| メイン |

2007年02月10日

『(いじめられていることを)大人に言えない理由は?』

「日本の子どもたち」
『いじめられているということを子供たちが大人に言えない理由』
が記載されています。

いじめの事例や、上記サイトの管理人の武田氏の分析を見ると
いままでの価値観がものすごく子供たちを追い込んでいる!
ことに気付きます。

%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E5%B7%B1.JPG
↑↑結構、こういう言葉を簡単に発することが、子供たちをさらに苦しめてしまうように思いますが・・・・


■「友達となかよくしなさい」
■「いじめる側にも理由がある」
■「いじめられても、強くなりなさい。頑張りなさい」
■「心配をかけることはしない」
■「迷惑をかけることはしない」
■「怒られるようなことはしない」
■「人のことをよく考えなさい」
■「やられたらやり返せ」

などなど・・・・


私たち親は通常、よく、簡単に発信してしまいがちな言葉達。その簡単な発信が、仲間第一の子供の意識と大きくずれていて、彼らを死に追いやってしまったり、殺人に導いてしまっている。

無論、私たちの言葉で育った、子供たち。
私たちの言葉や価値観は、狂っていると認識すべきだと思いました。

それが自己中の子供たちを生み出し、子供世界の秩序と規範と共感を破壊していることを認識して、塗り替えていかなければならないのでは?と思っていますが・・・・

 にほんブログ村 子育てブログへ

いじめを大人に言えない理由)と題して記載があります。

子どもはいじめられても、なかなか大人に言いたがらない。けれど私たち大人は果たして、子どもたちに「HELP」と言える環境を用意しているだろうか。
信頼できる大人がいない。いい子であることを求めたり、弱いことを恥とする、理不尽なことにもがまんを強いる社会のなかで、子どもたちは助けを求める声さえあげられずにいる。

・大人に言っても解決しないとあきらめ。
・チクれば、いじめが更にひどくなる。
・告げ口することを恥と考える。
・いじめられる側にも非がある、それなりの理由があるという周囲の考えが、いじめられている人間を追い込んでいる。自分自身が悪いから、弱いからと自罰的になった子どもは、いじめられても仕方ないと考え、助けを求めない。
・いじめられている弱い人間だと親にも知られたくない。
・お前にも悪いところがあると言われたくない。叱られたり、責められたりしたくない。
・脅されていたり、弱みを握られていて、打ち明けられない。
・誰も、自分のことを理解してくれるとは思えない。
・親に心配をかけたくない。
・自分のことは自分で解決しなければと思っている。ひとに頼りたくない。
・深く心を傷つけられて、だれが敵か味方かわからなくなっている。混乱のなかで、自分を心配する親でさえも、痛い傷口に触れてくる、自分を傷つけるものに思えてくる。

■私の意見
大人たちの固定観念が、子ども達を苦しめているということを痛感しました。
「勉強しなさい」「友達と仲良くしなさい」「相手のことを考えなさい」「強くなれ」などという観念
は、実は、今の子供世界の共感関係を改善するのに殆ど、全く役に立っていないことが解ります。
私たちの生きてきた私権社会の価値観は、彼らの出口と可能性を封鎖して、なおかつ、仲間第一の価値観に縛り付けられた子供たちは、ちょっとしたことで、自らの死を選ぶほどの圧力になっているように思いました。

また、親たちや教師達や警察や裁判所、カウンセラーの大人たちがいじめの当事者として、出てくれば出てくるほど、事実が解らなくなり、事態が悪化していくことにも注目すべきです。

大人たち、私たちのできることって?いったいなんだろう?

目先のいじめに視点がある限り、変わらないように思います。

それは、社会全体の共感不全、共認不全、秩序崩壊から発生する大人たちの勝手な価値判断が、いじめの原因とすれば、私たちのできることは、私権社会の価値観を全て捨てて、新しいものの見方=事実を見極めることではないだろうか?と思い初めてきました。

投稿者 2310 : 2007年02月10日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2007/02/134.html/trackback

コメント

 密室になっちゃっている家庭や教室で子供たちが蝕まれていっていることが恐ろしいです。

 もっとみんなの眼にさらされて、「そんなのおかしいよ」ってみんなの中で判断されるようにならなくては歪みはなくならない気がします。

投稿者 わたか : 2007年2月10日 14:19

「己の欲せざるところは人に施すことなかれ」

なんか、大昔の宗教みたいで寒い~!!
と感じるのは私だけでしょうか?
こんな言葉を立派な看板にまでしてしまう事自体が恐ろしいとさえ感じてしまう!!

「自分vs人」「自分vsみんな」「自分vs社会」
この価値観が当の大人たちを閉塞させていることにも気がつかず、子供達に押し付けている。
「絶滅の構造」とまで言いたくなる。

今、施されている様々な間違いを鮮明にしていく事が必要だと思います。
その点で先端を志向しているここのメンバーの歴々に期待するところ大!!です。

投稿者 匿名 : 2007年2月12日 17:03

 親の価値観が子供たちを苦しめている・・・。なるほどと感じます。
 最近、いじめの裁判記事を読んだりしますが、そこでは、いじめる側=悪、いじめられる側=善という図式が出来上がっているし、自分自身そのような図式(価値軸)で理解してしまっている気がします。
 いじめが社会の問題であると考えた場合、必要なのはいじめの構造の解明です。旧い価値観に捕らわれることなく、子供たちがどのように感じているのか?にまず同化する必要があると感じました。

投稿者 hop : 2007年2月15日 22:54

コメントしてください