| メイン |

2021年03月19日

教育に専門家など必要ない。

学校の先生はみんな教員免許をもっています。免許がなければ学校で教えることはできません。
いわば教育の専門家ということです。

ですが、その専門とするところは学習指導要領に沿って授業えおするだけ、テストをして成績沿った進路指導をするだけです。進路指導といっても生徒の将来、人生の方向性などはどうでもよく、進学できる学校を紹介するだけのことです。

これが教育の専門家・プロのしごとでしょうか?
いや、そもそも教育に専門家等必要なのでしょうか?

 にほんブログ村 子育てブログへ

以下(https://datsugakkou.com/category3/entry99.html)より引用します。
————————————
教師は教育の専門家ではない

教師は教育の専門家で何でも知っていると思われていますが、それは違います。

教師は教員免許を取得し、採用されたという「公務員」の1人に過ぎません。この点をよく理解していない人が多すぎるのです。

教育に専門家など必要あるのか

再三にわたってお伝えしてきたことですが、教師と呼ばれている人の中で民間企業でのまともな活動経験がある人物はそれほど多くないのが一般的です。

公務員として永久就職を目指して教師になる人自体が珍しくも何ともないからです。

そして、学校の授業というのは殆ど例外なく教師が学習指導要領に従って教科書などの内容を黒板に書き写し、児童生徒らに対して暗記するように命令するというものです。

でも冷静に考えてみてほしいものですが、教科書に書いてあることを学べばいいだけならば教師の存在など不要だと少し考えれば分かると思います。

基礎的な識字能力が備わっていて文字が読めるのであれば、独習することは難しくないでしょう。

別に教員免許を持った教師がわざわざ授業を行わずとも、他に代行できる人は山ほど存在するわけです。子供たちだけでも学ぶことだって可能なわけです。

それならば、教員免許を持つ人間だけが学校で子供を集めて一斉に授業をする必要など果たして有るのでしょうか?

むしろ私は独学で学んだ方が効率が遥かに高まり、余計なプレッシャーなどもかからずに伸び伸びと学習できると考えます。

実際に私自身が小学校の低学年のときに他の人間よりも学習の理解度が大きく遅れていまして、教師の授業ペースに付いて行けない時期が長かったのです。

そのことで自分だけ理解できず付いていく事ができないという劣等感やプレッシャーがいつも存在しており、教師からも「駄目な奴」扱いされていました。

今思えば本当になぜ学校などに通って授業など受けていたのだろうと思うのですが、もう一度ここで学校の教師たちの存在意義を疑って見て下さい。
学校という世界以外を知らず、児童生徒(子供)の気持ちが別段理解できるわけでもなく、子供の将来の選択肢を増やすことなど目的に無いような人が教師になっているのは正常でしょうか。

私はあまりにも異常だと思いますし、そうした教師に教えを請いたいとはとても思いません。

「テストで良い点を取りなさい」か、「良い学校を卒業しなさい」などと言うばかりで本当に大切な事に気付かないような人に進路指導などを任せる事自体がおかしな現象です。

公教育というものを私は快(こころよ)く思いませんが、このあたりで資格を持った人間でなければ教えられないという発想をまず変化させるべきです。

江戸時代までの日本では教員免許を持たない民間人が人々を育てていいたものですが、そうした過去の方針に戻した方が健全なのではないでしょうか。
—————————–

投稿者 hoiku : 2021年03月19日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2021/03/7891.html/trackback

コメントしてください

*