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2008年09月03日

学校ってどうなってるの?71「学ぶは真似ぶ」~同化能力が学びの原点

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画像は 「漢字の起原」よりお借りしました。

旧字の學は子と両側のヨは両手を表し、手振り身振りを意味し、音を表し同時に習う意(効)を示す manabu2.gif
とからなる。子供が礼儀作法まねる。ひいて学ぶとなった。

とありますが、漢字を見ていると、まるで子供が遊んでいるかのような楽しそうな情景が目に浮かびます。

学校ってどうなってるの?69~「学力低下をどうする?!」第三弾!

で、展開された「学力低下をどうする?!」 
学ぶは真似ぶといいますが・・・・って、学ぶっていうのはマネをすること!?
・・・語源をさぐっていきたいと思います。

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中西人間塾 日本を学ぶ からの一部引用です。

「まなぶ」の元は「まぬ」ということばです。その名詞形の「まね」に「ぶ」がついて「まねぶ」になり、「まなぶ」に発音が変わりました。では「まぬ」とは何かというと、これは「もぬ」で、「も」は模倣の「模」ではないかと思います。中国語をもとにして、やまとことばとするときに「ぬ」をつけました。ですから「まなぶ」は「まねをする」「模倣する」という意味で、これも主体性がないといえます。

俳句の雑学小事典より一部引用です。

「学」という字の訓読み「まなぶ」は「真似ぶ(まねぶ)」から来ている。見てわかるとおり、「学ぶ」とはもともとは「真似る」ことだったのである。
たとえば書道の勉強法に「臨書(りんしょ)」という方法がある。これは手本を前にしてひたすら真似る方法だが、他にも「引き写し」という手本を下に敷いて、透いて見える文字をなぞる方法。「双鈎填墨(そうこうてんぼく)」という、文字の輪郭を毛筋一本まで写し取って、その輪郭からはみ出すことなく、一筋の空白も残さず墨で書いていく方法などもある。
中国では「双鈎填墨」した書が国宝になっているという。
清の乾隆帝が三稀堂(さんきどう)に収めた王義之の「快雪時晴帳(かいせつじせいじょう)」である。王義之は書の神様と讃えられた人だが、真筆は一つも残っていない。みなこのように伝えられてきたものだけである。
しかし、毛筋一筋もあまさず写し取れば、手本と真似たものとの差がないではないか?と思われるのだが、書家の鶴渓さんは
「個性を没して、ひたすら手本の個性に同化しようと努力しても、真の個性は努力をあざ笑うように厳然と屹立している。しかし、そこまでたどり着いても、どうしても埋まらない手本との違い、それが、実はあなたの新しい個性なのである。王義之の写しの「快雪時晴帳」が国宝とされるのも、そこまでたどり着いた個性による作品だったからだろう。」と述べる。

やはり、学ぶの語源は真似ぶというところからきていました。
実際、真似をするのが上手い人は、仕事でも高い成果を上げているようですね。
真似をするということの真髄とは、どういうことなのでしょうか?

るいネットより、『真似をする』の真髄は、普遍性への同化  を一部紹介します。

要するに、真似るということの真髄は、とことん対象に肉薄し、対象の背後にある普遍構造に同化することなのだ。ここでは、質の高さや、オリジナリティーが、ただ人と違うだけのものとは異なることを、理解することが重要だ。

だから、評価に値する=質の高いとは、普遍構造をどれだけ反映しているか?にかかっている。これは、より多くの要素を組み込んで統合されたものと言い換えることも出来る。

学ぶというのは、真似ること。
真似ることとは、同化すること。そしてその真髄は背後の普遍構造への同化 なんですね~
真似することは、あなどれませんよ~

投稿者 bunchan : 2008年09月03日 List   

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