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2008年06月21日

明治に定められた教育勅語とその背景

江戸時代から明治時代にかけての教育の変化によってもたらされた影響で、村落の中にある共同体意識が失われる要因のひとつになっていたようです。 :shock:

今回は、明治に公布された教育勅語について調べてみました。 :wink:
ちなみに、この教育勅語は、小学校の教科書にも書かれていたそうです。

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明治時代の教育制度
教育勅語:国民の培うべき徳行を説くもの

概要
明治天皇が臣民に語りかける形式をとる。まず、歴代天皇が国家と道徳を確立したと語り起こし、臣民の忠孝心が「国体の精華」であり「教育の淵源」であると規定する。続いて、父母への孝行や夫婦の和合、遵法精神、事あらば国の為に戦う事など12の徳目(道徳)を並べ、これを守るのが臣民の伝統であるとする。以上を歴代天皇の遺した教えと位置づけ、臣民とともに明治天皇自らこれを守るように努力したいと誓って締めくくる。

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現代口語訳
私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。
 あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。
 このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。

この教育勅語が盛り込まれた教科書を小学校で読めば、ほとんどの子供たちは、お国のためにという意識が働きそうです。

では、この教育勅語が公布された背景はいったいなにがあったのでしょうか?

明治19年(1886)4月、小学校令が公布され、小学校は尋常小学校と高等小学校に分かれます。満6歳になると、まず尋常小学校に入学し、義務教育として4年間勉強してから、さらに上の高等小学校に進むように決められました。それ以前の小学校は、上等・下等に分かれていて、半年毎の試験で進級していくようになっていましたが、まだ、義務教育ではなく、小学校が義務教育となったのは、この時からということになります。
 このような新しい小学校制度ができたものの、当時は、義務教育である尋常小学校でさえも、月謝が平均して15銭ほどかかり、上の高等小学校の場合には、さらに高い授業料を払わなければなりませんでした。ちなみに、当時の月謝15銭は、今の金額になおすと1,300 円ほどですが、お金がかかる上、子供を学校にやってしまうと家事の手伝いをさせられなくなることなどから、学校など行かなくてもよいと考える親もいたそうです。
それで、国や県では「子供を学校へやると金もうけがうまくなる」などとPRしたこともあるようです。

どうやら、国民に国のために学ぶことが重要という意識を持たせたかった行為が伺われます。その中で教育勅語は、国を統合するためのひとつの政策だったようにも思えます。 :roll:

この頃はまだすべての人が、お国のためというよりも、村のためという意識が強い人も多かったようで、役人たちは、就学率を上げようとあらゆる方法で、対策を考えていたようです。 :x

また、村の規範が重要と見る人が多かったため、国を統合しようとしたときの共認要素として、天皇の言葉として示すことで、村のみんなのためから国のみんなのためという意識に変化していったと考えられます。

 このような策略によって、徐々に村の仕事よりも教育することのほうが大事という考え方をする人が増えていったことにより、村というの共同体が少しずつ崩れていくことにつながったようにも思えます。

カネキチ

投稿者 kaneking : 2008年06月21日 List   

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コメント

僕は日本という国の歴史を見たとき、平和な時代ほど地方分権でいられた、と感じます。
中央集権は確かに村の意識を崩壊させる要因の一つかもしれませんが、実際に半島や大陸からの侵略の危機にさらされたとき、一丸となって国防せねばなりません。中央集権は国防政策なのです。
家族のため、地域のため、お国のため、地球のため、どれも良いことだと思います。ただ純粋に国を守り発展させるために勉強しましょうという、実に素敵な文章と素直に受け止めました。
お国のためにすべてを捧げ、今を作り上げた先人の努力に感謝と敬意を感じます。

投稿者 oruneku : 2011年1月20日 19:16

>僕は日本という国の歴史を見たとき、平和な時代ほど地方分権でいられた、と感じます。<
確かに、平和な江戸時代などをみるとそれが分かります。
秩序さえ維持されていれば、地方(村)は、幕府のことなど余り関心はなく、専ら自分達の自治をどうする!?という課題に向かっていました。

>お国のためにすべてを捧げ、今を作り上げた先人の努力に感謝と敬意を感じます。<
私も同感です。
明治期の人々は、国家発展のために、本当に努力してきました。

しかし、国家のシステム構築のために努力してきた人達の内、一部の人達は、西欧諸国の、もっと限定すれば、今の国際金融資本(金貸し)達に洗脳され、彼らの都合の良い方向に仕向けられたという事実にも目を向けていく必要があります。

それが、現代の日本でも全く同じように、しかし、昔と違うのは、「本当に日本を良くしたい!」という思いもなく、自分の利益のために、金貸しに意のままに操られている特権階級が大勢いるということも、付け加えておきます。

投稿者 sashow : 2011年1月26日 00:04

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