先人の“心”に学ぶ ~初心忘るべからず。その大切な心とは~ |
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2022年04月15日
先人の心に学ぶ〜人がいて自分がある。初心の時に持つ柔軟さ、素直さを大切にすることが道を究める真髄〜
先人の心に学ぶシリーズ リンク、リンク
先人たちが残した一つ一つの思い、考え方、心は、現代の私たちに染み渡り、さまざまな気付きを与えてくれます。
今回も世阿弥の「風姿花伝」を通じて、
色々出来るようになってきた一方でなかなか前に進まないと、成長にあせる若手~中堅世代の方々にぜひ読んでほしい、
今となっても言われ続ける「初心忘るべからず」の元となる一説を紹介します。
能の世界でも同様に、どんなに芸事を上達させたとしても、見る側の目が養われていないと認められない・名声を得られないのをどうしたものか、と考えてしまうそうが、
本当の芸事を極めた人は、どんな対象であってもうまくやってしまうのです。
それはどういうことかを「風姿花伝」は教えてくれます。
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( 「第五 奥儀に言う」 の章より )
…前略…
これは秘訣であるが、一体、、芸能とは何かと言えば、諸人の心を和らげて、あらゆる階層の人々に同じく感動を催させることである。そして、それが、生命を豊かにするという人生幸福増進の基になり、寿命を延ばす方法となるのである。
究めつくせば、人間社会すべての営みは、ことごとく寿福延長(生命を豊かにすること)を目的としているものだ。
…中略…
この申楽の芸というものは、大衆の人気をもって一座を反映させてゆく基礎としている。それゆえに、芸の内容が向上してあまり大衆の及ばぬ芸ばかりになってしまうと、大衆の人気が無くなってしまう。
それを防ぐためには、能をやる場合に、初心(やり始めの未熟)であった時の事を忘れないで、そのやり方を思い起こして、時に応じ場所によって、愚かな大衆の眼にも、なるほどもっともと思うように能をやるという事が、一座を成り立たせてゆくこつである。
…中略…
死んだ親父は、どんな田舎、辺ぴな山村でも、どの土地の人々の気風を十分のみこんで、そのところの風習によく気をつけて芸をやったものだ。
…後略…
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「花伝書(風姿花伝)」世阿弥_編 川瀬一馬_現代語訳 リンクより
「人間社会すべての営みは、ことごとく寿福延長(生命を豊かにすること)を目的としている」
とても本質を突いた一文です。
私たちが日々おこなっている活動、仕事もすべては、周りの生命を豊かにするためにあるんです。
それが、私たちが生きている意味でもあるし、集団や仲間と一緒にいる意味でもあります。
そして、芸能はそもそも大衆の人気があってはじめて成り立つものであって、
人と切り離されるような「崇高なもの」ではない、という事。
だから、初心であった時の事を忘れないで、というのは、
「これが正しい」「このやり方が正党だ」と、自分で選り好みしたり、傲慢にならないで、
その時々、場所にいる周りの人達、その人達が歩んできた歴史を、そのまま優劣付けずに吸収し、応えていく、初心の時に持つ柔軟さ、素直さを大切にしていけば、誰の心も和ませる本当の芸能を身に付けていける、ということなのです。
いまやっていること、その本質はどこにあるか。仕事であれば、かならず最後にはお客さんの期待に応えること(生命を豊かにすること)が目的にあるはずです。
上手くいっていないことがあるとすれば、自分でこれはいい、これは良くない(or嫌い、好きじゃない)と判断しているかもしれません。
まわりの人の生命を豊かにする仕事、生き方をしていきたいです。
投稿者 toyosima : 2022年04月15日 TweetList
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