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2006年12月16日

家庭の教育力が低下したって、本当?

みなさんは、“学級崩壊”“いじめ”などの学校での事件や問題を見て、最近は「家庭の教育力が低下した」とか「今の若い親はこどもをしっかりしつけていない」と思っていませんか?

実は、私も最近までそうだと思っていたのですが、どうもそれは事実ではなく、マスコミによって作られた間違った固定観念のようです。

では、現在の家庭の問題点、社会の課題はなんなのでしょうか?少し前の共同体の子育て・しつけと、現在の子育て・しつけの違いから、考えてみます。

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参考:『日本人のしつけは衰退したか』(広田照幸)

●共同体の中のしつけ(共同体⇔家庭⇔子ども)
多くの人々が農業や漁業などの生産を生業としていた時代には、家庭は生産と消費と一体となった場であり、その生産活動は地域の共同性に支えられていました。

そこでの子どもは将来、家業を継ぐ存在であり、同時に地域の共同体をまとめる役割を担う存在でした。

子供を産んだ母親は、嫁として農作業や夜なべ仕事で休みなく働くので、子育ては働けなくなった年寄りや年長の子供が子守りや世話をしました。少し大きくなれば、奉公先や共同体でしつけをしてもらう。

共同体の中でどうふるまうか、その規範を教えたのは親ではなく、共同体全体でありその青年組などでした。だから、礼儀作法をはじめとして社会的に必要な規範の多くは、家庭の外で身に付けるものでした。

共同体で育てるという暗黙のルールがあったから、家庭でのしつけは、地域社会でのしつけもでもあった訳です。子どもたちもどこでも社会の規範を覚えられたし、親も子育て・しつけの仕方に迷う事は無かったようです。

●現代家庭のしつけ(社会(分断)家庭⇔子ども)
大正期頃の新中間層から「小さいうちからちゃんとしつける」という、教育的配慮に満ちた育て方が登場しました。戦後しばらくは、そういうしつけは「民主的しつけ」などと呼ばれていましたが、高度成長期頃を過ぎた70年代には地域や家庭による階層差が小さくなり、どの家族も、子どもを小さいときから教育的配慮の対象にしていく「教育家族」になりました。

地域共同体は崩壊し、家庭は地域社会と切り離された個別の存在となり、いわゆるサラリーマン家庭(核家族)が多くを占めるようになりました。

この家庭は生産の場と切り離され消費だけの場であり、そこには家業を継ぐという課題はありません。子どもの成長は、唯一家庭のためであり、そのための子育て・しつけは家庭が一身に担うようになりました。
     ─────────────────────────────────
 こうしてみると、現在は「家庭の教育力が低下した」「今の若い親はこどもをしっかりしつけていない」のではななく、むしろその逆だと気付きます。現代は、家庭が何もかもしょいこみ、親のしつけや教育が子どもの将来を決定するかのように考えています。

長い間、つい最近まで、子育てやしつけは、誰もが共通課題を担う共同体という社会的な場で、みんな課題として行なわれてきました。それが、70年代を境に、個別の家庭や母親・父親が全てを決定するものに変ってしまいました。少年犯罪がマスコミに登場するのはこのころからです。

そうであれば、「密室家庭」が子どもたちを囲い込み、教育やしつけを独占している限り根本的な解決にはなりません。「家庭を聖域にしてはいけない」のだと改めて思います。

(さいこう)

投稿者 sachiare : 2006年12月16日 List   

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コメント

僕も、親のしつけが出来ていないことが問題だと思っていました。
というのは、「家庭での躾も大事。となんとなく思っていた」のと、今や影を潜めた“いじめ問題”ですが、その当時、新聞に掲載されていた「原因は、何だと思いますか?」というアンケートにマスコミ(特にテレビ)の論調に影響されて「先生」と答えているのかと思ったら「家庭のしつけが出来ていない」が第1位だったのです。

改めて考えてみると、ある時期までは親が絶対かもしれないが、子供にとって対象世界が拡がるにつれ「親の言っていること(躾)は、本当か?」となり、親も自信がもてなくなってくる。

その前に、かつては、
>共同体の中でどうふるまうか、その規範を教えたのは親ではなく、共同体全体でありその青年組などでした。<
だったのですね。

今や、家庭が密室化、聖域化している。
そうなると、
対象世界が拡がらない=同化対象が拡がらない→同化能力の低下→自己中の増殖
と繋がっているように思います。

投稿者 にっしん : 2006年12月18日 11:37

仕事で子育てお母さんの話を聞いていると、確かに「しつけ」に目を向ける人が少なくてビックリします・・・。

主な関心は「受験に受かるか」「どうしたら適性を伸ばせるか」で、話を聞くたびに「しつけは??」と返したくなる心境です。

その心の内には、

密室化したことで、誰にも頼れない=何を基準にしたらいいのか分からない     
          ↓
分かりやすいお受験合格などで安心感を求める

という印象があります。
目先の充足をクリアしても、世の中に出てから本当に大切なのは「しつけ」
「良い学校」も「適性」も「しつけ」という基盤がないことには活かされない気がします。

投稿者 ともこ : 2006年12月18日 11:54

程度の差はあると思いますが、「子どもをちゃんと躾なければ」という意識があると思います。

しかし、「躾」という思いで子どもをしかったりしますが、「本当に、正しいんだろうか?」という思いが同時にあります。

その行き過ぎが、虐待。逆が放置。

全てが、1家庭にまかされてしまった結果のような気がします。

投稿者 hajime : 2006年12月20日 21:10

コメントありがとうございます。

共同体の中での家庭のしつけとは、家庭という枠を超えて早く一人前の共同体の成員にすることだったのでしょうね。しつけは社会に出て行くための。

ところが今は、家庭の都合だけでしつけや教育が考えられています。せいぜい目先の学校や会社に入ることが目標。

これではいつまでたっても社会を担う人材は育たない。『本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ』という認識転換が不可欠なようです。

投稿者 さいこう : 2006年12月20日 21:22

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