| メイン |

2008年04月24日

学校ってどうなってるの?59・・・先生の変遷

私たちが知っている学校の先生。
たくさんの生徒の前で講義をしている、そんなイメージです。
でも、先生にも、変遷があったのです。。。
%E5%85%88%E7%94%9F.jpg
画像は、ワンダーフォーゲル-ユキ豆の漫画日記-よりお借りしました。

まずは、いつものぽちをお願いします

 にほんブログ村 子育てブログへ

原始共同体では・・・
アイヌ 

私が最近、あらためて注目しているのがアイヌの神話である。これは主に近現代に入ってから採集されたもので、本来は口伝であり、それを文字によって書き記したものがテキストになっている。最初は和人によって、後にアイヌ人みづからも手がけるようになったものだ。ただしアイヌ人は自前の文字を持たなかったので、実際のところ、近現代に採集されたものが古代そのままの神話である確証は、ない。アイヌ神話と日本神話(ここではいわゆる「記紀神話」を指すものとする)の比較には興味深い点が多々あるのだが、ここで注意しなくてはいけないことがある。両者のテキストの間には(成立年代において)千年以上の時間差があるということだ。

☆ マヤ

マヤは先祖代々、家系に伝わる大いなる教えを長い長い間、口承文化の中で守ってきました。全ての口伝は、儀式の中で語り継がれてきました。人類の創世から、天変地異を超えてきた情報、幻の古代大陸、宇宙の兄弟姉妹たちの情報、マスターと呼ばれた賢者の教え、古代の予言などから、どれくらい前の情報かを示唆しています。

☆ インディアン

大半の人類学者の認めるところによると、北米インディアンは、今から3万~1万年前にシベリアからベーリング海を渡ってやってきた。ヨーロッパの探検隊や開拓者が渡来したとき、カナダにはすでにさまざまな部族の先住民がいて、その地域の環境によって移動生活または定住生活を営み、狩猟や漁業、農業などに従事し、戦闘的な部族もあれば、平和的なものもあった。彼らは周囲の土地や生き物と深い霊的関係を共有した。これは今でも変わらない。それぞれのファースト・ネーションの文化は、独特の霊的な信仰や儀式をもち、部族の長老たちによって口伝で代々これを伝えてきた。

長老(=闘い続けて生き残った勇士)が、自分の経験を語りついできたのでしょう。

江戸時代では・・・

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog030.html

■3.お師匠様はボランティア■
 当時の江戸には、1500余りの寺子屋や塾があった。幕末の全
国では、1万5千にものぼる。僧侶や神官、武家、農民などが運営
していたもので、幕府は直接的には一切、関与していなかった。こ
れらの人々が自宅などに、10人から、大きいところでは100人
程度の生徒を集め、読み書き、算術、地理、さらには、農業用語や
漢文まで教えていたという。現在で言えば、正規の小中学校がなく、
すべて町中の書道教室や学習塾のようなものだけだったと想像すれ
ば良い。

 面白いのは、たいていの塾は、武家や僧侶、農民など、他に収入
のある人達がやっているので、授業料などは生活の足し程度でしか
なかったという点だ。生徒は「お志」として、都市部では多少の金
品や菓子折り、農村部ではとれた野菜などを届ける程度であったと
いう。現在なら、年金だけで食べていける定年後のお年寄りが、地
域への奉仕として、子供達を教える、というような形である。今流
に言えば、ボランティア活動であった。

 それでは、なぜ全国で1万5千もの塾ができる程、大勢のボラン
ティアの先生がいたのだろうか。それは、先生になると、たとえ身
分は町人でも、人別帳(戸籍)には、「手跡指南」など、知的職業
人として登録され、生徒には「お師匠様」と尊称で呼ばれ、地域で
も知識人、有徳者として尊敬された。優秀なお師匠様は将軍に直接
拝謁して、お褒めの言葉をもらうこともあったという。

 お師匠様たちは物質的には豊かでなくとも、近隣の人々に感謝さ
れ、尊敬されるという精神的な価値で十分満足できたのである。

勇士とはいかないまでも地域の求道者が「師」でした。

明治以降・・・
学校制度がつくられ、師範学校で教師を養成。国が学校制度を整えていったのです。今では普通の一斉授業も、このときから始まりました。
「先生」がサラリーマンである状況は、このときから始まったのです。 :shock:

先生は一度資格をとってしまえば、その資格は残り続けます。
先生ばかりでなく、官僚制度もおなじ。
学校制度は官僚制度の最末端。(官僚制度=資格制度)であったのです。

その結果、どうなったか?? 
そこでの勉強は、外圧に適応するための勉強ではなく、自分の職を得るため(食うため)の勉強。 先生が資格を得るのも、生徒が勉強するのも、そのため。ということになってきます。。
今の学校において「なぜ勉強するのか?」を生徒に説得力をもって説明できないのは、私権圧力が衰弱して食うためにそんなに困らない社会になった今の状況ではあたりまえといえるでしょう。

原始共同体では勇者である長老
江戸時代では求道者である町の名士
明治以降はサラリーマン・・・

勇者、求道者には闘っているという共通項があります。
本来追求課題には決まった答えはない。(絶えず外圧に適応するために答えを作っていく必要がある)
勉強というのは外圧に向かって闘っている人に同化していくことであると考えれば、まず、先生自らが追及する姿勢が必要なのです!! リンク

投稿者 bunchan : 2008年04月24日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2008/04/524.html/trackback

コメント

教育で飯をくっていく制度は、確かに、江戸時代からかもしれませんね。

特に、先生不足を官主導で育成した師範学校の登場が、先生をサラリーマン化していったように思います。用は、試験に受かれば、先生になれたのです。

本来は、人格や規範、道を追求したその志しなどが子供をそだてるのに必要なはずで、もっと言えば、集団性、共認、同化能力がもっとも必要だったわけで、そのルールを体得したものたちが、後世の子供たちを育ててきたのだろうと思います。

誰か一人の先生が育てるという個人課題ではなく、集団の中での子育てを捨象したので、紛れもなく、明治新政府の欧米の価値感だったと思います。

投稿者 こん : 2008年4月30日 10:56

コメントしてください

*