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2007年11月01日

教育ニュース【文科相諮問機関・中教審が、ゆとり教育で授業を減らしすぎたなどと異例の反省?】

教育ニュース【文科相諮問機関・中教審が、ゆとり教育で授業を減らしすぎたなどと異例の反省?】

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【授業減らしすぎた」中教審が異例の反省 読売新聞2007年10月28日の記事より紹介します。
———————————————–転載
 次の学習指導要領を審議している中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)が、近く公表する中間報告「審議のまとめ」の中で、現行の指導要領による「ゆとり教育」が行き詰まった原因を分析し、「授業時間を減らしすぎた」などと反省点を列挙することがわかった。

 中教審はすでに、小中学校での授業時間増など「脱ゆとり」の方針を決めているが、反省の姿勢を明確に打ち出すのは初めて。中教審が自己批判するのは極めて異例だが、反省点を具体的に示さなければ、方針転換の理由が学校現場に伝わらないと判断した。

 中教審は1996年、それまでの詰め込み教育への反省から、思考力や表現力といった学力と、他人を思いやる心などを「生きる力」として提唱。現行の学習指導要領は、この「生きる力」の育成を教育目標に掲げ、小中とも授業内容を3割削ったり、総授業時間数を1割近く減らしたりしたほか、教科を横断した学習で思考力などを身につける「総合学習の時間」の創設を盛り込んだ。しかし、指導要領が実施されると、授業時間の減少により、「基礎学力が低下した」「子供の学習意欲の個人差が広がった」といった批判が相次いだ。

 中教審が今回、反省点として挙げるのは、
◆〈1〉「生きる力」とは何か、なぜ必要なのかを、国が教師や保護者に伝えられなかった
◆〈2〉「生きる力」の象徴として、「自ら学び自ら考える力の育成」を掲げたが、子供の自主性を尊重するあまり、指導をちゅうちょする教師が増えた
◆〈3〉総合学習の時間を創設したが、その意義を伝えきれなかった
◆〈4〉授業時間を減らしすぎたため、基礎的な知識の習得が不十分になり、思考力や表現力も育成できなかった
◆〈5〉家庭や地域の教育力の低下を踏まえていなかった
――の5点。

 ゆとりが強調されたことで、教師が基本的な知識を教えることまで「詰め込み教育」ととらえ、避けるようになったと振り返るとともに、主要教科の授業時間が減って、観察やリポート作成の時間がなくなったと分析。さらに、家庭や地域の教育力が低下し、生活習慣や規範意識を身につけさせる上で学校の役割が増していたのに、その認識もなかったと反省している。

 中教審は、こうした反省を踏まえ、次の学習指導要領では、「生きる力」をはぐくむという理念は残しつつ、十分な授業時間の確保や道徳教育の充実を図る必要があると結論づけた。近く公表する「審議のまとめ」を基にさらに議論を進め、来年1月ごろに答申をまとめ、文科省が今年度内に学習指導要領を改定する。

 同省はこれまで、「運用面で問題があったが、ゆとり教育の理念は間違えていない」などとし、明確な反省を示してこなかった。
———————————————–転載終了

【中教審が異例の反省。】反省だけなら猿でもできる。とまでは、言わないが、教育界の混乱を招いた【ゆとり教育】を反省するという。しかも、 【生きる力】という架空観念はそのままで、小手先の目先の方法論を変えることで、お茶を濁そうとする。

状況把握は出来ているようだが、今回の教育の問題は分析されていない。当然、彼らは、中教審という特権を手放しはしないだろう。そもそも、中教審やら学習指導要領のシステムや秩序自体が、崩壊しているにもかかわらず、反省点として表層的な分析にとどまっていることは、明らかですね。

【教育の根本問題は、何か?】

それは、地位や名誉や身分や金や物の私権を獲得するための教育を含む社会システムが成立しなくなったことが原因。
企業不祥事・偽装、国家借金漬け、家庭崩壊などの問題と根幹は同じで、私権獲得を目標として作られた全ての集団やそのシステムが、新しいパラダイムに転換したということ。いままでは、 【自分さえよければいい】という【私権意識】から【みんなの役に立つにはどうする】という【期待・応望の共認原理】に転換したからだ。

偏差値も、受験も結局、自分が受かる(=中教審の言葉を借りれば自分が生きる力を持つ)という意識だ。いまや、そんなのどうでもよく、もっと人の役に立つ答えを探索して、みんな充足の世界を希求している。そこに、旧教育制度を当てはめても、180度意識が異なるので、破綻するのが必然。どんな方針が出されても、結局、実現することのない頭の中だけで形作られた【架空観念】しか出てこない。

そのことは、中教審といえども感知しているだろうが、彼らが捨てられないのは、プロとしてのしがらみであり、それを捨てない限り、教育改革はうまくいかないことだけはいっておこう。

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投稿者 2310 : 2007年11月01日 List   

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