抽象化能力を鍛えると、問題解決力が高まる!?~2~ |
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2016年02月04日
日本の隠居は、社会役割として本業以外の「隠居仕事」を担っていた。
>60歳とかで引退してしまうという社会通念がどうなのか?会社員の定年という制度は、若手がどんどん増えていく社会のモデルでしかないのでは、とも思えます。
では、近代化された労働の様式(つまりサラリーマン)より以前はどうだったのか?直ぐに思いつくのが「ご隠居さん」ですね。家督を息子に譲り、本人は離れで悠々自適。そんなイメージが時代劇からも落語からもイメージされます。
しかし、そんなにゆっくりはしていなかった、というのが今日の話題です。
日本の隠居は、社会役割として本業以外の「隠居仕事」を担っていた。
現代の高齢者は、定年後に社会に関われる役割分担が無く孤立しがちです。
昔のご隠居さんは、どうしていたのか?と思い調べてみると、粋なご隠居さんでした。
■日本の隠居文化
日本ではある程度の高年齢に達すると「隠居」すると言う文化があった。
隠居とは、家督を後継者に譲って、自分は第一線から退く。
自らは悠々自適の生活となるが、日本の高齢者は、「隠居仕事」(老人が勤めをやめてからする、生計に直接かかわりのない仕事)を始めるのだ。
共同体の一員である老人は、次なる「隠居仕事」で社会との関わり(役割)を始めるのです。その実例を紹介している記事を紹介します。
■現代にいかす「江戸のライフスタイル」② 隠居 ― 残照の余白
江戸時代には「隠居」の制度があった。武家の場合は、法令では70歳と定められていた。が、江戸も中期のころになると、「つとめながらの隠居」という方便がとられ、年齢もしだいに引きさげられていった。
たとえば、享保年間(1716~1736年)では61歳から64歳であったが、100 年後の文化年間(1804~1818 年)では52歳から55歳と低くなっている。
町人の隠居には年齢の制限はなかったが、井原西鶴は、『日本永代蔵』で、「二十四、五歳までは親の指図を受け、その後は自分の才覚で稼ぎ、四十五歳まで一生困らないだけの身代しんだいを築き固め、それで遊び楽しむのが理想の生き方ときわまったものである」といっている。
家督を譲り仕事の一線を退いたのち、彼らは地域の伝統をつなぐべきしつけ係としての大役を、楽しみのひとつとしてつとめてもいたのであろう。
隠居と隠遁とは違う。趣味三昧の生活であれ、ある部分で実社会とのつながりをもっていた。なかには、隠居してのち、世に残る仕事を成した人もいる。よく知られるところでは、伊能忠敬である。
彼は、17歳で伊能家の養子となり、没落しかけた稼業を再興し、名主として郷土の発展にも貢献した。そして、50歳で隠居。
江戸に出て天文学を学び、日本全土の測量を志したのである。72歳までの16年間で地球一周を超える行程を測量し、その全距離を自らの足で歩き通したことは、よく知られるところである。
そう言えば、水戸黄門もご隠居のくせに、日本中を駆け回り、悪を懲らしめるのでしたね。
投稿者 hoiku : 2016年02月04日 TweetList
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