また、それを何よりも重要視している点でしょう。「女性の務め」「負うべ
き責任」という毅然とした言葉に、その心がよく表れていると思います。

ところが、この「女性の役割・負うべき責任」という彼女らの精神は、欧米人的
価値観から見れば、「女性の権利の侵害」はたまた「女性の奴隷化」と捉えら
れるのですからその価値観の違いには、圧倒的な壁が存在します。

「権利の主張」と「役割の主張」
この相違をもたらしている背景には、どのような理由があるのでしょうか。

地理的違いなどの物理的要因、民族の違いによる精神的違いなどももちろん
あるでしょうが、その背景には、私権社会における性市場の存在と、それがも
たらした女性尊重精神の欠如があるのではないかと私は考えています。 

 ネイティブ・アメリカンには数々の女性賛美の言葉が存在します。
「この星は、われわれがずっと生活してきた家である。女性はその骨で大地を
支えてきた。」

「女性を愛し、大地は女性なのだと教えられ育ってきた男たちは、大地と女性
を同じものだと考えている。それこそ本当の男なのだ。生命を産むのは女性で
ある。女性が昔から感じとっていた眼にみえない大きな力との関係を男たちが
理解し始めるなら、世の中はよりよい方向に変化し始めるだろう。」

「女は永遠の存在である。男は女から生まれ、そして女へと帰っていく。」

「女性が死にたえるまで、部族が征服されることはない。」

これらは、そのような「女性賛美」の言葉の一部であり、性市場のように「女の
性的価値」に左右されることなく、全ての女性に贈られた言葉です。
ネイティブ・アメリカンの男達は、男よりも女を敬い女が民族の支えであることを
理解しているのです。 

このように、ネイティブアメリカンにおける性教育とは、男女それぞれが果たすべき
役割や規範を教えることなのです。

日本の性教育においてごっそり抜け落ちているのは、このような男女の本来の役割
や規範について教えること
 ではないでしょうか?

投稿者 shushu : 2009年05月14日 List   

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コメント

今の性教育は、社会的な´性の乱れ’を受けて、子ども達が間違った方向へ行ってはいけない。だから、正しい知識が必要!ということで、知識偏重に傾斜しているように思います。

このインディアンの例を見ると、(女)性はは素晴らしいもの、大地と共に大切にしなければならないもの・・・と充足規範で充たされているようですね。

性を勉強するにも、その先に(快楽だけでない)充足イメージがあり、その実現のための勉強でなければならないと思いました。

投稿者 kamui : 2009年5月22日 11:58

kamuiさん、コメントありがとうございます。

>性を勉強するにも、その先に(快楽だけでない)充足イメージがあり、その実現のための勉強でなければならないと思いました。

今回の最大の気付きはまさにそれなんです。最近は特に性に対してプラスのイメージを持てない人が多くなっているように思っていて、これでは、人類はこの先危ないなって思うのです。かつてそうであったように、「性は充足できるもの」という認識を復活してもらいたい。そのためには、それぞれの性の役割りについて改めて認識することなのかなと。そのための性教育が必要なんだと思いました。

投稿者 shushu : 2009年5月23日 19:35

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