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2009年04月14日

お金の使い道が社会を変える。

お金のお風呂
※このお金を私にどうしろと 引用元

定額給付金、読者の皆さんは、支給されましたか?
私は大阪市に住んでいますが、以下のような状況です。

「定額給付金支給が遅れる大阪市で消費拡大キャンペーンなど」2009.4.14 – MSN産経ニュースより

定額給付金の支給開始が全国自治体で最も遅い部類に入る大阪市は、「出遅れ感」を払拭(ふつしよく)しようと支給が始まる6月から、商店街振興組合と協力し、全国でも最大規模となる1000万枚のスクラッチくじを配る「消費拡大キャンペーン」を行う。一方、市内の商店街には、「もう、給付金は待っとれん!」と15日、最高2万円分の金券が当たる抽選会を実施の予定。しびれを切らす市民の消費マインドを刺激できるか、注目される。

 
冷え込んだ消費心理を何としても活性化させたいという心理が見え見えですが、そもそも本当に経済効果はあるのか疑問だと思うのは私だけではないと思います。
しかし、我が家は4人家族で、支給総額は6万4千円になるそうですが、実際に支給されたら、何に使おうかな?支給されても、貯金額が増えるだけで、日常は変わらないかも…。
 
さて、みなさんは、支給されたとして、何に使いますか?お金の使い道なんか聞いて何になるとお思いのみなさん、是非とも以下の認識に触れてください☆
もはや、『消費の自由(個人の自由)』なんて言ってられない状況です。そして、お金の使い道が、社会を変える構造を知り、単なる消費者から脱却しましょー!
 

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「消費の自由のいかがわしさ。」 – るいネット 2002/04/24より

物が豊かになった一方で、環境破壊がこれほど進んだ今、「物を浪費する自由」などだんだん認められなくなりつつある。自分のお金だからと、多くの物を贅沢に(=無駄に)使うことが評価される(許される)ことはもう無い。「お金をどのように使ったのか。身の回りの物をどのように使っているのか。」これからは金をどれだけ稼いだかだけでなく、その金をどのように使ったのかという消費のあり方も評価の対象に成っていくだろう。

「消費が変わる。消費を変える。」 – るいネット 2002/04/24より

もし、人々が貧しい時代の意識を引きずって、物を必要以上に購入したり、貨幣を貯蓄したりしたら、あるはずの物が充分に行き渡らず過剰に生産したり、失業者が増えることになる。逆に、人々が物の消費だけでなく、サービスや認識形成を担う人たちに充分な対価を払う仕組みと、そのための意識転換さえ出来れば、物的生産を縮小し、環境問題を改善しつつ、市場を維持→拡大できることになる。

 
学者や政治家やマスコミの本質追究が不十分であるため、ほとんど認知されていませんが、「次代は、私たちの『お金の使い道』次第だ」と認識すると、誰しも経済政策の傍観者では居られなくなりますね。
お金の使い道が社会を変える。現代社会の当事者として、次代のために何に使うか?その答えが、今求められています!
 
~~~
 
そして、その答えは、既に提起されています。
 
「需要発から供給発へ」 – るいネット 2004/10/16より

そう人間は答えさえあれば誰だって「類的生産の供給者になりたい」と思うし、「なれる」のだ。何故なら共認充足の欠乏は誰にも備わっているし、潜在的需要としては無限にあるのだから、需要の心配は全く無用であって、欠落しているのは答えと供給体制の整備だけなのだ。そして「これまでの市場経済の需要発の発想」を超えて「類的供給体制の整備=供給者の育成」という視点で、補助金(否、手垢についた補助金という言葉は止めて活力再生事業者支援金と呼ぼう)を「子育て支援」活動や「老人のやりがいづくり」活動や勿論「共認形成」活動に払っていけば、供給者はどんどん誕生していき、日本は世界経済のまさに最先端を切って、新たな類的生産の時代を開いていける。

 
そうなんです。
実は、需要は冷え込んでいるわけではない。潜在的には、物的需要(物的欠乏や快美欠乏)から、類的需要(共認欠乏や答え欠乏)に大転換していて、それが(経済破局を契機に)顕在化しただけだと分かります。すると、問題はむしろ供給側にあり、『お金の使い道』の答えもそこにあるのだと分かります。
 
さて、どうですか?
お金の使い道が社会(生産様式)を変える。
例えば、「みんなが国産品にお金を使えば、自給率の問題は解決できる(自国農業を活性化する)」など。さらに、「なんで屋」や「GRANDTHEORY」のような“答え欠乏に応える新たな事業(認識生産)”にお金を使うようになれば、社会は大きく変わる(社会全体を活性化する)。

色んな可能性を考えることができると思います。こんな使い方をすれば、こうなる!など、コメントをお待ちしています☆
 
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投稿者 toya : 2009年04月14日 List   

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コメント

わたしのところにも給付金の通知がきましたが…

これって、もともと税金なんだし、戻ってきたということ?

ばら撒いても政策効果ないでしょう。

社会にとって本当に必要なことを考える能力が政府にはなくなっているということを示していると感じますね。

投稿者 yamasho : 2009年4月15日 13:46

yamashoさん、返信ありがとうございます。

>これって、もともと税金なんだし、戻ってきたということ?

その通りですよね。
戻ってきただけですね。

>前政権である福田康夫内閣が2008年8月に決定した総合経済対策に含まれた定額減税を、給付金方式に変更して引き継ぐ形で、麻生太郎内閣が10月30日発表の追加経済対策に盛り込んだ(定額給付金 – Wikipediaより)

(減税よりも)給付のための仕事(余計な出費~これも税金)を増やしてまで、実施する意味は、(減税よりも)手元に“自由なお金”が増えたという幻想を与えるためだと類推できますね。
そうなると、どれほどその幻想に惑わされるか、国民に問われていると言えるのかもしれません^^;

投稿者 toya : 2009年4月16日 17:12

税金として(知らない間に)給料から引き抜かれ、知らない間に、何かに使われている。
で、知らない間に1000兆近くの借金。

もっと、お金の使われ方に関われる術は無いのものだろうか?

今回の給付金は、貯金したとしても、結局個人消費にまわってしまう。

かつての各市町村に1億円づつばら撒いた時の方がまだよかったと思う。
つまらないものに置き換わった自治体もあったかもしれないが、何に使うか知恵を絞ったり、それこそ街ぐるみで考えた所もあったように思う。

今の時代だったら、違うものにかわっているっだろう。それこそ、『お金の使い道』を考えきっかけになったかもしれないのに、
もったいない!

投稿者 にっしん : 2009年4月17日 19:53

にっしんさんコメントありがとうございます!

>もったいない!

なるほどー!
「もったいない」という感覚は、これからの社会を考える場合に、非常に重要だと思うのですが、それは、「社会や集団に根ざした感覚」だと思いました。

つまり、“個人”にお金を支給するほど、社会のこと、集団のことは考えないようになり、「もったいない」という感覚は生起しない。だから、誰しも“自己中”に浪費してしまう…。

それで、経済効果があったとしても、失うものが大きいような気がします。。。

投稿者 toya : 2009年4月17日 21:59

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