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2007年08月14日

学校ってどうなってるの?18~教師志願理由1~

学校ってどうなってるの?18~教師志願理由1~
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学校の先生になる動機をインターネットで拾って見ました。教師の志願動機は、内的な決定要因と外的な決定要因があるよですが、どうも、そもそもの志願動機が、何か違っているなぁと思いました。

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★内的決定要因
◆部活動の指導をしたい
◆子どもが好きだから
◆みるみる生徒が変わっていくことを実感すること
◆公務員になりたいけど、役所は入るの難しいから
◆私自身学問が好きであること。
◆これからの世代を担っていく人達に学問の楽しさを教えたいから
◆落ちこぼれが、自分にしか出来ない生き方、役割を考えた末に、『教師』という道を選択
◆教えるのが好きだから
◆ただ、学校が好きだから
◆子供たちといっしょに燃えたい
◆楽しそうだな~
◆先生にしかなれないから
◆人が伸びること、それが私の最大の喜びであり、幸せ
◆社会の競争がいやだから。できないから。モラトリアムの延長。

★外的決定要因
◆昔、お世話になった先生、担任の人間性にほれる
◆憧れの先生みたいになりたいから
◆担任の先生にあこがれて
◆いつか○○先生のようになりたい
◆母校へ教育実習が本当に面白かったから
◆「この人の世の中を、少しでもよくしたい」という自分自身の強い想いに応えるに相応しい職だから

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これを見ると内的決定要因が、外的決定要因よりも強く、多いことに気づきます。教員志願動機に見られるこれらは、何を意味しているのだろうか?

【内的】とは、自分。自分が好きだから、いいと思うから、先生や教師になったということ。自己実現系で、どうもそもそも、先生や教師になる動機が、自己中心的になってはいないだろうか?という疑問があります。
また、【外的】決定要因を見ると、身近な目先の対象への憧れが、どうも、決定要因となっていて、社会的な役割を担っているという要因は、一つだけ、【教職とは、社会をよくするための仕事】という動機ですが、どうも、「教職だから可能である」と限定して思い込むところに無理があるように思われます。

 それほど、思い込まねばならない理由はいったいなんでしょうか?
それは、浮世=私権社会での熾烈な競争や掠奪からの逃避構造が見えてきます。私権を獲得していかなければ生きてゆけない1970年前までは、この逃避構造が読み取れますが、それ以降、貧困の消滅からバブルを経て、私権衰弱、収束不全が顕現化した現在において、一時期、教職員人気が1980年に高まり、今現在は、熱心な教師が多くなってきたとのこと。熱心とは、教員というプライドが高くなってきているということ。(これもまた、自己意識の現われなのですが・・・)
 そこに、①必要か否かの共認圧力と②社会問題化したいじめやゆとり教育や教師の不祥事という強烈な圧力と③自己中な親の理不尽な圧力が加われば、活力もダウンするだろうし、当初の動機が、あまりにも浅はかだったと気づくのだろうと思います。今、教職員試験を受ける人が減少傾向にあるのも、当初の動機に自分だけの思い込みが多分に存在するからだろうと思われます。一定の教師像が浮かんできます。次回は、文京大学の藤原教授のアンケート調査データーを分析してみたいと思います。乞うご期待!

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教師志願動機をみていると、現実を対象化せずに、頭の中で強く思い込む倒錯・欺瞞観念の構造と似ているなぁと思いました。

やはり、現実の圧力から逃避している学校という密室空間が、問題なのだろうと思います。

【授業技術以前の問題】(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=17342)としてるいネットでも投稿があります。
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世には優れた教育者も数多いるのでしょうが、あえてダメ教育者の現象を列挙すれば、
・社会性がない
・追求力がない
・評価圧力が働かない(馴れ合っている)
・何をしてよいか分からず、表層観念に迎合するだけ
・わがままな親の押し付けに流されている
・自分も不安なものだから、手を焼きすぎる
・結局、自己保身しか頭にない
といったところでしょうか。

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なんかその通りかもしれません。

また、【最後のデモシカ教師の不謹慎発言】から転載します。

デモシカ教師で悪いか?(その1)
 かつて、デモシカ教師とは他にやれることがなくてやむを得ず教師をやる羽目に陥ったダメな奴らのことを言っていた(と思う)。それというのも、私の親によれば、高度経済成長時代には、民間の方がずーっと給料もよく、希望に満ちあふれていて、それに比べて教師(に限らず公務員)は安月給でショボい仕事。本当に、どこにも行き場のないという人しか教師なんかしなかったという時代があったらしい。その後、「教師を育てなければ国がダメになる」と教員の給与の改善に時の総理、田中角栄が取り組んだ結果、今の教師の待遇があるらしい。
 今では想像もできませんね。なにしろ、教育への煮えたぎるような熱く若い思いを胸に、あるいはツテを頼りコネを頼み、採用試験に何度もチャレンジし、やっとの思いでなるのが、今どきの教師でしょうから。私は「デモシカ」ですよ、なんてちょっと言い出せないような雰囲気が漂っているのが今の職員室です。かつて、あるメーリングリストで私はうっかりその手の発言をしてしまい、袋叩きにあったこともあります。でも、「デモシカ」イコールダメ教員という構図はそもそも存在するのでしょうかね。

