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2007年02月17日

昔の仲間意識は明確な課題から生まれていた 

<「仲間外れ」はいじめ、文科省が定義を見直し
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070119ic21.htm
要は仲間はずれはいじめとする。本人がいじめと感じればいじめと解釈する。
私は違和感を感じました。「いじめ=仲間はずれ」と定義してもそれは結果であってそれ以前の段階に問題があるように思います。

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私は1960年代に小学生時代を過ごしました。当時はガキ大将と言われた彼がいました。
少年ジャンプで「男一匹ガキ大将」という漫画の連載がはじまる少し前のことです。
彼のもとにはNO2NO3NO4・・・・・・と言う序列ができていて、時々みんなの見ている前でたいまん勝負がありました。
勝負は、逃げたり泣いたほうが負けでした。彼はむしろ過度な喧嘩を止めていました。

私は彼の仲間で、人の家の柿を取ったり、教室をバリケードで封鎖したり、古いトンネルを探検したり、線路の上にクギを置いたり、いま考えれば犯罪すれすれ(?)でしたが、不思議とお金を取るなどの明確な犯罪行為まではしませんでした。
下級生と女はいじめの対象ではなく、むしろ守る対象であり、いじめるのは成績が一番であるとか、裕福であるとかだいたい転校生が対象でした。当時の私たちのとって彼はボスで何をされるかわからない恐怖の対象ではなく、安心感を抱く対象だったように思います。

いたずらはだいたいみんなに触れ廻って自慢したり、学校にクレームが入ったりしてするのですぐに発覚します。
そのあとはいつもの先生にきつく絞られ、真っ赤になって反省していた彼の顔はいまでも思い出されます。
彼はその後、悪の道を貫いたというか本物のやくざになってしまいましたが、当時を思い出すと仲間意識が大事というより遊びという課題意識の方が、より強かったように思います。だから遊びに水を差すつまらない奴(これはいつも同じ奴でしたが)は、いじめの対象となり、ぼこぼこにされるのです。
いまから考えるとつまらないことばかりやりましたが、当時はそれが一番の遊び(課題)でそれに夢中でした。
さらにそのことをみんなが評価してくれるのが、喜びでした。逆に弱いものいじめのようなことはみんなに評価されないのでそれはつまらないことだと考えていたのだと思います。
遊びという明確な課題があって仲間意識が生まれていたのだと思います。それに廻りには評価を与える仲間がいたから、大人の世界とは違う、手応えのある子供の世界が存在していたのだとおもいます
。tennsi21

投稿者 tennsi21 : 2007年02月17日 List   

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