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2022年04月01日
能の世界 ~稽古の心得『風姿花伝』に込められた人生の摂理~
人材育成に正解はなく、人それぞれ、時々の状況によって大きく変わります。
でも、共通している所もあるのです。
目の前にいる部下たちがどのような心の状態に置かれているのか、どの方向に導けばよいのか。
年を重ねていく自分たちはどのようになっていくか、振舞っていくのか。
今回は、教育論、人生論として多くの人に気付きを与えてくれている、古くから日本で伝えられてきた教えを紹介します。
能の大成者・世阿弥が記録した、父・観阿弥の教えである『風姿花伝の年来稽古条々(ねんらいけいこじょうじょう)』は、稽古を始める7歳ごろから人生を終える50~55歳の年齢に応じた「稽古の心得」を説いたものです。
驚くことに、仕事を始めて5、6年経った自分自身にも、ここで示される姿がぴったり重なります。
今の社会人とも照らし合わせながら、中身を見ていきましょう。
◎7歳ごろ
稽古を始めて間もないころは、何でもいいから「自然にうまくやり出すところ」をそのまま自由に、子供の思う通りにさせたら良い。
むやみにこれは良い、これは悪いとかを言ってしまうと、だんだんやる気をなくして、能が億劫になってしまう。基本的に、まずのびのびとやらせるっていうことが一番良い。
◎12~13歳
この頃は、声の調子も良くなり、かわいらしい姿をしているから花がある。欠点は隠れ、長所はますます目立つ。
しかし、これは真実の芸の力から出た「花」ではなく、一時的な花。だから、良さそうに見えても一生涯この能の世界でうまくいくかどうかはわからない。
この時期は、特に得意な部分を伸ばしながら、体の動き(所作)や舞の型なども正しく守り、確実に稽古をさせること。
⇒ 仕事も要領を得てきて、基本的な所はできるようになる、社会人で言ったら2~3年目の頃。フレッシュで、エネルギーに満ち溢れ、仕事も多少できる。だから、みんなから評価され始めて、調子に乗って、すこし勘違いさえしてしまうこともありますよね。
◎17~18歳
一番気をつけなきゃいけない時期で、稽古はあんまり多くしない方がいい。まず声変わりをし、体つきも変わってきて、風情がなくなってしまう。これまで楽々出来たことが、ガラリとやれなくなったりしてしまうから。
自分自身の「一生の分かれ目はここだ」っていうのを、一生涯にかけて能を捨てない決心を固める以外に稽古の方法はない。ほかの人に笑われたとしても気にせず、そして無理はせず稽古していけば良い。
⇒ 色々出来るようになってきた分、見えていなかった壁にも当たる時期。何でこんなに上手くいかないのか?と悩む時期ですが、上にもあるように腹を固めて、ただひたすら丁寧に仕事をすることが大切なのかもしれません。(今の私にまさに当てはまっています)
◎24~25歳
この頃は一生の芸能が身に付くか付かないかが決まる最初の時期。声変わりも終わり、体も青年らしく引き締まる時期だから声と姿はすごく美しくなる。
盛んで、運気も良くなって、芸能ができはじめるような時期になるから、見ている人もうまい人が来たなっていうような目で見てくれるようになり、本人もうぬぼれ始める。実は、これも真実の花でははい。
本当に定評のある先輩に細かに物事を聞いて、稽古に一生一層精を出すのが良い。
⇒ 悩む時期も終えて、歳も重ね、いよいよ様々な役職を担い始めるこの時期は、一番やる気とエネルギーに満ち溢れる時期です。社会人10年目付近。
◎34~35歳
盛りの絶頂、一番いい時期で、この花伝書に載っている教えをきちんと極め、悟って、非常に優れた芸能人になれば、必ず天下に名人として認められるような名声を獲得できる。
逆に言えば、この時期までにその真の花を極められなかったら、40を越してからは、下り坂になるだろう。この時期は、過去に自分がやってきたことをよく自覚し、将来どうやって行ったら良いかそのやり方なども悟る時期である。
◎44~45歳
この頃からはやり方を変えないといけない。技術はあっても、年は取っていくので、我が身の美しさも人の目に映えるような美しさはなくなってしまう。若い脇役ものに花を持たせて付き合い役のように控えめにするのが良い。
逆に、なくならないような花があるとしたらその花こそ真の花と言ってよい。
◎50を超えて
50を超えたら、たいてい無理をしないという事以外、適切なやり方はない。しかし、真実芸道を達得した役者であれば、見せ場は減っても、花は残っているだろうと。
・・・そういう父(観阿弥)は、52歳で亡くなったが、
その月にある神社でお祭りの申楽をした際に、美しく目立ち、上も下も見物の人々が皆一同に褒めてくれました。
その頃の父はもうほとんど芸の見せ場は若いものに譲ってしまっていてすごくやりやすいものを控えめにやっていましたが、花は一段と優れて見えたのです。これは真実芸能提督した結果の花であったかゆえに、衰えて枝葉も減った老木になっても花だけは散らないで残っていたのです。
他のまとめサイトです→世阿弥のことば7段階の人生論
この花伝書が、若い時から晩年まで、私たちはどのような壁に当たり、それをどのように乗り越えていけば良いかを、時代を問わず示してくれるのは、
世阿弥とその父親が、稽古に励み、周りの先輩たちに稽古をつけてもらう中で、能という芸能を極める中で、人生の摂理を掴んだからではないでしょうか。
一時的に調子に乗ってもいい、うぬぼれてもいい。
それでも、しっかり型を守り、稽古を行い、常に能に向き合い続けること。
仕事で言えば、相手に向き合い続けること。
最後は、そういった日々の鍛錬が基盤をつくってくれるということなのですね。
投稿者 toyosima : 2022年04月01日 TweetList
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