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2007年06月11日
学校ってどうなってるの?3 “体罰”容認の流れ?
「日本の子どもたち」 の 「子どもに関する事件・事故2~教師と生徒に関する事件」 では、体罰事件や体罰が原因の自殺についての事例が多く集められています。
学校はどうなっているの?シリーズ第三弾は、「体罰」について調べてみました。
「体罰」賛成の人も反対の人もまずはクリックね
■日本においては学校教育法によって体罰が一律に禁止されている
学校教育法第11条
校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができるただし、体罰を加えることはできない。。
(昭和22(1947)年3月31日 法26 施行 昭和22年4月1日)
ちなみに学校教育法は、戦後連合国軍の占領統治の下、日本国憲法や教育基本法などとともに制定されたものです。
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■“体罰”の定義は?
通達:「懲戒の程度」
身体に対する侵害、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒は体罰に該当する。
(昭和23(1948)年12月22日法務庁法務長官調査意見)
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■翌昭和24年には、懲戒や体罰に関する具体的な通達が出されている
通達:「生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得」
1.用便に行かせなかったり、食事時間が過ぎても教室に留めておくことは肉体的苦痛を伴うから体罰となり、学校教育法に違反する。
2.遅刻した生徒を教室に入れず、授業を受けさせないことはたとえ短時間でも義務教育では許されない。
3.授業時間中、怠けたり、騒いだからといって生徒を教室外に出すことは許されない。教室内に立たせる場合には体罰にならない限り懲戒権内として認めてよい。
4.人の物を盗んだり、壊したりした場合など、こらしめる意味で、体罰にならない程度に、放課後残したりしても差し支えない。
5.盗みの場合などその生徒や証人を訊問することはよいが、自白や供述を強制してはならない。
6.遅刻や怠けたことによって掃除当番などの回数を多くするのは差し支えないが、不当な差別待遇や酷使はいけない。
7.遅刻防止のための合同登校はかまわないが軍事教練的色彩を帯びないように注意すること。
(昭和24(1949)年8月2日法務庁発表)
とにかく“肉体的苦痛を伴う”“身体に対する侵害”は、トイレ我慢や空腹も含め体罰に該当するからやってはならないということですね・・・たとえ教室全体の規律を乱す行為であっても。集団規範よりも個人を重視する人権思想の臭いがぷんぷんします。
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■最近の文部科学省の見解 : 文部省初等中等教育局教務関係研究会『教務関係執務ハンドブック』1より
「体罰とは、物理的行為によって身体に侵害を加える場合および生徒にとって社会通念上許されない程度の肉体的苦痛を生じさせるものである。
ただし、身体に侵害を加える行為がすべて体罰として禁止されるわけではない。傷害を与えない程度に軽く叩くような行為は、父兄が子供に対して懲戒として通常用いる方法であり、校長および教員が単なる怒りに任せたものではない教育的配慮にもとづくものである限り、く叩くなどの軽微な身体に対する侵害を加えることも事実上の懲戒として許される。
つまり時には、叩くことが最も効果的な教育方法である場合もあり、いわゆる「愛の鞭」として許される程度の軽微な身体への行為ならば行っても差し支えない。
しかし、同時に心身の未発達な生徒の人権の保護についてはあくまで慎重を期さねばならない。たとえ教育者としての愛情から出た行為であっても傷害を与えるようなものではなくても、なるべく身体の侵害と受け取られるような行為は避けるように努力することが望ましいといえよう。」
つまり、教師の愛情から発せられる 「愛の鞭」 であり、“軽く叩く”程度であれば、許容範囲との見解。
しかし、例えば、“社会通念上許されない程度の肉体的苦痛”などは客観的に測りようもなく、軽く叩いたつもりでも、叩かれた側が少しでも“苦痛”と感じれば(主張すれば)“体罰”であるということになり、この間の何かと学校にクレームをつける自己中な保護者の急増も相まり、教師としては全く子どもに手がだせず、結果、yukarinさんの報告(「学校ってどうなの?1」)にあるような「馴れ合い型」学級崩の原因にもなっているように思われます。
