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2020年10月23日

いじめやブラック校則と闘うのではなく、学校そのものを解体しなければ子供たちを救うことはできない。

なくならないいじめやブラック校則。

企業ならブラック企業や、セクハラパワハラと問題にされることが多いのに、学校に関しては当事者の問題とか、教育方針といったごまかしで、深く立ち入れない現実があります。

このブラックボックス化した学校という存在そのものが、いじめを生み出し、反社会的な教師の行動を許しているとしたら・・・

私たちは、いじめや校則と闘うのではなく、学校そのものの存在を問題にしなければならないのかもしれません。

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以下(https://socialaction.mainichi.jp/cards/1/79)より引用します。
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◇不登校のきっかけの5割が「友人との関係」

ーー不登校の理由に、いじめはどれぐらいの割合を占めるのでしょうか。
石井 文科省が「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」をしています。そこでは不登校の理由について尋ねていますが、この調査には大きな問題があって、学校からの報告をまとめたもので、当事者の児童生徒にはほぼ聞き取りがされていません。

一方で、当事者から聞き取った調査もあります。2006年中学3年生の時に不登校だった人の追跡調査を11年にとっています。そこでは不登校になったきっかけについて52.9%が「友人との関係」(複数回答)を理由に挙げています。いじめと断定するのは難しいですが、半数がクラス内の人間関係で悩んでいるというのは、当事者を取材してきた体感としても近い数字だと思っています。
◇見えづらくなっている子どもたちの間の悪意

ーーいじめを受けている子どもたちは親や先生へ相談しているのでしょうか。
石井 我々が話を聞く当事者のほとんどが相談をしています。先生や周囲の大人に相談するのは、この20年で多くなっていると感じています。親だけではなく高い割合で先生にも相談しています。ですが、ほとんどの場合解消していません。

理由はさまざまですが、一つは教員の運営能力がないケースも多いです。相談をしたら、加害者を呼んで、相談者と握手をさせて終わりにする。その後、当然いじめは激化します。子どもを守るために先生が動いていない。学校がいじめを認知した件数が30万件以上あるのに、9割は解消したとしているんです。
もう一つは、先生が一人の生徒を守るのが事実上困難になっているということです。今、学校では「スクールカースト」という構造ができています。人気者だったりスポーツが得意だったりする「上位層」、ごく普通の「中間層」、大人しいタイプも入る「下位層」というように「階級」が分かれている。

いじめにしても従来の「多数が一人をいじめる」という構図ではありません。生徒間の力関係の差に基づいて、中間層の子は下位層の子をいじめる側になる一方、上位層からはいじめられる側になったりする。今起きているいじめは「子どもたちのありのままの存在を否定する」という高度なコミュニケーション操作の中で起きているので先生がその構造の中に入り、介入することができない。先生からは誰と誰とのコミュニケーションのラインが途絶えているのか、見えにくいんです。

こんな当事者の話があります。生徒は友達のグループの中に入っていて、会話もある。でも何か嫌な役割を押し付けられたり、ボケ担当のように無理にキャラクターを強要される。変なところを笑われ、みんなが楽しそうにいじってくる。本人はいじめではないと思っているので、我慢し続けるんですが、本当の自分ではない役割を強要され続ける。「存在自体の否定」ですね。そして、ついに耐えられずに学校へ行けなくなりました。悪意が見えづらくなっている。先生にも当然見えづらくなっているわけです。

◇「ブラック校則」 学校そのものが病んでいる

ーーほかにも先生に相談しても解消しない理由はありますか。

石井 近年新たな課題として浮上しているのは、「ブラック校則」と呼ばれる、細かく厳しい校則です。学校の監視傾向はどんどん進んでいます。「ブラック校則をなくそう!」プロジェクトが今年の3月に発表した調査結果では、若い世代ほど細かい校則を経験していました。チャイムの前に着席する、スカートの長さを決められる、髪形を細かく指定される。保護者や教育委員会からの要請もあるのでしょう。でも、これははっきり言ってパワハラなんです。

下着の色をチェックされたという声も調査をする中で寄せられたそうです。現役の女子中学生が男性教諭に「今日の下着の色、青色だったでしょ」って言われて恐ろしかったというんです。完全なセクハラですよね。
先生自身がパワハラ、セクハラをしていて、生徒間のいじめに気づけるかといえばそれは難しいと思います。人権感覚を奪われていますから。

校則やルールについては理解できないものが増えてきました。例えば、小学1年生のクラスで給食の時間に私語禁止というルールがありました。そこのクラスは発達障害の傾向がある子どもがいたので、対応するために担任教師と加配で別の教員がいたんです。一般的には複数の目があるとクラスにとっては良さそうですよね。でも、その二人の視点や感覚が同じだと良いどころかむしろ悪くなってしまいます。私語を禁止するために2人の教員が怒鳴り散らすんですね。なぜ子どもたちがそのような緊張感の中でご飯を食べないといけないのか。説明できる人はいないと思います。

これは特殊な例だと思っていましたが、別の小学校ではクラスの一人がルール違反をしたので黒板に「禁足令」という紙が貼られたということがありました。「連帯責任」として、休み時間にクラス全員が外へ出て遊んでは駄目だと。何が起きるか想像できますよね。ルール違反をした子が周りの子どもたちから「お前のせいだ」と責め立てられるわけです。その子はいたたまれなくなって不登校になってしまいました。「先生=大人」による行きすぎた指導は増え、連帯責任も増えています。子どもたちよりも、学校そのものが病んでいるように思えてなりません。
◇学校の仕組みを解体して流動性を高めよう

ーー子どもを守るためにできること、望むことは何でしょうか
石井 大人は子どもが生きているその瞬間を、「長い人生のための準備期間」などと思わないことです。当然のことですが、子どもは人生の本番を生きている。そこで苦しんでいるのなら、その時に解決しないといけない。もはやいじめが個人的な問題ではなくて、構造の問題になっています。先生も子どもも追い込まれていたら、中で暴力的な環境や行き違いが起きた時、エスカレートしやすくなると思います。ブラック校則などおかしなことをおかしいと言えない構造が学校にはあるのに、「そこ(学校)へ行かなければ大人になれない」というような単線的な選択肢しか示されていないことが子どもを不幸にしていると思います。子どもが育つ場所、学ぶ場所はどこかということを根本的に議論して、学校の仕組みをいったん解体し、複線型や流動性を増やすしかないと考えています。
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投稿者 hoiku : 2020年10月23日 List   

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