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『(いじめられていることを)大人に言えない理由は?』

「日本の子どもたち」 [1]
『いじめられているということを子供たちが大人に言えない理由』
が記載されています。

いじめの事例や、上記サイトの管理人の武田氏の分析を見ると
いままでの価値観がものすごく子供たちを追い込んでいる!
ことに気付きます。

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↑↑結構、こういう言葉を簡単に発することが、子供たちをさらに苦しめてしまうように思いますが・・・・


■「友達となかよくしなさい」
■「いじめる側にも理由がある」
■「いじめられても、強くなりなさい。頑張りなさい」
■「心配をかけることはしない」
■「迷惑をかけることはしない」
■「怒られるようなことはしない」
■「人のことをよく考えなさい」
■「やられたらやり返せ」

などなど・・・・


私たち親は通常、よく、簡単に発信してしまいがちな言葉達。その簡単な発信が、仲間第一の子供の意識と大きくずれていて、彼らを死に追いやってしまったり、殺人に導いてしまっている。

無論、私たちの言葉で育った、子供たち。
私たちの言葉や価値観は、狂っていると認識すべきだと思いました。

それが自己中の子供たちを生み出し、子供世界の秩序と規範と共感を破壊していることを認識して、塗り替えていかなければならないのでは?と思っていますが・・・・

いじめを大人に言えない理由 [2])と題して記載があります。

子どもはいじめられても、なかなか大人に言いたがらない。けれど私たち大人は果たして、子どもたちに「HELP」と言える環境を用意しているだろうか。
信頼できる大人がいない。いい子であることを求めたり、弱いことを恥とする、理不尽なことにもがまんを強いる社会のなかで、子どもたちは助けを求める声さえあげられずにいる。

・大人に言っても解決しないとあきらめ。
・チクれば、いじめが更にひどくなる。
・告げ口することを恥と考える。
・いじめられる側にも非がある、それなりの理由があるという周囲の考えが、いじめられている人間を追い込んでいる。自分自身が悪いから、弱いからと自罰的になった子どもは、いじめられても仕方ないと考え、助けを求めない。
・いじめられている弱い人間だと親にも知られたくない。
・お前にも悪いところがあると言われたくない。叱られたり、責められたりしたくない。
・脅されていたり、弱みを握られていて、打ち明けられない。
・誰も、自分のことを理解してくれるとは思えない。
・親に心配をかけたくない。
・自分のことは自分で解決しなければと思っている。ひとに頼りたくない。
・深く心を傷つけられて、だれが敵か味方かわからなくなっている。混乱のなかで、自分を心配する親でさえも、痛い傷口に触れてくる、自分を傷つけるものに思えてくる。

■私の意見
大人たちの固定観念が、子ども達を苦しめているということを痛感しました。
「勉強しなさい」「友達と仲良くしなさい」「相手のことを考えなさい」「強くなれ」などという観念
は、実は、今の子供世界の共感関係を改善するのに殆ど、全く役に立っていないことが解ります。
私たちの生きてきた私権社会の価値観は、彼らの出口と可能性を封鎖して、なおかつ、仲間第一の価値観に縛り付けられた子供たちは、ちょっとしたことで、自らの死を選ぶほどの圧力になっているように思いました。

また、親たちや教師達や警察や裁判所、カウンセラーの大人たちがいじめの当事者として、出てくれば出てくるほど、事実が解らなくなり、事態が悪化していくことにも注目すべきです。

大人たち、私たちのできることって?いったいなんだろう?

目先のいじめに視点がある限り、変わらないように思います。

それは、社会全体の共感不全、共認不全、秩序崩壊から発生する大人たちの勝手な価値判断が、いじめの原因とすれば、私たちのできることは、私権社会の価値観を全て捨てて、新しいものの見方=事実を見極めることではないだろうか?と思い初めてきました。

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