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江戸時代の教育事情

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現代はまさに教育受難の時代。

国家機関から自治体、教師、親たちまで総がかりでいろいろな取り組みをしているにもかかわらず、教育の成果は年々低下していく一方だ。

子供たちの活力は低迷したまま、勉強は何のため?と問うても、自信を持って答えられる親がどれだけいるのだろう。

一方、江戸時代の庶民は、特に強制されたわけではないのに、就学率が世界トップレベルにあったらしい…
というわけで、江戸時代の教育事情を調べてみました。

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まずは、データ的な押さえから…

・江戸末期(1850年)の江戸での就学率は70~86%に達していた。
当時最先端の工業国イギリスの主な工業都市で20~25%(1837年)であり、日本の就学率の高さは驚異的と言ってもよさそう
・当時の江戸には約1,500の寺子屋があり、幕末期の全国で約15,000あったとされている

就学年齢は、普通は7~8才ぐらいから12~14才頃までで、年齢的には今の小学校とほぼ重なる。
寺子屋を卒業したら男の子は職人の親方や商家に奉公に出て、女の子の場合は、教育の仕上げとして武家や大店に女中奉公して礼儀作法などを躾けてもらった。

寺子屋は個人経営であり、学費はまちまちだったもよう。
学費は家格や資力によって差をつけている場合があり、裕福な家は多く払い、余裕のない家は少なくてかまわないとされていた。
師匠(教師)は、武士や僧侶、神官、医者など様々で、別に収入があり、指南役として尊敬される立場にあったためとされている。

寺子屋では、「読み書きそろばん」と呼ばれる読書・習字・算数の基礎的な知識の習得にとどまらず、地理・人名・書簡の作成法など実生活に必要な教育が総合的に行われていた。教育はまず数字の習得から始まり、次いで文字の習得がなされることが多かった。そして、実生活に必要な知識・技能の教育が行われていった。 [1]

 子供達は、親が見込んだ先生、それも地域で尊敬される師匠について、何年にもわたって読み書きから、専門知識まで学んでいく。いろいろな年齢の子供達が一つの部屋で机を並べ、それぞれの進度で、師匠の指導を受けながら学んでいく。師匠には、一人一人の子供の個性や能力がよく見えたであろう。それぞれの生徒に応じた指導ができたはずである。 [2]

農村では若者組と呼ばれる組織があり、地域共同体の行事等の集団行動を通じて村民としての訓練を受けた。礼儀作法、村のしきたり、農・魚業等の知識・技術、手習い等を学習する場所であった。 [3]

江戸時代の庶民の教育事情を見ると、現代と大きく違うのは、教育現場に親が介在することはなかった ということ。

親たちは生業に一生懸命取り組み、当時の社会状況の中で必要とされていた教育については、地域の中で皆が認めていた教師や村の若衆に委ねていた。

現代においても、同じような図式が望ましいのではないだろうか。

親は社会の当事者として仕事や様々な活動を担い、子供たちは皆が必要と認める教育を社会と繋がった場で受ける…

このような図式の方が良い結果が得られそうだ。

by わっと

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