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2021年05月13日

日本の学校教育は、考えない人間を生み出している

日本の学校教育は、考えない人間を生み出している

 

日本の学校で重要な役割は「日本人がサラリーマンとして通用するように規格化すること」

・・・「忍耐が大事」とか、「連帯責任」をやたら身に着けさせようとするのはこのためだったのですね。

でも、大きく変化するこれからの社会、それだけで生きていけるのでしょうか。

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http://www.peters.jp/ba/future_direction/japanese-school-education-creates-unthinkable-people_real-position-of-japanese-salaried-workers_607.html

http://www.peters.jp/ba/future_direction/do-not-think-about-the-role-of-japanese-school-education_608.html

より引用します。

 

「日本のサラリーマンの本当の姿」

 

身体は、痛みや変調のシグナルを出してくれます。つまり、警告を出すことでそこから本人が身体を護ろうとする態勢に入るわけです。

しかし、身体を護ってくれるのは身体の警告シグナルだけではありません。様々な多くの情報の中から本当に大切なことを感じ取れる「心」の方がむしろ重要だと思います。その感じ取れる心が、あなたの将来の危機から救ってくれることになるわけです。

さて、この数十年間、詰め込みや押し付けばかりの日本の学校教育ですが、海外から眺めていると、まるでロボット人間の大量生産の場と化しているように見えています。これが大切なことを感じられない「人間」に追いやり、不幸や死に追いやってしまう原因だと考えてしまうわけです。

身体は痛みを感じて危険を知らせてくれますが、その前に心で感じられなければ、多くの危険な領域にあなたはすでに入り込んでいることになっているかもしれません。学校に洗脳され、マスコミに騙されながら、どんどん危険な局面に接しているように思います。

それに気づかないのは、一部だけではなく、様々な世代の日本人にも当てはまっているように思います。なぜなら、出会う日本人と話すたびに、多くの人が感じ取れる心の領域がかなりしぼんでしまっているからです。

動物は、危険を感じ取れる嗅覚を持っています。しかし、今の日本人は膨大にあふれる物質社会の中で、心と魂がどんどん隅に追いやられていると感じます。特に、まだ人生経験が少ない20代にもその傾向が見えていることはとても残念なことです。

多くの日本人は大きく勘違いしているように思うのですが、「覚える」というのと、「考える」ことができるというのは、別のものだということです。

この2つは似ているようで全く違う脳を使っています。「覚える」というのは、世の中の原理原則を覚え、歴史を覚え、仕組みなどを記憶する左脳によってインプットしています。しかし、「覚える」というのは単なる基本であって、本来はそこからさらに飛躍しなければならないわけです。それが「考える」という右脳を使ったアウトプットです。

学校が何かを覚えさせる場所であるというのは誰でも知っていますが、しかし、うまく考えさせることができないようです。なぜなら、日本の教育は構造的に「覚えさせても、考えさせない」という教育になっているからです。

覚えさせても考えさせないということは、そもそも「考える」という部分を軽視していることになります。それは、学校が何のためにあるのかを考えれば理解することができます。要するに、学校とは閉鎖された日本社会で通用する「人間」を作り出すところだということです。

日本で「社会に通用する」というのは、どこかの会社や組織のサラリーマンになれるということです。世界的に見ても、教育とは子どもを規格化するという側面がありますが、学校は最終的に子どもを社会で通用する人間に矯正する場所です。子どもを規格化するということです。

世界的には珍しい特徴として、日本では国民の80%以上がサラリーマンであることを考えると、日本の学校で重要な役割は「日本人がサラリーマンとして通用するように規格化すること」ということになりそうです。

しかし、日本のサラリーマンとは「上司の言うことをよく聞いて、口答えせずに言われたことを忠実に行い、不満があっても黙々と働き、集団生活を優先する」ということができる「人間」でなければいけません。

だから、日本の教育はその現状に沿って、そういった「人間」を作り出す仕組みになっていると思われます。「上司の言うことをよく聞く」とは、自分の意見を持たないで指示待ちの「人間」になるということです。つまり、自分で「考えない」ことが重要になってきます。

そして、「口答えしない」というのも、自分の意見を殺して会社の意向を無条件で重視するという意味があります。つまり、自分で「考えない」ことが重要です。また、「言われたことを忠実に行う」というのも、ロボットのようになるということであり、それは自分で「考えない」ことが求められていることになります。

