【肌感覚に学ぶ】子育ても人間関係も、充足の起点は、肌で捉えた感覚 |
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2022年05月20日
肌感覚のすごさを知る~言葉にせずとも息ぴったりの気持ちよさってなんでできるの?~
私たち人類は、言葉が無くてもまわりを感じとれる、そんな力を備えています。リンク
この、言葉以前の「肌感覚」で感じる、の「肌感覚」って一体どういうものなのでしょうか?
例えば、提出間際や学園祭の前日などで「ギリギリだ!間に合わないかも!?どうする!?」という状況で、みんなで限られた時間の中で阿吽の呼吸で進めていく空気感が結構気持ち良かったり、一体感を感じたり、、、という体験。
みなさん一度は経験したことあるかと思います。
同じ時間圧力の中、ある一つの課題の実現に向かって動いていく中で、
・誰がこの役割と言わずとも、自然と各人が役割を担ってくれている
・これをしたらイケないかな?などの余計な考えが邪魔する前に体が動く
・ナイスプレーも誰がしたか覚えてないくらい自然にみんなのナイスプレーに
・相手との一体感というより「チーム全体で一体感」がある
・一緒に取り組む相手の気持ちや状況=こうやったら楽になるなというのが大体分かるし、分かってくれている
この気持ちいい、一体感を感じるというのは、実は私達が持つ「肌感覚」が深く関係しています。
この感覚は、「課題をやる」という目的単体ではなかなか出てきません。「一緒にやっている仲間」がいて、その反応をみて、「少しでも力になれれば…!」「応えたい!」と体が動くんです。
制限時間の圧力がかかればかかるほど、個人個人の区別が無くなっていく感じ。自分がこれをした!相手があれをした!ではなく、みんなでした!となっていく感じ。
それは、私たちが、「相手(仲間、人)の存在や反応こそが活力源になっている」という意識構造をもっているからなんです。(関連したブログを紹介します→人類は同類なしでは生きていけない動物)
阿吽の呼吸と言われるような、言葉を多く交わさずとも息ぴったりの連携行動が仲間とできるのは、まさにその場で相手の反応を全面的に(体全体で、色んな感覚を使って)受け取っているから、そして発信しているからなのではないでしょうか。
なるほど、バタバタしてても気持ちいい時っていうのは、自分も仲間もすべて素のまま出していて、受け取っているからなんだ!と気付きです。
そしてこれを自然とやってしまう「肌感覚」って何?という問題はまだまだ本当に奥が深い!
これから違った切り口でこの肌感覚のすごさを探っていきます♪
投稿者 toyosima : 2022年05月20日 TweetList
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