『これからの教育って、どうなん? 』-7 『街場の教育論』から見えてくるこれからの可能性とは・・・ |
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2009年05月10日
【性教育って・・・?!】その1~性教育ってなに?!~
家庭ブログの新シリーズ、ずばり【性教育って・・・?!】です!
画像はこのページ/から借りました!
「性教育」ってどういう印象をお持ちですか?
私の場合、学校の保健体育の時間に、数時間程度教えられた記憶があるが、その内容はほとんど覚えていません。
基本的にはなんか厄介なものというイメージがあります。子供にこの類の質問をされると、どう応えればいいのか正直と惑ってしまいます。要するに何を伝えればいいのかと・・・・。
出来ればこのまま見てみぬフリを続けて行きたいこの「性教育」に今回あえて踏み込んで追及していきたいと考えています!
それはなぜでしょう?!実はこの性教育から派生して、現代社会では諸問題が、様々な形で現れはじめているのです!
こりゃ如何に?!ということで、応援クリック後続きを読んでみてください!
さて性教育ですが、ここで手始めにるいネットより(リンク)あるニュース記事を引用します。
>石川県のローカルニュースから!
>◆「不適切な表現ある」と指摘受けて◆
> 県内の公立中、高校の教員が性教育の指導の際に利用している「性教育の手引」について、「不適切な表現がある」との指摘が寄せられ、作成した県教委が該当部分を訂正した文書を各校に送っていたことがわかった。手引は今春、10年ぶりに改訂されたばかりだった。
> 県教委によると、問題となったのは、江戸時代の結婚の慣習に関する解説の一部で、「当時の日本人の8割以上を占める農民層では14~15歳になるとセックスも含めてつきあいを始めるのが普通で、いろんな人とつきあってからだんだん相手を決めていった」と記述されていた。
> 解説を読んだ一部の関係者から「『セックスも含めてつきあい始めるのが普通』という表現は問題」との声が上がり、県教委が再検討。最終的に「誤った印象を与える可能性もある」として、「日本人の8割以上を占める」を「日本人の多数を占める」に、「セックスも含めて~」以降を「一社会人として恋愛し結婚する人が多かった」に、それぞれ置き換えることにした。
注:これは真っ赤なうそで、江戸時代には恋愛なんて言葉さえなかったし、農村では「恋愛」のような独占欲的なものも小さかった。
この事例。実は性教育がもっている、ある1つの根本問題を孕んでいます。それは「最終的には価値論争に陥ってしまう」という問題です!
確かに性教育やひいては男女問題の話は往々にして「価値論争」に陥ってしまい、議論が平行線となりがちです。一体なぜでしょうか?
それはおそらく「そもそも性教育とは一体何で、何のために必要なのか」という根幹部分がグラグラであるがために、何を基準に議論すべきかがはっきりせず、結局は価値論争に終始してしまうということなのだと思います。
そしてその歪められた性教育を受けた子供たち(もはや成人していますが)セックスレスや少子化、行過ぎた男女同権、また性犯罪といった問題に発展しているのです!
そこで本シリーズでは、るいブログならではの事実に立脚した視点で、この性教育とは一体何で、何のために必要なのかを追求していきたいと思います!!
乞うご期待!!
投稿者 daichi : 2009年05月10日 TweetList
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コメント
投稿者 匿名
私自身、学生時代の性教育などほとんど何も記憶に残っていません。
たまに、ニュースで、性器のついた人形を使って性教育をやっていたということで問題になっていたりしますが、まずは、現状は、どのような教育をしているのか?実態を知りたいところです。
投稿者 HOP100
民主党の支持母体の一つである日教組は、自虐的で過激な歴史教育及び過激な性教育を行っていることは良く知られており、批判の対象となっている。
小学生に次のように教えているのは、単なる一例にすぎない。
「お父さんのペニスがお母さんのヴァギナに入って、そこに快楽があって、それで君達ができる。」
鎌倉市では平成八年に次のようなことがあったと報じられている。小学一年生の女の子が家に帰ってくるなり、「お母さん、セックスしちゃいや、お父さん嫌い。」と泣き出したという。
日教組の過激な性教育は、中学生の中絶が増えていること、及び日教組教師の性犯罪が多いのと無関係ではないと思われる。
日教組の組合員の組合費は、民主党に対する政治献金として使われている。
投稿者 日教組の過激な性教育
私の時代では学校では教えられませんで、まずは百科事典で次は雑誌と悪い友達からという順でした。今考えるとろくなものではありませんでした。ところで、江戸の昔は村で教えられたいたのですね・・・・・15才で大人扱いされていましたから。学校で教えるようになったのは、何故なんでしょうね。