家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(1)プロローグ~子育て=人を育てるということ |
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2010年10月02日
幼児虐待が起こるのはなんで?(4)児童虐待に関する法律の歴史
前回は児童虐待に至る親の側の意識を調べました。
ごく普通の家庭で起こりかねない状況であり、その背景には親たちの中に定着してしまっている個人主義的な意識が介在していることが見えてきました。
そこで、今回は、現代日本の中に浸透している、個人主義あるいは人権観念について、それがどのようにして浸透してきたかを見てみたいと思います。
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●児童虐待に関する法律・制度の歴史
日本では昭和8年(1933年)に「児童虐待防止法」が制定されました。(リンク)
~親や保護者による虐待や放任、軽業(危険な曲芸を身軽にこなすもの)、見せもの、曲芸、物売り、乞食などに保護者や親が児童を使うことを禁止したもの。ただし、この法で守られる子どもは14歳以下でした。~
この法律で規制している事象は、今日の「子ども虐待(児童虐待)」のイメージとはだいぶ異なる面がありますが、当時の世相の中でこのような法律がなぜ制定されたのか気になるところです。
当時は、4年前の1929年にアメリカ発の世界恐慌が起こり、日本でもその影響で経済的な危機に直面し、まさに法律に規定されているような出来事が多発していました。
そして、貧困故に子供を手放さざるを得ないような事情の下で起こっていたから、この法律を制定した効果はほとんど無かったようです。(ということは、この法律に基づいた具体的な罰則は履行されなかったわけです)
この法律の背景にあるとみなせるのが、西欧での権利宣言や法律制定などの動きです。
・1924年(大正13年)国際連盟で「児童権利宣言(ジェノバ宣言)」採択
・1930年(昭和5年)アメリカで児童憲章制定
児童虐待防止に関する歴史を振り返ると、最初に社会問題として取り上げられたのはアメリカでした。1874年に継母によって少女が虐待死させられた事件をきっかけに、1875年に児童虐待防止協会が設立されました。イギリスでは1884年に児童虐待防止協会が設立されました。
その後、ヨーロッパを主戦場にした第一次世界大戦が起こり、1919年に敗戦国ドイツに誕生したワイマール共和国で、国民の権利を重視したワイマール憲法が制定されました。また、1917年にはロシア革命によって社会主義国家(ソ連)が誕生しています。
1924年の国際連盟における児童権利宣言はそのような流れの中のものと見ることができます。
明治新政府樹立以来、日本は西欧流の法律や制度を取り込んで来ており、昭和8年の児童虐待防止法も西欧流の人権思想が日本社会にも及んできていた結果であったと考えられます。
一方、当時の世相は、まさに戦時体制に向かう状況で、国際連盟脱退や5.15事件といった出来事があった時期でした。
国際連盟脱退という時期に、児童虐待防止法のような西欧流の思想を背景にした法律が制定されているわけですが、それほど思想的な価値観念の浸透は防ぎようがないものだったと見なせると思います。
●第2次大戦後の児童虐待防止・福祉制度の歴史
児童に関連する事項をざっと眺めると、以下のような流れになっています。
・昭和21年(1946年)日本国憲法公布
・昭和22年(1947年)児童福祉法制定
・昭和23年(1948年)世界人権宣言(国際連合)
・昭和34年(1959年)児童権利宣言(国際連合)
・平成元年 (1989年)児童の権利に関する条約(国際連合)
・平成6年 (1994年)日本、児童の権利に関する条約批准
・平成9年 (1997年)児童福祉法改正
・平成12年(2000年)児童虐待防止法律施行(虐待の定義、通告義務)
・平成16年(2004年)児童虐待防止法改正
敗戦後のアメリカによる占領支配を経て、その後もアメリカの影響を受け続ける中で、日本社会はアメリカ流の個人主義に染め上げられてきました。学校教育の中身から様々な法律・制度、マスコミから流される情報や評論・理論、映画や音楽など、あらゆる面から日本人の頭の中の染め上げが行われてきたと見なせます。
上記の流れを見ると、国連で採択された人権宣言や児童権利宣言、児童の権利に関する条約などが先行し、日本はそれらに追従する形で取り込んできています。明治以来全く変わらない流れのまま現代に至っていると見なせます。
前回の記事で、戦後社会の変化の中で子育てが苦行になってきたことを見ました。
かつて、村落共同体や近隣相互の繋がりの中で、みんなで子供を育ててゆくという意識が共有されていたから、子育ては苦行になりようがありませんでした。
しかし、戦後、個人主義が広がり、核家族のプライバシーなどが重視されるようになるのと平行して、家庭や個人相互の繋がりが解体されてゆき、子育てはバラバラになった個々の家庭の責任あるいは義務として行わなければならないものになってゆきました。
恋愛結婚で家庭をつくり、個々の家庭が思い通りの豊かな生活を求めてゆくという「自由」を獲得してきたその代償として、個々の家庭は思いがけない重荷を背負うことになってしまっているようです。
それぞれが自ら求めてきたことの結果のように見えますが、改めてこれまでの歴史を振り返ってみると、社会全体を誘導してきた大きな仕掛けがあるようにも見えます。その当たりの真偽ははっきりしませんが、人権や福祉、自由などの西欧発の近代思想とそれに基づいた価値観念、法律や制度などは、改めて見直してみることが必要だと思われます。
(続く)
投稿者 wyama : 2010年10月02日 TweetList
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