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2007年10月28日

子どもたちの目に映る大人の姿

こんにちは。かわいです。

0224.jpg
写真は、
昭和30 年(1955)地蔵盆の仮装行列。 大人と子どもがいっしょになって楽しんでいる。
(このおじちゃん、めっちゃ楽しそう!周りの子ども達も喜んでますね!)

さて、今日は大人の方には軽く深呼吸して、気持ちを落ち着かせて から読んで頂きたい。

中日新聞の特集の中で、今の大人達へ向けて発せられた子ども達の声が掲載されています。

なかなか厳しい意見が多いが、的確に大人達の矛盾をついており、この視線・期待に真正面から応えていく大人達が、今の社会に求められているように感じます。

連載【いじめと生きる】第7部 大人たちへ

より、子ども達の声の部分を引用します。

なかなかシビアな視線が大人達へ向けられてますよ

クリックしてから、続きをどうぞ。

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(1)弱きをくじく
 「むしろ、大人の方が僕らより弱い人を助けないと思う」。JR名古屋駅近くの繁華街で買い物をしていた中学三年の男子生徒(15)に岐阜・中津川の男性の話をすると、きっぱり言った。電車の中でお年寄りや障害者をよく目にするが「席を譲るのは大抵、若い子。大人はほとんど知らんぷり」。と、隣にいた友人の男子生徒(15)も「そうそう」とあいづち。両親に「人助けしろ」と言われるが「うちのお母さん、募金とか、ぜってーしない」。

(2)見た目 
 おしゃれをした若者が闊歩(かっぽ)する東京・渋谷のセンター街。大人が言う「人は見かけじゃない」なんて、高校二年の女子生徒(16)はまったく信じていない。路上を見渡せば、派手に着飾った大人がいくらでも。「自分たちだって見た目で判断してると思う。何で子どもにばっかり言うの」

 下校途中だった高一の男子生徒(15)は「偉そうに言っても大人はいつも、かけ声ばっかり。行動しねーじゃん」と語気を強めた。

(3)バッシング
 「個性、個性って先生は言うけど、大人の世界だって、でしゃばったらやられるのに、何言ってんのーと思う」「先生だって結局、みんなと同じことしか言えないし」「そうそう」。浜松市中区の学習塾の教室にいた中学三年の女子三人の意見は“みんな一緒”だった。「大人の本音は結局、人並みが一番」「『いい学校入って、いいところに就職を』って、みんな言うし」。異質を認めようと、そんな大人が言っても「説得力ないよ」…。

(4)ばれなきゃ
 「ふだん食べてる物は全部、表示と違うんじゃないの?」。金沢市の繁華街・香林坊にいた高校三年の少女(17)は、大人がしでかした「食の偽装」への不信感でいっぱいだ。「私も、うその行き先を親に告げて遊びに行ったことはあるけど、大人の方がグルになってだまして、どれだけの人に迷惑がかかるか全然考えてないよ」。バス停にいた高校三年の少年(17)は「大人は胸に手を当ててみて」。子どもにいろいろ言うけれど、自分は、どうかと…。

(5)本音
 大人にはもう少しビシッと格好をつけてほしい。でも、現実はそうでもないらしい。名古屋市の繁華街・栄にいた高校二年の少女(16)は「うちのお母さん、いつも『お金が欲しい』って言ってる」。両親から「もうかる仕事に就いて、私たちを楽させて」と言われたことがある高一の少年(15)は、鼻白んだそうだ。確かに、それは親としての本音かもしれないが、あからさまに言われると…。「お金とか、親のために勉強してるわけじゃないのに」

如何ですか?
思い当たる節も沢山あるんじゃないでしょうか?

もちろん、私もドキッ :shock: とさせられる部分が沢山ありました。

子ども達がこれから進んでいくであろう社会や企業などの集団は、今居る大人達が準備し、迎え入れ、育てていく場でもあります。
しかし、現在既に一部の声の中だけでも、これだけ多くの矛盾に既に子ども達は気付いている。

とてもじゃないけど、こんな状態では子ども達を導く同化対象にはなれませんね。

さて、今回の問題提起の本質は、大人達を問い詰めることではありません。
注目して貰いたいのは、大人と子どもの『価値観のズレ』の部分です。

恐らく、今の大人(親や先生や上司達)が若者へ向けて発している言葉は、自分なりに価値を感じてきた言葉なのだと思います。
だからこそ、それを規範として子ども達に教えようとしている。

ところが、大きく社会背景・外圧状況が転換したとなると、そのような昔の価値観は全く役に立たなくなっている、という事に気付く必要があります。

貧困(飢え)の圧力→私権圧力⇒私権規範 
が染み付いている大人達の規範

豊かさ実現→私権衰弱⇒仲間圧力(共認圧力)
へと転換した子ども達が新たに形成しようとしている規範

当然、根底にある圧力が異なれば、そこに適応する為に必要となる規範の中身も、変わってきて当然の流れです。

そのズレから生じる違和感に対する声として、もう一度 の引用箇所を読んでみてください。

引用箇所は否定部分だけが誇張されているものですが、実際にはもっと沢山の意味が込められた発信なのだろうと私は感じています。

今のままじゃダメだ。変わって行こう!
という期待、聞こえてきませんか?

投稿者 kawait : 2007年10月28日 List   

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