自然の摂理から子育てどうみる? |
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2008年04月30日
みんなで子育て~闘争圧力と追及姿勢が人を育てる~
さて、『子育て収束不全?!』
からどーする?を追及し、改めて「子育て」そのものが各家庭の課題へと劣化して行った過程がだんだんと見えてきました。
元々は、「子育て」なんてものをわざわざ意識するまでも無く、集団に働く外圧に、男達・女達が一体となってどう立ち向かうか?を大人達は考え、実践して来たに過ぎない。
もちろん、その中で子ども達は集団への授かり物として大切に守られ、子ども達も外圧に立ち向かう大人達を同化対象として、自らへの期待を感じ取り、成長して行ったのだろう。
現在でも、家庭・学校・企業など、あらゆる集団形態において育成のベースとなるものは、やはり先人達の築いてきた成功体験=『規範』の有無であり、その『規範』とは集団の闘争体験によって培われていくものである。
しかし、現代の家庭には、闘争圧力が全く働いていない。何故ならば、家庭=消費専属の空間だからだ。その全く圧力の働かない空間では「規範」が形成されるはずも無く、指標無き子育てはただひたすら不安を産み出し、閉塞していく構造にある。
改めて、ここまでの過程+これからどーする?を下記図解に表す。
私権闘争圧力->集団の末端まで貫徹した私権圧力->明確な育成課題
| ∥
∨ 私権獲得(良い学校・良い生活)
貧困消滅->私権の衰弱->規範の衰弱 |
∥ | | ∨
∥ ∨ ∨ 自己中増加
∥ 収束不全<――子育てが家庭の個別課題へ |
∥ ∥ (共依存による閉塞) | |
∨ ∨ ∨ ∨
共認圧力(同類圧力)への転換 子育て不安の顕在化
∥ ∥
∨ ∨
子育てをどーする?=新たなみんな期待・課題の創出
∥
∨
まずは大人達の闘争圧力・追及課題の創出=社会課題への取組み
∥(自分⇒みんなへの転換)
∨
圧力へ立ち向かう大人達へ子ども達が同化収束
∥
∨
みんなの為にがんばれる活力ある人材の育成!
この仮説の組み立てで重要なのは、自然の摂理、すなわち「外圧=内圧」という普遍原理に立ち返って組み立ててみた事。
圧力衰弱から、自分、あるいは自分の子供へと収束していく親達は、全く持って圧力を伝える媒体になり得ず、その過保護下で育てられた子供は、適応力が身に付かないままに、大きな子供として育ってしまう。社会に出て役に立つ以前に、活きる意味さえ見出せない苦しい状況へと追い込まれてしまう。
このような適応不全から抜け出す為にも、まずは大人達自らが共認圧力を生み出すべく、意識を自分からみんなへと向け、積み重なる膨大な社会圧力へと向かって行く姿勢を持つ事だ。その、必要かつ「やるべきこと」へと向かう大人達の活力ある姿こそが、子ども達への希望を与え、新たなみんな期待として、不安発から充足発の子育て転換を促す事になる。
という事で、上記図解を叩き台とし、より具体的な「子育て=みんな期待」の中身を詰めて活きたいと想う。
かわいでした。
投稿者 kawait : 2008年04月30日 TweetList
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