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2010年10月12日
『新たな時代の教育制度の提言にむけてシリーズ2~2.では日本の教育はどうだったのか?日本の公教育のおおまかな変遷』
こんにちは
壮大なシリーズとなった世界の教育シリーズ(総集編はコチラ )を終えて、いよいよ始まった日本の教育シリーズ (第1回はコチラ )
みんなで追求を始めていますが、前回以上におもしろいシリーズとなることは間違いなさそうです
自分の国の教育のことなのに、知らないことが盛りだくさん 😀 😯 8)
みなさん、楽しみにしていてくださいね
さてさて今回は、シリーズ第2回ということで、まずは日本の教育のおおまかな流れを押さえてみたいと思います
日本の公教育の始まりって
今の学校との違いは
どんなことを勉強していたの~
わくわくわくわく
ではでは早速、古代から平安時代までの教育にせまってみます
いつも応援 ありがとうございます
■古代
大陸文化に依存した教育が中心でした
7世紀半ば・・天智天皇が、日本初の官立学校である庠序(しょうじょ)を設立する。
701年・・大宝律令に、最初の学制が定められる。都に大学寮1校、地方の各国に国学1校ずつが設置される。☆大学寮とは、律令制のもとで作られた式部省(現在の人事院に相当する)直轄下の官僚育成機関だったそうです 儒教教育がなされていました。国学は地方の郡司の子弟を対象としていました。
■奈良時代
遣唐使に随行して多くの留学僧・留学生が派遣され、また、唐から多くの学者・学僧が渡来しました 明法道(律令)、文章道(漢詩文)の学習・研究が盛んになったそうです
8世紀・・石上宅嗣が、日本初の図書館である芸亭(うんてい)を設立する。■平安時代
漢文学が発達し、多くの詩文集が編纂されました 国字である平仮名・カタカナが作られ、和歌・和文が発達します♪大学・国学は人材発掘のため改革を繰り返すものの、衰退していきました
828年・・空海が、庶民の教育を目的とした施設である綜芸種智院を設立する。
9世紀・・貴族子女の教育を目的として、勧学院(藤原氏)、学館院(橘氏)、奨学院(在原氏)などの大学別曹が設立される。☆綜芸種智院とは身分貧富に関わりなく学ぶことのできる教育施設を目指した そうですが、実際にはなかなか難しかったようです><
☆大学別曹とは、大学寮の付属機関とされましたが、実際の運営は設置した氏族に属し、大学寮の統制下にはありませんでした
さてここまで、古代から平安時代までを紹介しました
どんな人がどんなことを学んでいたのかは何となくイメージしてもらえましたか
さらに、当時の学びのイメージを持ってもらえそうな記事がありましたので、紹介しますね~
~土佐日記より~
【国司としての四、五年の任期を終えて、住んでいた館から出て、乗船しようとするのだが、人々との別れがたちがい場面です。
楫取(船のかじとり)は自分は酒をたらふくいただいたものだからさっさと船を出そうとして「潮が満ちてきた。風も吹いてくるぞ」、と騒ぐ。さて船中の人々は、この場に似つかわしい漢詩を声高く朗詠している。また、ある人は、ここは西国であるにも拘らず東国甲斐の歌など歌う。「このように歌うと、船屋形の塵も感動して飛び散り、空行く雲も漂うだろう」という。】当時は、漢詩は男子の趣味という性質のものではなく、身につけるべき文化的教養の一つであったようです 本文に書いてあるように貴族階級の男子は多くの漢詩を知っており、たちどころにその場その場にふさわしい漢詩を選びだしては朗詠していた すごいですね
~紫式部日記より~
【私の兄の式部の丞(藤原惟規、後年歌人)という人が、まだ子どもの頃に漢籍を読んでいた時に、わたしはいつもそばでそれを聞き習っていて、兄が習い覚えるのに手間どり、忘れてしまうところもあって、それをわたしは不思議と速く理解していましたので、漢籍を読むことに熱心であった父親(藤原為時、詩文の才人であった)は、「残念なことだ、この娘が男子でなかったのは、全く幸せがなかったことだ」と、いつも嘆いておられました。】
平安文学といえば華やかな女流文学というイメージがありますが、当時は、学問といえば漢詩文であり、平仮名文字の物語、日記、和歌などは恋愛遊戯のなぐさみものでしかなかったと言われているそうです
これらから見えてくるのは、学問の始まりとは暗誦であったということです ただし、その中身は大陸文化である漢詩が中心でした。ただ、現代のように学校教育が普及していたわけではなく、文字の読み書きが自由にできる人は一部の貴族階級だけだったと考えられます 😀
では、続いて鎌倉時代以降の教育を紹介しますね
■鎌倉時代
日本文化が自覚され始め、教育に反映される。官立・私立の学校は衰退し、寺院や学者の私邸、家庭での教育が盛んになる。
