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2008年09月24日
学校ってどうなってるの?72「学ぶは真似ぶ」~同化って?
「マカクザルの新生児が相手の表情を真似ている」ところです。左で人間が舌を出している人間をじっと見つめて右では自分も同じように舌を出しています。
画像は、ウィキペディア よりお借りしました。
学校ってどうなってるの?69~「学力低下をどうする?!」第三弾!で、展開された「学力低下をどうする?!」より、学校ってどうなってるの?71「学ぶは真似ぶ」~同化能力が学びの原点 に続いて、「同化能力」について追求していきます
るいネット投稿より、対象への同化についてを一部紹介します。
加えて重要なことは、共認機能とはそもそも同化機能であるということである。それは、共認機能の成り立ちを考えてみればわかる。共認の原点は相手(の期待)と自分(の期待)を重ね合わせて充足を感じる、同一視の回路にある。(実現論1_4_01)つまり相手に同化することで始めて共認は形成可能になる。あるいは相手(母親や周り)に同化する事で始めて、規範を始めとした共認内容を獲得できる。いうまでもなく、これらの獲得がなければ、人間は集団生活や社会生活を営むことができない=適応できない。(それどころか人類は、妊娠中の母親の心理状態がその後の生育や性格に大きく影響するということが示しているように、既に母親の胎内にいる時点から同化が始まっており、それくらい共認機能=同化機能は決定的な存在である)
それだけではない、人類は同類だけではなく、自然対象に対しても共認機能を駆使し、対象に同化応合することで観念機能を形成した。つまり自然対象の語りかける声を聞き取る=それが意味するところや、背後に働く力を読み取ろうとしてきた。(実現論1_4_01)つまり人類は全ゆる対象に対して共認機能=同化機能を用いており、それがなければ適応できない存在なのである。人類とは「同化存在」なのだ。
「同化能力」とは、まさに人間としての能力であるということですね。 さらに、同化能力を裏付ける脳回路といえそうな神経細胞があるのです。その名は「ミラーニューロン」・・・・・自分の動作と他人の動作(ジェスチャー)に「ミラー鏡」のように同じような反応をする神経細胞のことです。
では、ミラーニューロンに行く前に、ぽちっとお願いします
ミラーニューロン、ミラーシステムに関するるいネット投稿をいくつか紹介します。
ミラーシステム上に言語遺伝子を発現 より一部引用
ある対象や現象を視覚聴覚などの感覚器官によってそのまま捉えるのが本能機能ならば、ミラーシステムとは、ある対象に自らの意識を重ね合わし、それらを諸々の意識と照らし合わせる事で、その対象や現象の持つ意味や構造を認識できるシステム。そういう意味では、ミラーシステムとは本能機能を超えた共認機能そのものといって良いだろう。
例えて言えば、誰かのあくびを本能機能だけで捉えるとそれは口が大きく開いた現象としてしか捉えられないが、共認機能で捉えるとあくび=相手が眠い事が理解できる、といったような事だ。
言葉を話すことの原点は相手に対する「評価」、もしくは「応望」 より一部引用
さらにこのミラーニューロンが運動性言語野の中、すなわち話すという行為をつかさどる大脳内の部位に存在する、ということの意味について考えてみました。
これが意味するのは、まず「話す」と言うことが、まず相手の行動や仕草を前提としていると言うこと。かつそれが自己の体験記憶を思い出させると言う機能を付随させていると言うことは、
①「話す」と言うことの原点が、自己の体験と照らし合わせての相手の行動に対する評価が原点である、と言うことを暗示しているのではないか?
②もしくは相手の行動や仕草を見て、自己の体験記憶を辿って相手に対して反応する。つまり相手の期待に(相手の行動や仕草の意味するものを自己の体験記憶と照らし合わせて、推測し)応答する、と言うことを原点としていたからではないか。つまり言語=話すことの原点は相手に対する評価もしくは応望(応答)が原点であった、と言うことを意味するのではないかと思います
内田樹氏のブログより より一部引用
「人間は言葉を理解する時に、仮想的に身体を動かすことでイメージを作って、言葉を理解している」(4頁)ということである。
書き手と読み手の「身体的な(要は「脳的な」ということだけれど)同期」が「理解」ということの本質であるという月本説は、「身体で読む」私にはたいへん腑に落ちる説明である。
ミラーニューロンによって、私たちは他人の行動を見ているときに、それと同じ行動を仮想的に脳内で再演している。
その仮想身体運動を通じて「他人の心と自分の心」が同期する(ように感じ)、他人の心が理解できる(ように感じる)のである。
子どもの場合は、「母親の身体動作を模倣することで、自分の脳神経回路を母親の脳神経回路と同様なものに組織化してゆく」(121頁)。
子どもにおける「自己の形成」とはその組織化プロセスのことである。
「まわりの他人の動作の模倣を繰り返すことによって、子どもは自分の脳神経回路を、まわりの人間(大人と子ども)の脳神経回路と同様にすることによって、自己を形成してゆく。すなわち、まわりの他人の心を部分的に模倣して組み合わせることで、自分の心を作っていくのである。」(121頁)
こういう書き方をするとまだ「主体と他者」という二元論の枠内であるけれど、実際には、「主体」という機能自体が模倣の効果なわけであるから、最初にあるのは「模倣する主体」ではなく、「模倣それ自体」なのである。
だとすれば、「人間を中心に据えるのではなく、複写(模倣)を中心に据えて考えたほうが適切ではないだろうか。」(126頁)
赤ちゃんの真っ白な脳に母親などの脳回路をそのまま真似して再生することで吸収していく段階(これは鳥の刷り込みにも見られる)と、そうやって獲得した自らの経験と相手の動作を照らし合わせて他の人の気持ちなどを理解する段階(サル以降の共認機能)の二つがあるように思われます。さらに照らし合わせるということで理解する機能を進化させてより広い対象への同化を可能にしたのが会話=「話す」(これは人間にしかできない観念機能の地平)という機能なのではないでしょうか。
ミラーニューロンを追求していくと、同化能力は言語能力と関係している能力なのだ、ということがわかってきました。言語能力の低下は、同化能力の低下、ゆえに人間でなくなってしまう危機的状態!! 😯
っていうことですね。
投稿者 bunchan : 2008年09月24日 TweetList
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