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2007年06月07日

仲間関係ってなに?(3) =勉強は子供達の課題と成り得るか?=

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「仲間といても何か物足りない」
「学校がおもしろくない」

子供達の課題喪失状況をよく表している言葉だと思う。
課題が無いが故におこる、イジメは学校において「偽造された課題」と言ってもいいかもしれない。

じゃあ、改めて子供達の課題ってなんだろう?

「子供は勉強が仕事」かつて(1970年代前半まででしょうか?)大人たちは胸を張って言えた。
私も何回と無く言われた記憶がある。
今、どれだけの大人がこの言葉を言えるでしょうか?

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「豊かになる為に勉強をする」
1970年代までは、大人も子供もみなが認めていた。
そして「豊かになる」の主語は、「自分」であり「家族」であり「社会」であった。
だから、先生はじめ大人たちは
「みんなうんと勉強して、社会の役に立つ人になりなさい」
と言っていたであろうし、言葉通りに期待していた。

だから、勉強が仕事だったのである。

1970年以降、豊かさが実現するに付け、この主語群の中から「社会」が脱落し、やがて1990年以降は、「家族」や「自分」にとっても、実現した以上「豊かさは」意味が無くなってしまった。
その結果、勉強もその意義を失った。(→詳しくは
「豊かになったから勉強はもういらない」ってこと?
本当だろうか?

現在、社会を見渡すと、「豊かさ」に変わる「課題」は無限。
環境問題、経済問題、精神破綻・・・実は課題は山積み!!(→詳しくは
自己中な大人たちが、見ようとしていないだけであって、これらのかなりヤバイ問題を解決して行くために勉強は必要です!!

その前に、これらの社会問題を把握する(=状況認識)為にも勉強は必要。

更に、日常生活に引き付けた局面でも、「なんで?」に答えることは、活力源となるわけで、そのために勉強は必要なんです。

友達や後輩、弟や妹に・・・・勉強を教えてあげたり、色々な出来事に対する疑問「何でこんなことが起きたの?」「なんでこんなことになってるの?」「どうしたらいいの?」と「答える」事は皆の期待です。そしてこの延長上に社会問題(社会課題)がある。

このように見て行くと、「なんで?」思考が勉強の本質であり、社会の当事者として社会問題にも向き合う事が、子供、大人に関わらず共通の課題であることに気が付きます。

子供たちの社会に通じる役割や期待を示し、導いて行く事が大人たちの役割です。
まずは、
自己中に傍観者然として頭を使わない大人達が、子供達の課題を見えなくし、仲間関係を歪なものにしていることを認識する事が必要です。

投稿者 gokuu : 2007年06月07日 List   

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コメント

お気に入りのサイトに

『類塾ネット(http://juku.rui.jp/)』

というサイトがあるのですが、そこでは小学生・中学生、さらに高校生・大学生・社会人も加わって、「勉強のコツ」とか「成績が上げるには?」などをみんなで教えあっています。勉強が子供達の課題と成っている事例かなと思います。

他人を蹴落として…という時代には、秘訣を教えあうなんて考えられなかったこと。
うまく行く方法を教えあいっこするって、出来るようになる近道だし、やる気も出ますよね!す~っごくいいなァ☆って思うんです!(社会人の私も参考にしてます!)

子供たちへなにを、どう教えてゆくのか?そして、どういう場を作ってゆけばいいのか?これらは、先人達の大切な課題だって思います。

投稿者 かおり♪ : 2007年6月9日 19:46

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