1275年・・北条実時が、私設図書館である金沢文庫を設立する。☆この頃の武士教育がのちの藩校や寺子屋の教育につながっていくのでしょうか
■南北朝時代
朱子学の研究が盛んになるほか、「源氏物語」「古今和歌集」などの古典研究も盛んになり、日本文化の独自性、日本思想が自覚される。
14世紀末から15世紀初・・近代に至るまで広く初等教科書として用いられた「庭訓往来」が成立する。■室町時代
政変と戦乱が繰り返されたものの、社会教育は盛んになる。
1432年・・上杉憲実が足利の領主となり、足利学校の再興に尽くす。
1549年・・フランシスコ・ザビエルが、キリスト教を伝える。☆この頃から、金貸し支配の影 8) が見えてきますね><
■江戸時代
武士の教育機関としては、家塾や私塾、藩学が設立され、庶民の教育機関としては寺子屋や郷学が多数設立される。
1641年・・岡山藩主・池田光政が、初の藩校、花畠教場を設立する。
1670年・・岡山藩主・池田光政が、庶民の教育機関として閑谷学校を設立。☆世界一の識字率を誇っていたという当時の日本の教育!!早速次回以降せまっていくので、お楽しみに
■19世紀前半
思想家・二ノ宮尊徳が唱えた報徳思想と財政再建手法である報徳仕法が、関東各地に広まる。農政学者・大原幽学が農業技術 と生活道徳の指導を行う。☆この頃、寺子屋や藩校が爆発的に増えたそうです 😯
■明治時代
開国に伴い、西洋文化を採り入れた教育が広く行われる。殖産興業と国民皆兵(富国強兵) が国家課題とされ、各種の国民教育制度が始められる。
1871年・・太政官の下に文部省を設置する。
1872年・・学制発布。下等小学校4年、上等小学校4年の計8年を教育年限とする。強制力は弱かった。
1886年・・小学校令公布。初めて「義務教育」の語が用いられる。
1890年・・教育勅語を発する。「兵役」「納税」とともに、「教育」が国民の三大義務とされた。■第二次世界大戦後
戦争によって疲弊した国土を再建し、民主的で平和な国家を創造することが目指される。教育の機会均等と男女共学を原則とし、アメリカに倣った自由主義教育が導入された。
1946年・・日本国憲法が交付され、教育を受ける権利、保護する子女に対し教育を受けさせる義務、義務教育の無料などを定める。
さらに詳しい内容については、ウィキペディアの日本教育史を参照してください
さてさて、本当に大まかな日本の教育の歴史の紹介となってしまいましたが、第1回で見たように、ヨーロッパの公教育の成立が1833年からとされていますが、その頃は、ちょうど日本では、寺子屋や藩校が爆発的に増えていった時期だとされています
なんとなく、ヨーロッパよりはだいぶ遅れるのかなあという気がしていましたが、日本において制度として公教育が始まっていくのは、明治以降(1872年学制の公布の頃)ということになりますが、同時期(19世紀前半)には庶民の主体的な勉強意欲が高まっていたということは注目されます
また、室町の頃には、浦島太郎や物ぐさ太郎といった御伽草子が庶民に親しまれていた とされており、その頃から庶民もある程度文字が読めていたのか 🙄 なども気になるところです
世界においても、公教育が始まるまでは、聖書や経典、論語などの講釈(これはあやしい :confused: )や、暗誦が始まりであったと考えられます 😀
それが、公教育が始まったことで、変わっていき、現在の詰め込み教育になっていった 😈 のだとすると、再度、当時の教育を見つめなおすのは今後の教育制度を考えていく上で、重要な意味を持つのだと言えそうです
次回は、江戸時代の教育、中でも藩校とは何か?にせまっていく予定です
お楽しみに
投稿者 tateko : 2010年10月12日 TweetList
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コメント
投稿者 さいこう
さいこうさん♪♪♪
コメントありがとうございます(≧▽≦)/
そして注目してくださってありがとうございます☆
確かに学歴獲得とは繋がっていないのに、学びの意欲が高まっていた!!ってすごいですね☆
その当時、感じていた人々の外圧状況、あるいは興味関心はどのあたりにあったのか??
すっごく気になりますーー☆
新たな時代の教育制度のヒント、ありそうですね!!
それから確かに勉強よりも、学びの方がしっくりきますね☆ありがとうございますー☆
投稿者 たてこ
>庶民の主体的な勉強意欲が高まっていたということは注目されます
確かにこれは注目ですね。
まだ公教育制度が無い時代、その勉強は学歴獲得とは繋がっていない。にもかかわらず、多くの庶民が学びの意欲が高まったのはなぜか?その時代状況は?大変気になります。
江戸時代の教育に、新たな時代の教育制度のヒントがありそうです。
※「勉強」というより「学び」の方がしっくりしそう?