これからの住まい方? |
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2009年05月01日
ルームシェアが増えている!!
画像は、 ここ からお借りしました。
ルームシェアリングという住まい方は、
コレクティブハウスを知った時もそうだったのだが、
「こんな住み方があったのか!」と驚きとともに、ふと、学生時代を振り返ると・・・
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ルームシェアリングは、コレクティブハウスよりも以前から聞いていたことがあったが、
振り返ると(まあ、もう二十年以上も前になるが)、学生の頃は、十数人住むアパート(下宿)に住んでいて、共用のリビングはなかったが、共同の炊事場があって同じアパートに住んでいる友人と食事を作ったりしていた。また、友人の何人かは一軒屋を借り、3~4人で住んでいたので、よく転がり込んでいた。
当時の(地方の大学の)学生にとっては、ごく普通の住まい方だった。
また、大学の周辺と言うこともあり、大家さんは、賃貸業を営むと言うより空き家や空き部屋を“もったいない”ので安くで学生さんに提供していたと いう感じであった。
さすがに、今言われるような異性間でルームシェアをしている友人はいなかったように思う。
こういった特殊事情を除くと、一般的には、賃貸業を営む大家さんにとっては、“ルームシェア”という形態は、同居人同士のトラブルなどからの家賃の滞納の恐れも有り嫌がられていた。しかし、昨今の不況と需要により軟化しているようである。
都市再生機構(UR)は、2004年から大都市など約300団地を対象に、親族以外の単身者同士による入居契約を制度化した。
また、具体的な数字でみると、その増加傾向が良くわかる。
日本で最もアクセスが多いというサイト「ルームシェアジャパン」は、開設当初の2004年に比べ、現在は20倍もの月間100万ページビューに増えた。また、交流を重視するシェア形態のゲストハウスは、民間のサイト「ゲストハウス白書」によると、そのベッド数が05年に比べ2.4倍にも達している。
ルームシェアへの意識はどうだろうか?
All About
以前、このサイトで「ルームシェアってしてみたい?」とアンケートしたところ、
・仲の良い友人とならしてみたい・・・22%
・彼氏・彼女との同棲ならOK・・・47%
・外国人としてみたい・・・14%
・まったく知らない人としてみたい・・・16%となりました。やはり日本ではルームシェアの慣習がない分、まったく知らない人としてみたい人は少数派のよう。
交際相手でもない異性と住むという実態は、ここ最近の傾向で、10数年前ではアリエナイ現象の一つと言えよう。
関連するサイトを覗いて見ると、
『やっぱりと・・・』言っていいほど男女関係でのトラブルが発生しているようである。
それでも、異性どうしで住む理由は、まだまだ個人レベルの利害関係が一致した程度と言えよう。
海外に目を向けると、当たり前のように異性間であろうとルームシェアリングが一般化している。
また、
国際交流協会 東京のゲストハウスとシェアハウス のサイトを覗いて見ると
ゲストハウスではあるが、外国人どうしではうまくいっているようである。
違いは、個人主義や男女同権思想によるもので、男と女である前に、同じ個人同士、かつ互いに深くは踏み込まないというルールがあるからではなかろうか?
この辺りの分析はまだまだ必要。
かつては、私権獲得の最大の証として、“家(マンションや一軒屋))の購入”=マイホーム主義というものがあったものが、賃貸、さらには、一つの家(やマンション)を共有し、部屋は別であっても、共有部(風呂、洗面、台所)を共有で使うというルームシェアリングという住まい方が増ええきている。
これは、 “所有(私有)”から“共有”という意識転換の表れ の一つと言えよう。
同性どうしであれば、共通の目的や課題があれば、一緒に住むことの方がメリットが高いように思う。
一方で、男女間で言えば、(元々、そういった規範や習慣が無かった為に)新しい規範が無ければ難しいように思う。
投稿者 sodan : 2009年05月01日 TweetList
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コメント
投稿者 kota
kotaさんコメントありがとうございます。
元々、日本人に(限らないと思いますが、)私有という意識が薄かったのだと思います。
特に、農業を生業としていた農民にとって、生きていくうえでの農産物が採れれば、別にそれが誰の土地だって構わないわけです。
今でも、田舎では、“おすそ分け”と言って家で食べる分が余ったら(殆どあまるぐらい採れるるし、腐らせるのはもったいない、供出しても左程お金にならないので)ご近所に配ることが多い。
これほど物が有り余った時代に、
(「必要か否か」と考えるまでもなく)
『私有することにどんな意味があるのだろうか?』と
潜在的にみんな感じているのではないでしょうか?
投稿者 sodan
>“所有(私有)”から“共有”という意識転換の表れ の一つ
かつて江戸では、庶民は長屋住まい(共有)で大家と店子は血縁は無いが親子のような関係で、冠婚葬祭から職の斡旋までしたそうです。
やがて、明治に入り1873年に地租改正が行われてはじめて本格的な土地の私的所有が開始されました。
つまり、日本において住宅の私有の歴史は非常に浅く、私権の衰弱⇒本源収束の潮流の中で、必要か否かの判断軸の生起も相まって、ものを“共有”するという価値観が再生されてきているのかもしれないと思いました。