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2008年05月01日

学校ってどうなってるの?60~「音読」の効用①・・・かつては声に出すのが普通だった!?

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写真は日本初の図書館である「書籍館」が開設させた湯島の旧昌平坂学問所大成殿
「Z旗」 さんよりお借りしました)

「学校ってどうなってるの?」シリーズでは、江戸時代を終え、明治時代の教育制度についての追求の一貫として、現在の学力低下の原因とも言える、明治期から現在に至る教科書の変遷、あるいは勉強方法の変化について研究していますが、今回は、「音読」の効用についてです。

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まず、我々現代人は、本を読むといえば一人で黙って黙読というスタイルが普通ですよね。ですから、近くでぶつぶつ声に出して読まれようものなら「迷惑なやつ・・・黙って読め!」と文句の一つも言いたくなる。
ところが、なんと、それは明治以降の話しであって、それ以前は(世界的にも)「読む」といえば「音読」が普通だったようです。

以下、「ニュースの誕生」さんの「明治の声の文化」から引用させていただきます。

声に関して朗じる、読むという行為は、読売や物売などの特殊な職業に限らない。文字媒体を朗読することはむしろ家庭でも見られる普通の光景であった。『読売新聞』明治二六年(一八九三)六月一日付録の「新聞紙の行方」には、新聞が作られ、販売され、ある一家にたどり着くまでの様子が紹介されている。その最期は「夜の伽」と題され、母が読む新聞に子供と祖母が聞き入っている様子が描かれている。

明治十年頃までには新聞縦覧所という施設が各地に普及し、新聞を読み、情報交換する人々が集まっていた。新聞雑誌を朗読する声、討論する声、ときには演説の声が満ちていた。新聞雑誌などの印刷物はあくまでも演説や討論の材料に過ぎず、声によるコミュニケーションこそが主体であった。

そればかりでなく、一人の時でも声に出して読む習慣があった。新橋横浜間に鉄道が開通した当初から、駅構内での新聞の販売が始まった。汽車の中で、乗客が新聞や本を朗読する姿が見かけられたという。たとえば、明治二五年九月一五日の『教育時事論』には「新聞雑誌流行の人心に及す感化如何」と題して「汽車の中に入れば、必ず二三の少年は、一二の雑誌を手にして、物識り貌に之を朗誦するを見るべく」とある。明治末年になってもなお汽車、電車の中で音読する様子が記録されている。

音読から黙読へ

しかし、江戸時代から続くこうした声の文化にくさびを打つように、声を禁止する公共スペースが登場した。我が国最初の官立図書館として明治五年に湯島聖堂内に開設された書籍館では、雑談と音読が禁止された。開設当初からの「書籍館書冊借覧人規則」には「館内ニ於テ高声雑談不相成者無論看書中発声誦読スルヲ禁ズ」とある。そして、その後に開館したすべての図書館に音読禁止の規則は受けつがれていった。しかし、音読に馴染んだ学生が黙読することは難しかったようで、音読の違反に対して、徹底した取締りを行う図書館もあった。実際、音読規制があるということは、逆に音読の文化がいかに大きかったかを示していると言えよう。図書館という黙読の空間は当時の人々には、珍奇な空間であった。明治ニ四年(一八九一)の『女学雑誌』ニ五ニ号の清水豊子の記述によれば「静としてさながら人なき境の如し」と書かれている。明治三六年の旅行雑誌『旅』に掲載された「新趣向の東京見物」という記事によれば、国への土産話として、都会の図書館にあつまる数百の人々の「無言の業」が紹介されている。
大正時代になり、音読の習慣が衰退し、黙読が一般化するにつれて、図書館規則の音読禁止条項は形骸化し、消えていった。汽車、電車の中で音読する習慣も新聞の投書などで批判されるようになり、やがて消えていった。

<中略>

路上に広がる声

新聞やかわら版の音読の文化は、江戸時代末期から明治時代にかけての書生たちの音読、吟誦の文化と並行していた。当時の文人、書生たちの学習法とは、漢籍などを素読することだった。文章のリズムをつかんで漢語の形式を幼い頃から身につける手段として重要であると考えられていた。幸田露伴の『少年時代』には書物を「文句も口癖に覚えて悉皆暗誦して仕舞て居る」ほどに音読した様子が書かれている。書生たちはレクリエーションの場でも、愛読する漢詩や読本を暗記し、吟誦することを楽しんだ。

<中略>

こうした吟誦は学校、寮、寄宿舎などの共同体で集団的に享受され、連帯意識の高揚に役立っていたと考えられる。文章を暗記し、人前に披露する吟誦は音読のさらに一歩進んだ形であり、唄に近い性質を持っている。

しかも、“読む”といえば音読を指すという様式は、なにも日本だけの話しではなく、西洋をはじめ世界中どこでもそうであり、 日本語の「読む」という字に“言”が入っているように、英語の“read”も語源は、「読んで聞かせる」という意味が含まれている ようです。

引用させて頂いた明治期の日本での事例から分かることは、「読書」という行為が、現在のような個人的な行為なのではなく、共同体における知識の獲得や、連帯感の高揚、あるいは娯楽のためと、いずれにせよ共同体的活動だった ということです。

しかし、考えてみれば、文字が普及する以前は当然、 あらゆる知識は長老などの口伝によって皆に伝えられ、受け継がれたはずです。人間が、(皆を)見て、(皆の話を)聞いて、(皆に)話すことで共認形成を図ることで集団や社会を形成する共認動物である以上、文字の普及以降、読書においても皆に伝えるための音読が普通で黙読などという様式は最初から存在せず、従って個人の読書も音読というのも当たり前 と言えるでしょう。

ところが、明治期からの、図書館という公的空間での音読禁止から始まる音読→黙読への流れは、「読む」という行為を皆との共感・共認ではなく、「自分」の勉強や知識の蓄積、あるいは、周りへの発信ではなく自己の内面との対話・・・と、みんな課題から個人課題へと転換させてゆく流れ ということができると思います。(そして、近代的自我の確立→個人主義の蔓延へ)

そもそも観念機能(⇒言語能力)が、皆との共認充足を高めるために生まれたという事実からも、こうした自閉的な観念の使い方が一般化したことが、学力低下の根本原因の一つではないか と思います。

次回は、「音読」について、脳回路的な側面から考えてみたいと思います。

<「るいネット」の「新概念の定義集」より>
「観念機能」

「共認機能」 

<kota>

投稿者 kota : 2008年05月01日 List   

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