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2011年08月06日

社会を変える『トモダチづくり』4~私権統合の崩壊と社会収束の潮流~

前回は1950年~1980年代までの若者達の意識構造を見てきました。今回は引き続き、1990年代から現在に至るまでの若者の意識潮流を時代背景と共に見ていきたいと思います 😉

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1990年代もまた1980年代からの課題捨象の充足基調が続き、「明るく」「前向きに」などをモットーにしたギャルが増加しました。
一方で、ネット、アニメなどの普及により、ニートやフリーター=個室収束する若者が増加しました 。

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しかし、2000年代からは、NPOやボランティアなど、にわか社会収束する若者が増加しています

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なぜ、1990年代には個室収束する若者が増加し、2000年代にはにわか社会収束する若者が現れたのでしょうか
参考投稿として「新しい潮流2」を見ていきたいと思います

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新しい潮流2 私権統合の崩壊と社会収束の潮流(’90・’00年代)

’90年代、バブルの崩壊で私権の衰弱が顕在化する。私権観念の土台がグラグラになって社会捨象・観念捨象の防波堤が崩れ出し、急速に潜在的な社会不全→外向欠乏が強まっていく(ニュース番組や事実収集やサークル活動etcの増大=潜在的な社会探索の潮流)。
ただ、私権観念は無効化しつつも、社会や課題や観念を捨象するというマイナス(捨象)面では機能しており、それが社会捨象・課題捨象の充足基調を維持させ続ける(’70・’80年代と同じ)。
しかし、私権に前向きに収束させるというプラス面ではもはや失格で機能せず、その結果、私権の衰弱に応じた潜在思念の本源収束が急速に進んだ(この点が’70・’80年代と異なる所である)。但し、私権制度が残存しているので本源収束し切れずに表層化し、「明るく」「前向きに」「皆仲良く」etc本源風の規範観念に収束した。
注:この時代は私権不全よりも、活力⇒収束先を見失った統合不全(≒自分不全)が中心となり、多くの者が個室収束や自分探しに向かった。
注:統合不全とは本能不全や共認不全を超えた観念不全であり、従来の解脱(発散)では解消されない答え欠乏=認識欠乏が増大してゆく時代でもある。

そして’00年頃、私権統合の崩壊が決定的となり、閉塞感が強まって、遂に私権観念が瓦解した。私権観念の防波堤が破れたことによって、一気に社会不全が大きくなり、私権の衰弱も相まって潜在思念の源泉部が私権不全から社会不全へと大転換した。
社会不全が大きくなれば、外向欠乏が強くなる。しかし、答えがないので課題捨象の充足基調⇒本源収束が続いている。
注:現在は、充足基調を維持すべく、潜在思念に増大してゆく社会不全を、「等身大の幸せ」「分り易い言葉」「身近な運動」etcの誤魔化しの言葉に縋ることよって、頭で必死に課題捨象している段階だとも云える。

1990年代は、バブルの崩壊→私権衰弱→統合不全(自分不全)→不全蓄積→答えがない⇒課題捨象の充足基調が続いています。また、不全の中身が私権不全よりも活力⇒収束先を見失った統合不全(自分不全)が中心となったため、ニートやフリーターなどの個室収束を引き起こし、自らの存在を現実の世界で見失ってしまいました。

それに対して、2000年代は、私権崩壊→社会不全→不全蓄積→答えがない⇒身近な活動(NPO,ボランティア)に意識が向かい、社会に向いた仲間や集団を形成していくことに収束していきました。しかし、根本的な社会不全は解決せず、色々な誤魔化しの言葉をめぐらせてただ充足基調を維持するだけで、社会不全は増大していくばかりです。

未だ答えがない現在において、若者達はこの社会不全を、誤魔化し、捨象し続けていけるのでしょうか?
(次回に続く

投稿者 shijimi : 2011年08月06日 List   

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