さらに、「不満があっても黙々と働く」というのは奴隷のような状態も同じで、「考えないようにする」ことで達成できるものです。最後に、「集団生活を優先する」というのも、結局は自分の意見や考えよりも会社集団を尊重するということであることから、「考えない」ことで達成できるわけです。

 

「日本の学校教育は考えさせないことが役割」

 

日本のサラリーマンというのは、考えることよりも考えないことが求められる職業(職種)だと思われます。そのために、何をどうするかという部分についても「考えさせない」ために、大企業を筆頭に「マニュアル」というものを用意しています。

まずは、マニュアルというのは、実は人間を「考えさせない」ためのものだということに気づかなければいけません。マニュアルは効率化とサービスの均質化を生み出すので企業にとっては好都合な存在です。

しかし、逆に考えると、それを行う「人間」「この通りにやれ」という強制になるわけです。企業側は誰もが同じ手順で行うように強制し、一切の例外を認めることはありません。要するに、マニュアルは、「よけいなことを考えるな」というメッセージだということになります。

このような中、サラリーマンが考えて良いことは、会社が「考えろ」と強制した部分だけになります。それ以外の部分は「考えないこと」が期待されているわけです。そもそも考えるというのは、自分の意見を持つということです。

考えて自分の意見を押し通すというのは、集団よりも個人を優先するということです。日本のサラリーマン全員が、自分の好き勝手にあれこれ考え始めると統制がとれなくなるわけです。だから、あれこれ「考えない」で、言われたことだけを完璧に実行するロボットのような人材を大企業を筆頭に欲しがり、学校はそれを意識的にも無意識的にも読み取って、そうなるように子供を矯正していくわけです。

政府や文科省、企業から学校に課せられた役割とは、「上司の言うことをよく聞いて、口答えせず、言われたことを忠実に行い、不満があっても黙々と働き、集団生活を優先する」人間を作り出すことです。そして、日本国民の80%以上が学校を卒業してサラリーマンになるのだから、その意味で学校教育は成功しているわけです。

「人」というのは何かをいろいろと覚えさせれば自然に「考える」ようになってしまう性質があります。しかし、日本の教育では「考えさせない」ことが役割になっているため、学校ではどうやって子どもたちを考えさせないようにしているのでしょうか?

それには、まず暗記を押し付けて「考えさせない」ようにし、苦手を押し付けて「考えさせない」ようにし、そして制服を押し付けて「考えさせない」ようにし、また規則を押し付けて「考えさせない」ようにし、さらに団体行動を押し付けて「考えさせない」ようにすることで、成し遂げられているように考えられます。

日本の教育現場では、実際に学校は考える余裕がなくなるほど暗記させています。そして、暗記を子どもにひたすらやらせると自然と右脳が使えなくなり、脳全体で考える暇がなくなるわけです。

私が言いたいことは、暗記教育が全て悪いわけではないですが、暗記重視によって考えるという部分が消失してしまうようにしていることが問題だということです。得意なことを伸ばさず、苦手を克服するように仕向けるのも、考えさせるのを嫌にするための手法だと考えられます。

誰もが苦手なものを考えるのは苦痛なものですが、その苦痛を押しつけることによって、考えることそのものを苦痛にしてしまうわけです。その結果、海外で正しい教育を受けた人の一部以外、日本人の誰も考えなくなってしまいます。

制服を押しつけるのも、個性を殺して「考えさせない」ための有益な手法だと考えられます。細かい規則を守らせるのも、団体行動を強制するのも、すべて「考えさせない」で「従わせる」ためのものだと思うわけです。

学校が行き過ぎるほど細かい規則を守らせることは、結果的に「何も考えず、黙って従う」人間を作り出すことになっているように思います。今日も日本の学校は、考えない「人間」を生み出しているわけです。

これまで日本で受けた教育は、基本的に社畜になるための教育だったことから、「自分を取り戻す」ためには、一旦、学校で覚えたことはすべて忘れる必要があると思います。ただ、サラリーマンで居続けたい「人間」だけはそう考えてはいけません。なぜなら、下手に考えると、社会からはぐれてしまうからです。

投稿者 hoiku : 2021年05月13日 List   

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