| メイン |

2010年10月09日

幼児虐待が起こるのはなんで?(5) 「子ども」ってなに?

実は、17世紀末の西欧において、初めて「子ども」が“発見”されました。

え??? 😯

驚いた方も多いと思いますが、実はそれ以前の社会には「大人と子ども」といった区別自体が存在していなかったのです。

前回の記事では、児童虐待防止・福祉制度の歴史をおさらいしましたが、最初に法律として制定されたのが昭和21年(1946年)であり、かつ殆ど有効には機能していなかった事が解っています。では、それ以前の社会は子どもの虐待が横行し、全く放置されていたのかというと、そうではない。そんな法律など必要無かった、という認識にこそ、「虐待防止」のヒントがあるのです。

そこで、今回は改めて「子ども」という存在の扱い方の変化を見ていきましょう。

 にほんブログ村 子育てブログへ

「子供」という旧観念

■「子供」は当たり前の存在か?
 教育・子育ての問題について議論するときに気をつけなければならないのは、「子供」という存在が、果たして、「当たり前」で「普遍的」な存在か?という点だと思います。

 アリエスの「<子供>の誕生」を読むと、かつて、大人・子供という区別はなく、子供は「小さな大人」とみなされ、物心がつく年齢(現代で言えば小学生に上がる年齢)になれば、他の家や村での見習い修行を通じて、大人と同じように働き、扱われる存在だったことがわかります。小さいなりに体力や知識に応じた、課題・役割が与えられていたのです。

 生みの親よりは、親方の家庭=育ての親について実務をしっかり叩きこまれるわけです。当然、自分の子供部屋もプライバシーなどありません。
 今のように、子供だから、という理由でことさら特別扱いされたり、溺愛・甘やかされたりする、ということはありえなかったのです。

では、日本においても「子供」が成立していったのは何故でしょう?

■「子供」の成立と学校制度
 現代のような「子供」が成立したのは、近代になってからです。
 特に、学校制度の普及が大きな役割を果たします。

 近代国家が成立すると、工業・商業・官僚制度の整備が国家間闘争の要になります。国力増強のために、子供を農漁村の共同体から引き離して、都市の労働力として標準語と最低限の教養を植え付ける巨大な組織=学校の整備が必要とされたのです。

 学校に行くようになった子供は、それまでと違って、次第に働かなくなりました。
 後に教育期間は長くなっていきましたから、労働経験のない期間も長くなるわけです。こうして、働かない「小さな大人」=「子供」という特殊な身分が生まれ、いわゆる「青春」という概念や、近代的なモラトリアムが生まれました。

 また、子供が親の独占的な愛情の対象、溺愛の対象となるようになりました。かわいがる、庇護する、甘やかす親が、こうして誕生し、家庭のプライバシーは絶対化されました。人権概念が普及すると、「子供」という特殊な階級のための権利、人権が制度化されていきます。

西欧では、「子ども」の発見と共に、子ども達を労働者として育成すべく、管理教育(奴隷教育)のような事態が横行し始めます。虐待の歴史はこの辺りから始まったと見做しても良いでしょう。人権観念と子どもの躾とは縁が深く、現実には子どもの私物化と共に虐待の歴史が始まったといっても過言では無いでしょう。

では、このような近代思想に染まる以前、つまり人権子どもといった概念の存在していない日本の子育て風景とはどのようなものだったのか?

ちなみに、教育といっても江戸と西洋ではこんなに違いました。

楽しかった江戸時代の寺子屋教育 より

西洋の教育風景
1004204339.gif

く、暗くて怖い(先生鞭持ってます)。。。

江戸の教育風景
1004204318.gif

やんちゃすぎて、見てるだけで楽しそう 😀 😀

また、当ブログにおいても以前紹介した事がありますが、実は西洋から見た日本の子育て風景というのは実に充足感に満ち溢れたものであったようです。

江戸時代の子育て~西洋人から見た日本~

江戸時代後期に来日したカール・ツンベルクというスウェーデン人が、『ツンベルクの日本紀行』を発行し、日本人の子育て法をヨーロッパにこのように伝えています
「注目すべきことに、この国ではどこでも子どもをムチ打つことはほとんどない。
子どもに対する禁止や不平の言葉はめったに聞かれないし、家庭でも船でも子どもを打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」

さらに明治維新後、すぐに来日したアメリカ人の動物学者エドワード・シルベスター・モースはこのように述べています
「また私は、いままでのところ、お母さんが赤坊に対してかんしゃくを起こしているのを一度も見ていない。私は世界中に日本ほど赤ん坊のために尽くす国はなく、また日本の赤ん坊ほどよい赤ん坊は世界中にいないと確信する」
「いろいろなことがらのなかで外国人の筆者たちがひとり残らず一致することがある。
それは日本が子どもたちの天国だということである。
この国の子どもたちは親切に取り扱われるだけでなく、他のいずれの国の子どもたちよりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく(中略)
日本の子どもたちが受ける恩恵と特典から考えると、彼等はいかにも甘やかされて増長してしまいそうであるが、しかし世界中で両親を敬愛し、老年者を尊敬すること日本の子どもほどのものはいない」