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■こうした状況に対し、文部科学省は今年2月5日、「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」を全国の教育委員会等に通知。
これは、政府の教育再生会議が3月末までの対応を求めた第1次報告を受けたもので、最近の裁判での凡例も勘案しつつ、なんであれ『体罰はいけない』といった漠然とした状況に対し、「先生が萎縮(いしゅく)することがないよう改めて分かりやすく明示した」(文科省)ものだそうで、体罰に関する通知のポイントをまとめると
・・・( 「iza」2月6日の記事『 「指導」毅然と…文科省、体罰基準を教委に通知』 より引用)
(1)体罰にあたるから禁止
・殴るけるなどの行為
・長時間にわたる正座や直立
(2)体罰にはあたらない懲戒行為
・放課後の教室居残り
・授業中における教室内での起立
・(罰としての)学習課題や清掃活動
・学校当番を多く割り当てる
・立ち歩きの多い場合にしかって席につかせる
・教員や生徒への暴力に対する制止行為など
(3)児童生徒の教室外への連れ出し
・遅刻や授業を怠けた場合については原則禁止
・騒いで他の子供の妨げになる場合は必要
(4)その他
・授業中に携帯でメールした場合は一時的に預かる
・出席停止制度の活用はためらわない
昭和24年の通達からの主な変更点としては
○「教員や生徒への暴力に対する制止行為」・・・つまり、 「児童生徒から教員等に対する暴力行為、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為を避けるための有形力(目に見える物理的な力)の行使」も「正当な行為」 として位置付けられたこと。
○騒いで他の子供の妨げになる場合は教室外に連れ出しても良いこと。
○出席停止制度の活用をためらわないこと。
と、あくまでも学校の規律を維持し、教室の秩序を保つことを主眼としており、明らかに戦後失われた「集団規範の再生」を意識していると思われます。
また、通知には、「いじめの問題への対応では、いじめられる子どもを最後まで守り通すことは、児童生徒の生命・身体の安全を預かる学校としては当然の責務です。同時に、いじめる子どもに対しては、毅然とした対応と粘り強い指導により、いじめは絶対に許されない行為であること、卑怯で恥ずべき行為であることを認識させる必要があります。」
とあり、「自己中は人類の敵」の根本規範と合致した流れであると感じました。
参考: 「るいネット」 より
『安倍首相の教育改革は、自我の確立から共認の確立へ。それに反感を示すのは、朝日新聞など近代思想を基盤とした戦後のマスコミ権力体』
『安倍首相の「性教育」改革(男女の性差を認め、父母・祖父母への敬愛の念を深める方向へ軌道修正)~それほど異常化している現実の性思想』
投稿者 kota : 2007年06月11日 TweetList
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コメント
投稿者 かんにょ
昭和24年当時は、規範残存どころかパリッ!キリッ!とした大人達が沢山いたでしょうね。
先生に叱られた子どもに対して、親は先生に感謝していたんじゃないでしょうか。子どもの頃に規範=社会性を身に付けるってのは、とても大事な事ですから。
子どもを叱る先生にケチばかり付ける親ってのは、子どもの事を本当に考えてるとは言い難いもんですよ。
投稿者 かわい
>3.授業時間中、怠けたり、騒いだからといって生徒を教室外に出すことは許されない。
「オイオイ!!つまみ出すだろがフツー」
って感じですが、知りませんでいた、こんな法律があったなんて・・・・かなりヤバヤバ
先生がビビルのもよーわかるし、社会性ってか共同性の無い子供が増えるのも良くわかる。
投稿者 垂心
集団規範よりも個人を尊重していたら、何のために学校行くのか分かりませんね。そのうえ、周りの人のことを考えて行動できない子供達を指導するのに今まで通用していた、序列規範も通じず、(今までのような)体罰もなしでは、学級崩壊するのも仕方がないような気がしました。
子供の頃、悪い事をすると、「お仕置き棒」(という名の拍子木のように音が馬鹿でかくなる木)の棒でお尻を叩く先生がいました。まあ、音ばかりで、たいして痛くも無いのですが、今でいったら体罰。それでも、悪い事をしたら、真剣に怒る先生は怖くもありましたが、大好きな先生でもありました。だから、未だに体罰だからダメ!ということが何でいけないのかよく分かりません。
kotaさんの記事にあるように、ここに来て、問題行動を取る子供に対して、懲戒行為はOKになったようなので、かつての熱血先生のように子供に真剣にぶつかって、大人として規範を教える先生の復活に期待です。
投稿者 shijimi
今年の通達内容がずいぶんとハッキリしているのに対して、昭和24年の心得はグレーゾーンが多くて、なんだか読んでてモヤモヤしますね…こんな漠然とした内容でもまかり通っていたのは、やはりまだ規範が残存していたからなのでしょうか?