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2010年02月04日

家庭ってなに?~国家(力の序列共認)と その統合限界~


ベルサイユ宮殿 鏡の間
※絶対王政の象徴的建造物:ベルサイユ宮殿‐鏡の間
 
 現代、家庭(家族)はガタガタになったと言われます。
 ただし、家庭に限らず、学校も、企業も、国家も・・・ですが。
 
 何がどうガタガタになったのでしょうか?
 その本質に迫ります。
 
 そのために、「家庭(家族)」の前提を為す「国家」の成立構造を扱います。
 
 

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●前回は、以下を扱いました。~前回の復習~
 
 超国家・超市場論7 私権闘争を統合した 力の序列共認
 
 図解で簡単に復習しましょう。
 
図解
 
 ★国家成立の背景には、「自我に基づく同類闘争の圧力(外圧)」があった。
 ★人々は、秩序維持のために、力の序列原理を固定化する「身分」観念に収束した。
 
※確認!「<a href="http://www.rui.jp/ruinet.html?i=400&t=3
“>序列原理(とは本能原理!)」

性闘争は、殺すまで闘ったのでは、種が絶滅してしまうので、敗れた方が勝った者に従う『敗従本能』が付帯している。その結果、1位・2位・3位…の序列が出来上がる。動物の集団は、この序列によって秩序化され統合されている。この原理は徹底した力の原理で、人類社会の身分制度や肩書きも、この序列原理に基づいている。

 
●今回は、その続きです。~今回のテーマ:その統合限界とは?~
 
 この統合様式には、“限界”があります。
 さて、何でしょうか?
 
 超国家・超市場論8 国家(力の序列共認)と その統合限界
 

武力支配の国家では、性闘争→私権闘争を止揚した力の序列共認⇒身分制度の共認が、生産と消費の、その分担と分配の仕組み・在り様を決定している。即ち、武力を奪われた被支配階級がもっぱら働かされ、力を占有する支配階級がその生産物(富)を一方的に収奪し、消費するという仕組みである。

(その結果、支配階級は必然的に解脱充足に溺れて堕落してゆき、周辺のまだ堕落していない勢力によって滅ぼされることになる。これも又、武力統合が孕む統合限界の一つであるが、力による制圧以外に統合の方法がない以上、力によって統合するしかなく、諸国家は数千年に亙って戦争→支配→滅亡を繰り返してきた。)

たしかに、生物は絶対的な生存圧力に対しても、それを活力源として生きてはゆく。しかし、武力社会では私権闘争の圧力を活力の源泉としながら、生涯固定の身分制度によって、私権の拡大の可能性は閉ざされている。つまり、私権の強制圧力は、もっぱらマイナスの圧力(否応なく対応するしかない圧力)でしかなく、プラスの可能性が封鎖されている。この矛盾と限界こそ、武力統合の最も本質的な統合限界となる。

そしてその限界の中に、私権拡大の可能性を持った交換取引(それは明らかに武力闘争からの抜け道である)が生まれ、繁殖してゆく土壌があったのである。

 
 図解でポイントを確認しましょう。
 
図解
 
●補足紹介「古代国家ローマの家父長制度
>ローマにおける「家」(familia)の概念は近代的な意味での「家族」の他に「奴隷」「家畜」「財産」など「家父長」の支配下にあるもの全てを含み、血縁関係によって結び付くものではなく、純粋な法的制度であった。「家父長権」(patria potestas)は絶対的な宗主権であり、「ローマ国家」(res publica)に対する「支配権」(imperium)のような様相を持っていた。家父長は全家族に対して生殺与奪の権利を持った。
>ローマにおける典型的な家父長制家族が、何を土台として成り立っていたかを明らかにしなければならない。「農業」が基幹産業であり、奴隷を所有するある程度分解の進んだ典型的な「古典古代ポリス」のローマでは、「家父長権」を維持する最大の基盤は、そこで行なわれる「奴隷制農業」であった。代々農業資産を受け継ぎ、また常に反抗する可能性を持っている奴隷を掌握するために、家父長は強大な権力を維持する必要があった。そうでなければ「ローマ国家」(res publica)を維持することが不可能だったのである。
 
●補足紹介「ジェンダー素描 『家父長制』の謎
>元々、この「家父長」(patriarch)という言葉は、日本の旧民法で規定されていたような小さな「家」の長ではなく、「族長、長老、古老」を意味する。特に西洋キリスト教社会においては、元々は『旧約聖書』におけるユダヤ人の父祖を意味し、これが王権神授説の根拠にもなっている。つまり、人類の祖であるアダムが神から家長権を授かり、君主の権力はその延長だと考えられたのである。対するに、有名なルソーはその主著『社会契約論』の中で、この家長権を否定する。この場合は、性差別の解消を主張するためではなく、君主の権力の絶対性を否定する必要があったからだ。
 


 
※確認!「不全と解脱

不全とは、機能不全のこと。機能不全に陥ると、飢えや怯えや苦痛などの不全感に恒常的に苛まれることになる。この不全感を麻痺させる麻薬回路が、解脱充足回路。サルや人類は、何であれ不全感が刺激されると、その不全感を和らげるために解脱回路に収束する。解脱の中心はスキンシップを原型とする親和充足と性充足。人類の解脱にはその他に、涙や笑いや快楽など(一般には娯楽)がある。

 
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※日本(世界)で唯一野生の猿が温泉に入る!山ノ内町地獄谷
 
●今回のポイント
 
 誰もが私権の拡大を活力源にしていたが、徹底的にその可能性が閉ざされていく。
 ∥
 恒常的な“不全”(私権不全・自我不全・共認不全)が、解脱欠乏を蓄積していった。
 その結果、
 ・支配階級 は、現実の中で、目先に解脱埋没(⇒消費収束→市場)し、堕落する。
 ・被支配階級は、現実ではなく、頭の中を充たす倒錯観念(古代宗教)に収束する。
 
 注)日本の特殊性:江戸時代の農民は、恒常的な不全感は薄く、共認収束していた。
         (母系の村落共同体を色濃く残し、安定した社会の基盤を為した)
  
●注目!『解脱欠乏と交換で市場は生まれ、貨幣の統一で市場は拡大した

交換取引が繁殖してゆく土壌となったのは、蓄積された解脱欠乏だったのでしょう。武力闘争は力による制圧と力の序列共認によって統合されますが、解脱欠乏には充足を与えなければ統合できない、そこで取引原理が使われたのだと思います。/最初に生存圧力から自由になった支配階級が、収奪によって蓄積した富と交換で手に入れた奢侈品で解脱欠乏を充足させたのが、市場の起源ということです。

 
身分の差異により収束先が異なるが、身分の差異に関わらず『解脱欠乏が肥大化』していった。それが、(市場が登場する前の)『統合限界に至った私権集団(国家や家庭)』の内実だったのですね。 

投稿者 toya : 2010年02月04日 List   

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