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2010年02月06日

現行の『婚姻制度』~その中身と成り立ち(3) 夜這いの解体2

夜這い婚は村落における充足規範だった事が前稿で明らかになりました。

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写真はコチラから

現代とはあまりにも異なる風習ではありますが、現行制度と比べても遥かに長い歴史があり、その事自体が実際にみんなが充足していた。
充足規範が明治以降、じわじわと解体されていってしまったのです。

⇒本稿ではこの解体過程を紐解いて見ます。

夜這いの解体と一夫一婦制の確立2(るいネットより)

<明治時代 一夫一婦制実施>

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写真はコチラから
明治になって男女の結婚関係にも国家権力が介入するようになり、法令的な届出と戸籍記載による公認方式がとられ、一夫一婦制が実施された。
これによって事実として結婚していても、登記しないと結婚とは認めず、「内縁」関係として私的に承認することになったが、こうした男と女の「法律」的慣行は、もともと日本の民俗としては存在せず、ただ国家権力によって導入されたものにすぎない。
私たちの古い性民俗は多重的であって、単層的、つまり単一の法定的結婚様式をとらなかったのである。
このことを理解しないと、夜這いその他の性民俗の性格がわからないだろう。

現在、当たり前とされている結婚制度=「国家権力により導入されたものにすぎない。」
確かにこの認識転換は重要だと思います。
前稿に揚げられた様に、夜這い禁止令は国民になかなか受け入れられなかった。明治時代の国民が望んだ制度でもなかった訳で、為政者側の意図が透けて見えてきます。

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<明治時代 資本主義侵入>

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写真はコチラから

電灯の普及と民家の構造変化も、夜這いの廃絶のために打撃を与えたのは確かだが、やはり資本主義の侵入、商品流通の社会構造の変革が根本的素因と思われる。
明治政府は、封建領主ですらしなかったような、まさに掠奪的地租を賦課して農村を荒廃に導いたのである。
それは予定されたことで、いわゆる資本の原始蓄積、産業の資本造出のための手段であることは明らかであった。
かくして土地を奪われた農民は都市へ流出し、産業資本のために安価な労働力を提供する貧民として定着する。
ムラには、相互扶助の伝統があった。しかし土地を自ら放棄し、都市へ欠落ちしなければならなかった人たちは、出身の郷村とも絶縁するようにして都市へ逃亡する。低賃金による酷使と重労働、災害による死傷、都市の一隅への集中、貧民街の成立、こうして労働者、貧民の子女は遊廓その他へ売り渡され、残った妻たちも潜行的売春で漸く露命をつなぐという図式ができた。
多くの親たちの中には、進んで子供を売り渡した者もあっただろう。しかし、その意識がどうであれ、娘や子供を年季奉公で売り渡し、遂には妻にまで売春させねば生きてられないような、荒廃した世界を富国強兵とか、万国無比の国体の影で築き上げた独占資本と国家との責任は、さらに重大なものであったといわねばならぬ。

この荒廃状況は、産業革命時のヨーロッパと同じ光景だ。
学校の社会の授業で習った様に、
「文明開化→科学技術による豊かさ享受→その結果の恋愛・一対婚→自由の謳歌」
なんて歴史通念は全くの幻想である事がこの投稿が明らかにしてくている。
事実は、子を売り、妻を売り、それでも苦しい、荒廃しきった社会だったのだ。
富国強兵の命の基、国民から搾取し海外から平気を買い捲ったのが事実で、そのための村落解体(→根無し草の都市労働者の増産)であり、夜這い婚の禁止(→性の充足の剥奪)だった。
もっと根底には、市場拡大、そのための商品化された性幻想があり、恐ろしい事に、独占資本と国家の統合者がこれを計画的に実行した事だ。

次の投稿が、その過程を露にしてくれています。

夜這いの解体と一夫一婦制の確立3(るいネットより)

<明治初期~後半 娘宿の激減→消滅の原因>

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娘宿:写真はコチラから

若衆仲間は二十人、三十人とあるわけだが、娘仲間は女工・女中などの出稼ぎ、子守、女廊などに売られたりで、娘分として残るのはせいぜい十人か、十五人ぐらいであり、そのうちから二、三人は結婚して脱退するから、若衆組に比すると人数は少なくなる。
それが娘宿が激減し、消滅して行った原因であった。
絶対数からいえば、常に娘の数は、若衆よりも少なかったわけで、したがって争奪も激しいし、他所のムラへ遠征することにもなる。
また山村とか小さいムラになると娘だけでなく、後家、女中、子守まで加え、それでも不足すれば嫁などまで開放することになった。こうなると、娘宿は成立せず、女の講中が代わって出現する。したがって、(一部を除き)娘宿というのは急速に減退した。

