「音読」の宿題に大苦戦 |
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2010年05月27日
こんな子育てがしたい♪~「農」で心を開く!?
「自然体験学習教室」~「類農園」さんからお借りしました
『こんな子育てがしたい』シリーズ10回目です。今までの記事は、
こんな子育てがしたい♪~共認充足がなければ生きられない
こんな子育てがしたい♪~共認機能の形成過程~
こんな子育てがしたい♪~子供には共認充足体験を~
こんな子育てがしたい♪~ミラーニューロンと共認機能
こんな子育てがしたい♪ 『話す』は、『応える』!!
こんな子育てがしたい♪ 子育てにおける自然の摂理の重要性
こんな子育てがしたい♪ 自然の摂理より気づく子育て(2事例)
こんな子育てがしたい♪「遊んじゃだめ勉強しなさい。」っておかしくない?
こんな子育てがしたい♪~アトピーや喘息の原因は?どうやったら治るの?
さて、今回のテーマは、「農」が子供の成長や教育に及ぼす影響についてです。
食糧自給率問題もあり、昨今「農」への関心の高まりが顕著ですが、農がもつ様々な可能性のひとつに、子供の教育上の効用が上げられます。
特に、都会に住む子供達を対象に、自然との触れ合える自然体験や農業体験関連のイベントは非常に人気があり、また、うつ傾向や自殺願望のある人に農業体験をさせることで驚くほど回復するという例もあるようです。
そこで、今回は改めて“自然の摂理”に立ち返ることで、こうした体験がなぜ子供の成長や精神疾患の改善に有効なのか?について、考えてみたいと思います。
いつもクリックありがとうございます。
ますは、「るいネット」 より、参考になる投稿をご紹介します。
因みに、「上中町企画」は、現在「かみなか農楽舎」として、農業研修事業、インターンシップ事業、体験学習事業、農業生産事業などを行なっており、新たな農の担い手を生み出しています。
「かみなか農楽舎」さんのホームページよりお借りしました
子供達のひ弱さや、精神欠陥の激増、生活の知恵の欠如等の現状を受けて、自然体験・農業体験が拡大しています。
まず需要の分析に入る前に、農の教育や人の心に与える意味について触れておきたいと思います。
農の持つ「効用」で、実感上及びデータ上確かめられていることとして、自然体験や生活体験(果物の皮をむく、野菜を包丁で切る等)の有無や頻度と、道徳観・正義感(ex.友達が悪い事をしていたら止めさせる、席を譲る等)とは強い相関関係があるという点が上げられます。
おそらくそれは、自然の圧力を前にしての自己の制御、自然の持つ癒し効果による充足感情、協働作業による達成感や一体感の充足の体験等に起因するものと考えられます。また体や手を動かす事と、自我の制御とが何らかの形で関わっているのかもしれません。
また他にもうつ病や拒人症の治療において、農作業が組み込まれた治療法がいくつか実践されています。関西では例えば、藤岡氏が主催する三重県名張市の「赤目診療所」が上げられますし、これだけでなく心理療法の一つである「森田療法」では、農作業が治療上プログラム化されているものがあります。また古くは明治維新の際に、社会的役割を失い、精神的空白に陥った士族を立ち直らせるため、規則正しい「農生活」を送らせ再生させた事例もある様です。
実際に人の心に「農」がどのような作用を及ぼしているのかは、理論的には実は私も良く分かりません。
ただ人間が共認動物であり、期待と応望を活力源とする存在である、ということを考えれば、おそらくこれらの回路を真っ当に開いていくという効用を持つということなのでは無いかと考えられます。
その点で思い起こされるのが、長年農業を行っている篤農家は稲などの作物と会話ができるらしいということです。実際会話を行っていく事で作物の健康状態や何が足りないかがわかる様です。話は脱線しますがヤマギシ会を創設した山岸巳代蔵氏は(彼は元々発明家であったようですが)稲と1日中会話していた人であり、このるいネットの「男女」の掲示板で議論されている「本源の性」(と思われる)を実践できた人でもあった様です。
つまり応望回路が非常に発達していた人のようです。元々人類はサル以来築き上げた、期待応望回路を自然を対象に転用し、自然の声を聞き取っていました。物言わぬ植物達の、ほんの僅かの現象上の変化を、応望回路を用いて捉え、その植物たちの声に応える事で充足を得るという形で、日常は「自我」の圧力が邪魔して開けない応望回路が素直に開かれていく。作物と接するということはそういうことなのではないか?と私は解釈しています。
都市という自然に対するある種のシェルターに守られて生きていると実感しづらいのですが・・・
自然や農業という対象(超越存在)は、何事も決して「自分」の都合では決まらない。
通常の仕事での対人関係においては、自我に基づく騙しや誤魔化しも可能だが、自然には全く通用せず、手抜きなしで対象に徹底的に同化しなければ成果(収穫)は上がらない。
自然は絶えず変化するものであり、“同じ”ということがない。
しかも、多様性に溢れ、微細な変化の連続。これを日々注視し→同化する中で作物に対する肯定視の感情が生起し、(上記、自我の封鎖も相まって)期待応合回路が再生される。
農業は一人ではできない~集団作業
かつての村落共同体では、家族総出はもちろんのこと、隣近所との合同作業も当たり前であり、ここでも周りの期待を注視し、それに応えていくことで、期待応望充足と共に共認回路が育まれた。
努力すれば、必ず成果につながる(サボれば必ず失敗する)
成果や評価が非常にはっきりしているため、やりがいが感じられ、活力に繋がる。(理不尽な評価や不透明さがない。)
つまり、徹頭徹尾「相手発」「対象発」の意識が形成させることで、共認回路が発達すると共に、内向きな“悩み思考”からの脱却が可能になるのではないかと思います。
こうした自然体験、農業体験による教育効果は、かつて、誰もが村落共同体における日々の労働において得ることができましたが、今や農業生産を営む農村であっても、こうした共同体も共同作業は失われ、同時に自然外圧や生産活動の圧力を活力源とした子供の教育の場も失われてしまったのが現状ではないかと思います。
こうした状況を受け、潜在的な危機意識から、子育てや教育と「農」や「生産」を結びつける試みが、至るところで実践されつつありますので、最後に紹介したいと思います。
■「農」の教育力~農村に全寮制の学校を作り、子供が農業生産を担っては? (「るいネット」より)
本源集団再生可能性
「農」の教育力って、何?
■「類塾」における「自然体験学習教室」の試み
世界金融危機で、より本質的な教育のニーズが顕在化する …『自然体験学習教室』
■その他様々な試み
農業小学校をつくる会
NPO法人 全国山村留学協会
全小中学校に農園~埼玉県「1学校1農園」構想
次回は、お母さん自身が不安を取り除いて「充足存在」になってもらうための方法についてです。
投稿者 kota : 2010年05月27日 TweetList
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