【性教育って・・・?!】その1~性教育ってなに?!~ |
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2009年05月11日
【性教育って・・・?!】その2~性教育の歴史①~
さてさて、性教育シリーズ第2弾です。
いきなしですが、みなさんは「性の教育」という習慣はいつから存在していたのかと気になりませんか?
今日では当り前に保健の授業の一環として行われていますが、学校制度が始まる以前、さらには遥か昔にはどのように行われていたのでしょうか。
んぅ・・ 気になる。
とぃうことで、まず手始めに、性教育の歴史をちょっと遡ってみようと思います。
今回は日本国内の歴史、次回は海外の歴史と2回に分けてお送りしまーす@
その前に ポチッ と応援よろしくです
非常に興味深く、「性教育」というものを考えさせられる文章があったので引用します。
●夜這い「オコモリ」1
まず前提として、ムラの男子は年齢毎に、子供組→若衆仲間→中老、という階層組織に属します。
若衆仲間には、だいたい13から15歳くらいに入り、25歳くらいに脱退するのが通常だそうです。ムラにおける若衆の役割はひとことでいえば、軍事、つまり山野や川の防衛と他のムラとのけんかです。(その他にもムラの行事や生産活動もおこないますが)つまり、若衆はムラを守るという重要な役目をもつ、一人前の男として認められる存在であり、同時にその責を負うのです。そうした若衆を性的にも一人前にしてやる行事、それが「オコモリ」です。他のことは男の年長者から教わるとしても、性(セックス)について一人前になるためには、どうしても女性の協力が必要になるわけです。
ちょっと俗ないいかたをすれば、「筆おろし」の儀式ですね。●夜這い「オコモリ」2
さて、「オコモリ」ですが、地域によってやりかたはあるものの平均的なところでいえば、後家さんがその役割を担うことが多かったようです(数が足りない場合は主婦が充てられる)。それも40歳前後の性的に習熟した者が選ばれ、その年に若衆入りする青年とくじ引きで相手を決めたそうです。その当日は、山中の仏堂などに皆でこもり、まず本尊の前で女たちが般若心経を唱え、それを若衆たちに教える。そして、夜半過ぎになって、一組ずつ布団に入る、という具合だったそうです。そして、雑談まじりに、手取り足取りひととおりの性行為を教えてもらう。
その第1工程が終わると、今度はまた皆で般若心経や御詠歌をあげ、茶を飲みながら雑談(猥談)するのだそうです。そこで、女のほうから、夜這いの作法、女の口説き方、結婚までの心得、女体の特色、大人の性生活、出産のことなどを教えてやるそうです。
そしてまた第2工程に入り、・・・翌早朝に布団をあげて解散、というのが大筋です。この儀式は、ムラの公式な行事であるわけですが、具体的な相手のことを他言することはタブーであったようです。
以上は、赤松啓介の「村落共同体と性的規範」を参考にしています。
明治から戦前期に各地(主に関西地方)で見られた風習の伝聞です。●夜這い「オコモリ」3
前回紹介した内容が「オコモリ」の概略になりますが、注目すべき点がいくつかあると思います。一点目は、1対1で教えるのではなく、「女たち」が「若者たち」を指導する、という形をとっていること。つまり私事ではなく、ムラの公式行事=公事であったことです。性は個人的な事柄でも秘め事でもなんでもないんですね。(実は平安時代の貴族社会にも「ソイブシ」と呼ばれる年上女性による性のてほどきの風習があったのですが、こちらは私事で、「オコモリ」とは全く違うを考えたほうがよい)
また単なるセックスのてほどきではなく、女たちが若衆に話して聞かせた内容などから察するに、立派な「性教育」といえる非常に内容の濃いものであったといえます。
●夜這い「オコモリ」4
二点目は、女たち(後家)にとってもこの行事は、とても重要であっただろう、ということです。ムラの最前線の課題をこれから担っていく若者を性的に一人前にしてやることは、彼女らにとって楽しみでもあっただろうが、それ以上に責任ある役割であり、誇りをもってこの任務にあたったと想像されます。最後に何故後家なのか、ということですが、おそらくこの時代は少なくとも表向きは一夫一婦制であったからだろうと思います。主婦の場合、日常的に性の役割(旦那の相手)がありますが、後家の性生活は宙に浮いてしまいます。それ故に「後家」と「娘」はムラの男の共有とみなし、夜這いの対象とすることもありますが、年をとってくるとなかなか出番がなくなってくるのが実情ではなかったかと思います。
つまり、性的には最も熟練しているものの、次第に性の出番の少なくなってきた年増の後家さんにとっては、「オコモリ」は年に一度の晴れの舞台であったと言えます。
それぞれの能力に見合った役割が与えられ、それをまっとうすることで皆が充足できる集団、それが村落共同体の姿であり、「オコモリ」はその一端を示していると言えるのではないかと思います。
そうなんです、実は日本の性教育を遡ってみると、その質が大きく異なることや、実態はかなり大らかであったということに気づかされます。
夜這いにオコモリなど、今の世の中でやろうもんなら間違いなく逮捕級のことが当り前に隠されることもなく行われていたのでした。
すごすぎます・・
さらには、現在ではなにかと隠しがちな「性」を、こんなにもおおっぴらに、村をあげて教育していたんですね。
昔と今ではいったい何が変化したのだろう。非常に気になります。
では次回は海外の「性教育の歴史」を追ってみたいと思います。
投稿者 takatiee : 2009年05月11日 TweetList
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