村民がバラバラになり始め、少なくなっても、村の集団性を何とか維持しようとしたのが構中なのでしょう。
大衆は、荒廃した都市で煮え湯を飲むか?村落解体の渦中に身を置くか?の二択しかその進む道は無かったということになります。
そして、この村落解体を決定的にしたのが、身近な地主の変貌でしょう。
それまで、幕府の年貢要求などに対して村落側の立場で前面に立っていたであろう地主達が、権力、私益、へと擦り寄り始めたのです。

<明治時代 若衆仲間(ムラの組織のひとつ)の第一次的解体要因>

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袴:写真はコチラから
貧農や小作人との対抗のため、ムラの地主たちが郡、あるいは県段階で結合するようになる。
地域的、地方的横断組織が発達してくると、すぐに影響が大きくでたのは結婚である。
それまででも富農の間では村外婚が普及していたけれども、一般的には村内婚が多かった。
こうして地縁的関係よりも経済的関係が優先されるようになると、村外婚が多くならざるをえない。
それに明治政府の地方自治制度創出で戸長、村長などの格ができ、次に村会議員、群会議員、県会議員が出現し、ムラムラの家の格が明確になってきた。
ほぼ同格の家と縁組みするのに適当な基準が、政府によって公式に作られたのである。
そこで富農や地主層は村外婚、一般農民や水呑み層は村内婚と分化が進んだ。
村外婚をねらっているような家では、娘を密封し、「夜這い」から離脱させる。教育勅語を盾にして貞操を守らせる方が、高く売り出せるからだ。
男の方も京都、東京などへ遊学させることが流行し、そのうち地方にも中学校が建てられ、かれらの希望を満たすことになる。
どこのムラにでも「ハカマギ」(袴着)の二人や三人できることになり、ムラの若衆から敬遠され、排除するムラが多くなった。
昔は全的機能をもっていた若衆仲間は、こうして富農層の子弟を男女とも除外するようになる。
これが若衆仲間の第一次的解体要因であり、後に若衆組の経験がない富農層の子弟が、ムラの指導者となって若衆組を支配し、利用するようになる基を作った。

市場拡大の波が広がり、大衆(貧農達)の直上にまで及んだ時、彼らは徹底的に搾取される立場に立たされる。
明治維新は、封建社会を解体したってのは、状況を知ったら「嘘っぱち」と解かる。
この時の農民が、日本史上、最も搾取された身分だったのではないでしょうか?

逆に、この時の富裕層の子女をイメージすると、現代の暴走する官僚の生い立ちと重なる。
村の子供達と遊ばせて貰えず、隔離され、囲い込まれ、お受験と花嫁修業。
・・・・・同化してみると相当に可愛そうな立場。
「いつか見ていろ!」と悶々としながら親の敷いたレールを走り、ゴールは支配者(=特権階級)。
それまで、恨めしかった、夜這い婚などは真っ先に叩き潰して行ったでしょう。
この転換は、当時の裕福層の小学生が大学卒業してしまえば実現する。たかだが10年程度。村落解体は、相当のスピード感で実現したに違いない。

夜這い婚の解体過程がかなりリアルに把握できて来ました。
次は、昭和に駆けての夜這い婚の完全廃絶までを追って行きます。

投稿者 gokuu : 2010年02月06日 List   

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コメント

1/30のエントリーに「官僚は優秀ではなく、運が良かっただけ」という記事がありますが、上記の

<どこのムラにでも「ハカマギ」(袴着)の二人や三人できることになり、ムラの若衆から敬遠され、排除するムラが多くなった。

とあるように、まっさきに私権に飛びついた自己中な富裕層が、村のつま弾きに合いながら官僚という権力を目指して行ったようです。

<後に若衆組の経験がない富農層の子弟が、ムラの指導者となって若衆組を支配し、利用するようになる基を作った。

規範を守れないものが作った仕組みが、今の国会であり制度の基礎となっていると思うと、社会閉塞の原因もそこにありそうです。

国民(みんな)の力で、早々に官僚等の権力を無効化した方が良いですね、やっぱり。

投稿者 匿名 : 2010年2月9日 16:53

>村落解体は、相当のスピード感で実現したに違いない。

地方における夜這いの風習は、昭和の初期まで残っていたと聞きます。そこまでかかってようやく夜這いが無くなったということは、日本の農民の婚姻に対する意識は「夜這い婚」が最もFITするもので、国家が権力で強引に一対婚にしてしまっただけと言えるでしょう。

投稿者 とりぷるえいち : 2010年2月18日 19:22

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