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2007年08月31日
江戸時代の教育事情
現代はまさに教育受難の時代。
国家機関から自治体、教師、親たちまで総がかりでいろいろな取り組みをしているにもかかわらず、教育の成果は年々低下していく一方だ。
子供たちの活力は低迷したまま、勉強は何のため?と問うても、自信を持って答えられる親がどれだけいるのだろう。
一方、江戸時代の庶民は、特に強制されたわけではないのに、就学率が世界トップレベルにあったらしい…
というわけで、江戸時代の教育事情を調べてみました。
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まずは、データ的な押さえから…
就学年齢は、普通は7~8才ぐらいから12~14才頃までで、年齢的には今の小学校とほぼ重なる。
寺子屋を卒業したら男の子は職人の親方や商家に奉公に出て、女の子の場合は、教育の仕上げとして武家や大店に女中奉公して礼儀作法などを躾けてもらった。
農村では若者組と呼ばれる組織があり、地域共同体の行事等の集団行動を通じて村民としての訓練を受けた。礼儀作法、村のしきたり、農・魚業等の知識・技術、手習い等を学習する場所であった。
江戸時代の庶民の教育事情を見ると、現代と大きく違うのは、教育現場に親が介在することはなかった ということ。
親たちは生業に一生懸命取り組み、当時の社会状況の中で必要とされていた教育については、地域の中で皆が認めていた教師や村の若衆に委ねていた。
現代においても、同じような図式が望ましいのではないだろうか。
親は社会の当事者として仕事や様々な活動を担い、子供たちは皆が必要と認める教育を社会と繋がった場で受ける…
このような図式の方が良い結果が得られそうだ。
by わっと
投稿者 wyama : 2007年08月31日 TweetList
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コメント
投稿者 tennsi21
コメントありがとうございます。
現代の学校が同一年齢の子供ばかりで学級を構成しているのは、効率を重視しているからだと思いますが、実は人間教育という面ではかえって非効率だと思っています。
全ての面でとは言いませんが、異年齢の子供たちが、役割を分担しながら同じ課題に取り組むといった場面がとても有効なんだろうと思っています。
改めて、教育場面のありかたを見直していくことが必要だと思っています。
投稿者 わっと
質問なのですが、当時の師匠(教師)の威厳はどれくらい強かったのでしょうか?
「師匠の言うことは絶対」というぐらいの威厳があったのか気になりまして・・・。
投稿者 めがろ
めがろ さん のご質問ですが…
「威厳」というイメージなのかそのあたりは私もよくわかりませんが、
町中での評判をもとに、子どもをどこの師匠に学ばせるか、親たちが判断していたようです。
評判の中身は、往来物とよばれていた教科書などを使って実学をよく理解させてくれるということで、信頼とか尊敬といったものだったのではないかと思います。
人にもよると思いますが、たぶん、「師匠の言うことは絶対!」という感じでは無かったように思います。
以下の記事も参考になるかと思いますので一度目を通してみてください。
⇒このブログの記事(2007年11月18日)
学校ってどうなってるの?30
http://blog.katei-x.net/blog/2007/11/000394.html#more
投稿者 わっと
たしかにそうですね。
あと寺子屋では身分序列の時代にあって子供は武士商人農民の分け隔てなく学んでいたそうなので、それも面白い現象だと思います。武家中心の社会から市場中心の社会にかわりつつある時代を予感させる気がします。