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2011年08月02日

勉強だけができる子にしたくない!【7】:中間まとめ(試験エリートの無能が明らかに・・・そして人々の意識は・・・)

 勉強しかできない子にしたくない!シリーズも早くも8回目です。試験エリートが如何に無能か!そしてその原因が明確になったところで、今回は、今までのブログの中間まとめを行いたいと思います。 😀

【0】:プロローグ~試験制度は子供達を無能にする
【1】:こんなにも進んでいる試験エリートの無能化
【2】:地震を契機に人々の意識はどう変わるか?
【3】:学者がウソをつく~自分のための学問では役に立たない
【4】:特権階級の自家中毒~その原因は仲間からの評価非充足か!
【5】:旧観念への固執による、みんなとの意識のズレ
【6】:民主主義は人々の自我を肥大化させ、無能化するために仕組まれた

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   (この写真はここから引用させてもらいました。)

『プロローグ~試験制度は子供達を無能にする』 このテーマがスタートしたキッカケは、今回の東日本大震災や原発事故です。
 地震、津波による災害にしても、原発事故にしても、それらは生命の危機に直結する(=本能を直撃する)大きな出来事であり、被災地でなくとも「何とかしなければ・・・」「何かできることは?」と、人々の当事者意識を高め、節約運動やボランティア活動などに向かわせています。
 一方で、社会をリードするはずの統合階級+学者たちの無能ぶり。彼らは、日本の最高学府出身の超エリート=試験エリートです。しかし、TVに映し出される彼らの答弁は、「想定外」、「深刻だが・・・問題ない」と、全く答えになっていません。なぜここまで無能なのか?彼らへの不信感は高まる一方です。

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(この写真はこちらから引用させてもらいました。)

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『こんなにも進んでいる試験エリートの無能化』 試験エリートが今の日本を指導している官僚エリートであるが、今回の事件を通じて解ったことは、実は彼らが日本社会を混迷させているということ。それほど無能化している。この状況をここでは押えました。

・歴史的押さえ(明治中期から官僚養成目的の試験制度=学歴制度)
・官僚は入省前の試験の席次で出世が決まる。
・今の社会で求められているのは、白紙(ゼロ)から組み立てることの出来る能力であり、試験制度で得られる能力と一致していない。
・日本の官僚は優秀というのはウソ。運がよかっただけ。

『地震を契機に人々の意識はどう変わるか?』
 日本を動かしている官僚エリートの何と80%は東大出身(=試験エリート)だそうです。学歴を得るのに必要なことは、入試問題への適応性と、その適応性を磨く時間を稼ぐ為の、その他雑事への無関心だけです。しかし、この試験への適正と他の事への無関心さは、今後の世の中に必要とされる「答えを出す能力」には決定的な致命傷となります。この無能さを前に、人々の意識はどう変わっていくのか?
 この学歴偏重の無能官僚、無能学者を追放することは、今や新しい社会作りの最重要事項であると思います。そして、その役を担っていくのが、普通の人々=勉強だけでなく人の気持ちや痛みが分かり、世の中の必要なことに素直に目を向けることの出来る人々だと思います。

『学者がウソをつく~自分のための学問では役に立たない』
 本来、学問の原点である「学ぶ」「習う」は廻りの人々や社会の期待・外圧を受け、自然と身につける(同化する)ものでした。従って、ここで言う「人間の興味としての学問」も、個々人の勝手な興味本位の事ではなく、集団・社会の期待・外圧を受けて生じる「興味」と解釈する事が出来ます。
学問が社会課題から個人課題に置き換われば、目的が自分だけの「職業化」、「お金化」していくのは必然とも言えるでしょう。
 地位・お金(私権)獲得に変わる新しい目標が見出すために、外向きに意識を転換し、社会に目を向け始めた人達が、一緒に教え合い・学び合う場を求める潮流です。
このような新しい意識の変化・潮流が、実は以前から無能であった官僚・学者・マスコミたちの無能ぶりをよりいっそう顕在化させ、「なんかおかしい」「報道は本当なのだろうか?」等の疑問が増大とともに事実追究の気運の高まりを生み出していると感じます。 

『特権階級の自家中毒~その原因は仲間からの評価非充足か!』

 特権階級の無能さの原因は次の3点にポイントがありそうです
①既存の枠組みに縛られる《GDP信仰・試験制度》
②特権の維持と行使に汲々とする
③支配の快楽に酔いしれ自家中毒化しやめられない

『旧観念への固執による、みんなとの意識のズレ』
 ここでは、上記投稿に加え、もう一つ彼らを無能にする原因があると分析しています。
 それは、近代思想などの「旧観念」です。「旧観念」とは、主に「自由」「個人」「平等」「権利」などのいわゆる「近代思想」を指しています。より具体的には、「かつては輝きを持っていたが、今はみんなの意識からずれてしまっている観念」と言ってもいいでしょう。 社会の役に立つためには、みんなの期待をつかめるかどうかが重要になってきます。しかし、観念がみんなとずれてしまっているのでは、いくらがんばってもみんなの期待をつかむことは出来ません。「旧観念」に固執する限り、試験エリートは無能と言わざるを得ません。 試験勉強に変わる、新しい勉強が今、求められています。

『民主主義は人々の自我を肥大化させ、無能化するために仕組まれた』
 前2回で、“なんで「試験エリート」は役に立たないのか?”について考えてきました。4つの原因が抽出されました。
 そして、4点目の旧観念の問題は、実は・・・特権階級だけの問題ではありません。実は我々一般大衆も、思考や行動において知らず知らずのうちに今も大きくその影響を受けています・・・その中核は「民主主義」なのです。なぜ?民主主義が?根深く我々の意識を支配し続けている「民主主義」の欺瞞性・危険性に焦点を当てています。
 「民主主義」は、人々の自我を肥大化させる観念であり、今必要なことは、自我に基づく主張ではなく、誰もが納得いく“事実”の追求であり、この今や誰もが求め、期待する“事実”の発信であれば、みんなで共有し、充足することができます。
そして、そのためには、まず(主張する前に)『謙虚に学ぶ』根本規範を改めて構築する必要があります。

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      地球環境も経済もガタガタ
           ↑
     試験エリート(特権階級)は無能
      ↑              ↑
     試験制度の弊害     旧観念支配
     (自分のため)    (自由、個人、民主)
      ↓↓             ↓↓
     社会に役立つ勉強      新理論

  
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   (この写真はここから引用させて頂きました。)   
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 試験エリートの「無能視」から人々の意識はどう変化しているのか?次回以降は、これからの新しい潮流⇒可能性収束を探っていきます。後半戦もよろしくお願いします。    

投稿者 hoop200 : 2011年08月02日 List   

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