 「否」と、この際はっきり申し上げましょう。
 第一、教師は全国津々浦々に何万人いるのか。おそらく一つや二つの市ができてしまうほど膨大な数になると思います。それがすべて教師になりたい、と脇目もふらずに切磋琢磨し、他の世界も知らず、ろくな遊びもできず、子供はかくあるべし、教師はかくあるべし、教育はかくあるべし、との思いに凝り固まって日々精進する…そんな「教師は聖職」な世界が果たして本当に望むべき学校教育の姿を作り上げられるものなのだろうか?またそんなことが実現する可能性があるのだろうか。(つづく)

こんな状況なのだろうと想像がつきますね。

投稿者 2310 : 2007年08月14日 List   

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コメント

志願理由は、本人も“実はよく分かっていない”ことが多い、と思います。
家業を継ぐケースのように、当事者の一人として肌で感じてきたわけではないので、少ない知識を基に、“頭だけで”判断するしかありません。
後で、面接官や知人から聞かれたときに、正当化できる理由を、予め“捏造しておく”ケースも多い、と思います。
これは、教師に限らず、一般的な状況だ、と思います。

> 一時期、教職員人気が1980年に高まり、今現在は、熱心な教師が多くなってきたとのこと。

この背景が気になりましたが、『3年B組・金八先生』の影響だろう、と思いました。
最近も、“熱血教師の人気ドラマ”(や漫画)がいくつか登場しましたね。

ウィキペディア(3年B組金八先生 – Wikipedia)にも書いてありましたが、
> この作品の主人公である坂本金八のような教員を目指して、実際に教員になった人も多いといわれ、教育問題への関心を集めた評価がある。
 
教育問題をなんとかしたいという熱い思い(活力)は評価できる、と思います。しかし、改善されていく傾向が見られないのは、どういうことなのでしょうね。

投稿者 とぅゃ : 2007年8月15日 09:08

とぅゃさん、コメントありがとうございます。

>後で、面接官や知人から聞かれたときに、正当化できる理由を、予め“捏造しておく”ケースも多い、と思います。
これは、教師に限らず、一般的な状況だ、と思います。

>教育問題をなんとかしたいという熱い思い(活力)は評価できる、と思います。しかし、改善されていく傾向が見られないのは、どういうことなのでしょうね。

確かに、学生の頃、将来の仕事はどんなものにつきたい?といわれて、明確にイメージできている人は少ないでしょうね。後で、正当化できる理由を探して、当てはめてしまうでしょう。

でも、一つだけ、一般の仕事と違ったのは、学生時代に教育実習という実践課程が、学生時代にあるということです。これは、かなりの圧力で、そこに飛び込むには、何らかの動機付けがいるでしょうね。

また、とぅゃさんが言われている、教育改善が進まないのはいったいどうしてでしょうか?ということですが、私も模索中です。

ひとついえることは、今までの教育体制や場やシステムが、現在の社会潮流に会わなくなっているからではないか?と思っています。
それは、多分、貧困層の消滅から、あくせく働かなくてもいい時代となり、それをベースに作られている学校システムは根本からの変革を余儀なくされているように思います。それは、学校だけの問題でなく、社会の潮流の課題であるように思えてなりません。どうでしょうか?

投稿者 2310 : 2007年8月17日 10:51

確かに、教育実習という適正試験があるから、適正のない教師は採用されない(はずだ)、と思いました。
また、子どもは、先生の姿を、(家業の父親のように)身近に感じている(はずだ)、と思いました。
さらに、教師の活力も(テレビドラマなどの影響だとは言え、社会問題化を背景に)、上昇してきている(らしい)、と思いました。

しかし、教育問題はますます深刻な事態におちいっています・・・
根本的に何かがおかしい、と思いました。

ただ、ひとつ言えることは、陰険なイジメをする生徒やら不登校児やら、モンスターペアレントやら、要は、学校にやってくる親子の質がそもそも落ちているのではないか、と思いました。

つまり、教育問題の根本原因は、学校よりも、家庭にあるのではないか、と思いました。
このブログのテーマである、“密室家庭が人間をダメにする”という視点が重要になってくる、と思います。

投稿者 とぅゃ : 2007年8月17日 12:31

>ただ、ひとつ言えることは、陰険なイジメをする生徒やら不登校児やら、モンスターペアレントやら、要は、学校にやってくる親子の質がそもそも落ちているのではないか、と思いました。

>つまり、教育問題の根本原因は、学校よりも、家庭にあるのではないか、と思いました。
このブログのテーマである、“密室家庭が人間をダメにする”という視点が重要になってくる、と思います。

とぅゃさんのコメントのとおりだと私も感じています。家庭って聖域かつ保護された空間。
確かに、その視点が抜けていますね。

そこを含めて考えたいと思います。

投稿者 2310 : 2007年8月17日 13:55

さいゆーさん。コメントありがとうございます。

>家庭も学校も、戦後の個人主義教育、豊かさ教育(戦後復興~高度経済成長~受験戦争を一貫して)の結果、「聖域化」し「無能化」したのだと思いますが

日本では、そうなのかもしれません。戦前までは、村落での共同体で、教育されていたとも思われ、教育も性も子育ても、躾も、仕事も全て、包含された世界で、そのような教育だったのかも知れません。

聖域化・密室化とは、隠蔽の構造そのものですが、戦後教育からそうなったのか?どうなのか?過去の記事を見て勉強してみたいと思います。

投稿者 2310 : 2007年8月25日 01:41

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