江戸時代と子供(1)

 日本について「子どもの楽園」という表現を最初に用いたのはオールコックであ
 る。彼は初めて長崎に上陸したとき、「いたるところで、半身または全身はだかの
 子供の群れが、つまらぬことでわいわい騒いでいるのに出くわ」してそう感じたの
 だが、この表現はこののち欧米人訪問者の愛用するところとなった。
  事実、日本の市街は子どもであふれていた。スエンソンによれば、日本の子ども
 は「少し大きくなると外へ出され、遊び友達にまじって朝から晩まで通りで転げま
 わっている」のだった。

    

 エドウィン・アーノルドは一八八九(明治二十二)年来日して、娘とともに麻布
 に家を借り、一年二ヵ月滞在したが、「街はほぼ完全に子どもたちのものだ」と感
 じた。「東京には馬車の往来が実質的に存在しない。四頭立ての馬車はたまにしか
 見られないし、電車は銀座とか日本橋という大通りしか走っていない。馬にまたが
 り、鞍垂れをつかんで走る別当を連れて兵営を往き帰りする将校にときたま出会う
 くらいだ。こういったものは例外だ。従って、俥屋はどんな街角も女心して曲るこ
 とができるし、子どもたちは重大な事故をひき起す心配などこれっぽちもなく、あ
 らゆる街路の真っただ中ではしゃぎまわるのだ。この日本の子どもたちは、優しく
 控え目な振舞いといい、品のいい広い袖とひらひらする着物といい、見るものを魅
 了する。手足は美しいし、黒い眼はビーズ玉のよう。そしてその眼で物怖じも羞か
 みもせずにあなたをじっと見つめるのだ」。

 カッテンディーケは長崎での安政年間の見聞から、日本人の幼児教育はルソーが
 『エミール』で主張するところとよく似ていると感じた。「一般に親たちはその幼
 児を非常に愛撫し、その愛情は身分の高下を問わず、どの家庭生活にもみなぎって
 いる」。親は子どもの面倒をよく見るが、自由に遊ばせ、ほとんど素裸で路上をか
 け回らせる。子どもがどんなにヤンチャでも、叱ったり懲らしたりしている有様を
 見たことがない。その程度はほとんど「溺愛」に達していて、「彼らほど愉快で楽
 しそうな子供たちは他所では見られない」。

 このことは彼らのある者の眼には、親としての責任を放棄した放任やあまやかし
 と映ることがあった。しかし一方、カッテンディーケにはそれがルソー風の自由教
 育に見えたし、オールコックは「イギリスでは近代教育のために子供から奪われつ
 つあるひとつの美点を、日本の子供たちはもっている」と感じた。「すなわち日本
 の子供たちは自然の子であり、かれらの年齢にふさわしい娯楽を十分に楽しみ、大
 人ぶることがない」。

 フレイザー夫人は日本の子どもは、「怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小
 言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく」と言っている。「彼
 らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪い
 ところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっ
 しておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉
 しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりす
 るのです」。

如何でしょうか?

明治時代の開国を機に、日本は西欧列強に追いつけ・追い越せとばかりに近代化の道を歩み始めますが、それ以前の日本社会はむしろ諸外国の識者が感銘を受け、羨望の眼差しで見る場面が実に多かったのです。

それどころか、地域共同体の中に子育てネットワークが形成されており、地域の子宝として見守られていた子ども達の眼差しは実に充足に満ち溢れたものであったようです。

もっと言えば、「子ども」といった区別の無い社会において、最初から仲間として育って行く。だから、村や町のどこに居ても、常に皆の中で当り前のように身近な存在として遊び、学び、そして良く働く存在だったのでしょう。

虐待とは程遠い世界。それが、日本の従来の子育て観の中にはしっかりと根付いていたんですね。

そういえば、最近巷で「ギャルママ」というキーワードを耳にする事が増えてきましたが、彼女達の活動は子育てネットワークに近いものがあります。みんなで集まって楽しく子育て。家庭に閉じこもっていても、一人で子育てに忙殺されていても、充足できない。ならば、外に出て仲間と集う事から始めよう!

100618.jpg
写真はこちら(毎日料理は7割以上、手作り弁当も約8割!? ギャルママたちの意外な一面)から

そんな子育ての原点回帰に向う若い女性と子ども達の笑顔も充足に満ち溢れていますね 😀 。

江戸時代までの共同体による子育てには、実際に「仮親制度」や「子ども組」といった地域ぐるみのセーフティーネットも、しっかりと形作られていました。制度は無くとも 充足規範 の存在していた地域社会の在り方を、さらに追求していきたいと想います。

(続く)

投稿者 kawait : 2010年10月09日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2010/10/1102.html/trackback

コメントしてください