| メイン |

2020年08月21日

なぜ、大学へ行かなければならないのか。。.

子供たちの大半が高校へ行き、大学に進学し、就職する。こんなレールの上を走ることが当たり前になっていますが、なぜ大学に行かなければばならないのかを真剣に考えている人はほとんどいないのではないでしょうか。

大学で人間的に成長できる?専門知識を学ぶ?大学を出れば就職に有利?

今回は大学に行く意味について考えてみましょう。

 にほんブログ村 子育てブログへ

以下(http://www.fujitsubame.jp/kyouiku101-2.html)より引用します。
————————————-
なぜ、大学へ行かなければならないのだろう。

僕は、大学へ行きたければ行けばいいと思う。でも、行きたくないのなら、行く必要はないと思う。大切なのは、どんな一生を送りたいかだ。一度社会へ出て、それから大学を目指しても遅くはない。

とりあえず大学へ行けというのは、親にとって一番簡単なことだ。だって、とりあえずプロのサッカー選手になれとか。とりあえず、プロの野球選手になれとか。プロのゴルファーになれとか。
プロの将棋さしになれと言ったら、言われた方はびっくりするからね。

かといって、大工や職人、料理人の修業をしろと言っても、なかなか、カッコがつかない。世間体もあるし、とりあえず世間並みの学校を出てという事になりやすい。まあ、大工や、職人のどこが悪いと思うけれど。

そうなると、親の世間体のために学校に行くのかと悩んでしまう。だけど、肝心の親からは、その答えは得られないよね。だって、親だって解っていないんだから。

とりあえず、親にとって大学さえ出てくれれば、一応、親の責任を果たした気になれる。だから、その先のことはあまり考えていない。大学さえ出ていれば何とかなると思い込んでいるんだよな。
解っていないよな。

それでも最近、大学を出ても働かない連中が出てきたから、親も少し慌てだしている。でも基本的には困っていないんだよな。自分の子供だけは違うと根拠なく信じている。

親がなんと言おうと、結局、自分の人生だからね。自分で決めるしかない。親が悪いと恨んでみても不幸になるのは自分だからね。自分で自立しなければ・・・。

大学出たところで、引き籠もりやニートになったのでは、世話はない。昔の親は、とりあえず手に職を付けておけって丁稚や小僧に出したんだ。大学なんて、親の反対を押し切っていたものさ。だから、学費も生活費も自分で稼ぐしかなかった。それが苦学生さ。まあ、苦学生と言ったところで今の連中には解らないだろうけどね。

養老孟先生も言っていたけど、当時は、大学へ行くと馬鹿になるって本当に思われていた。つまりは、世間知らずの役立たずという意味さ。それでも大学へ行く、そう言う連中が大学へ行くのさ。
伊達や酔狂で大学へいってんではない。

確かに考えてみれば、今の親は、不真面目だよ。真剣に子供行く末なんて考えていない。とにかく大学さえ出せば、親の責任は果たせると思っているんだから。その点、昔の親の方が、頑固だったけど、責任感あったと思う。どうやったら、一人前の人間とし生きていけるかって真剣に考えていたもの。世間体なんて気にせず。

(中略)

昔の親や教師は、子供達が、世の中や社会に出たときに困らないようにと生きていく上で、必要な事、基本的な事を、絶え間なく躾てきた。例えば、挨拶の仕方とか、口のきき方、礼儀作法を事ある毎に躾、教えてきた。本来、それを教育と言っていたのである。

ところが、それを俗に言う闘争世代、つまり、我々から我々の一世代上までの世代の人間が、反体制、反権威の名分の本に総てを否定し、打ち壊してきたんだ。だから、我々の世代以降の世代は、
世の中や社会の中で生きていく上に必要な素養を習得できない内に世間に放り出される事になってしまった。

これからの社会は、社会人として必須の素養を身につけていない人間を前提として社会生活していかなければならないという事である。俗に言う、ニートもそうである。又、ストーカーも然り。人との付き合い方が解らないんだ。

また、インターネット中毒、引き籠もり、苛め、鬱、自殺、登校拒否、家庭内暴力、薬物中毒こういった事は、人と人との関係が築けない事が原因なんだ。大切なのは、人間の世の中で生きていくことさ。生きる術を身につけること。それは、単なる知識や技術ではない。生活するため知恵でなくては役に立たない。

最近、確かに、職人の世界も生活が厳しくなってきたけど、手に職を付けておけば、いざという時、潰しがきく。手に職を付けたいなら早い方がいい。手に職を付けておきさえすれば、生活には困らない。

その点、大学というのは、今でも中途半端なんだよな。大学出たから直ぐにプロになれるわけではないし、かといって社会人としての素養を身につけさせてくれるところでもない。大学の勉強って、プロになる為には、肝心なものが足りないし、社会人になるためには、大切なもの、社会人としての常識が欠けている。つまり、そういうものは、大学を出てから、また、正規の授業以外で身につけるしかない。

だから、目的も目標も持たずに大学へ行くなんて馬鹿げている。最低だよ。自分が何になるか、一生の仕事として何をするのかを決めるのは、大学へ行く前に決めないと、大学を出てからでは遅すぎる。とりあえず、大学に行ってからなんて甘い、甘い。大学に行くのを遅らせてもハッキリさせないと。

世間に出てから、改めて大学と言うところを見直すと学生時代とは違う見方ができる。学生時代ってゆとりないんだよな。とにかく、試験ができないとこの世の終わりのように思える。何を焦っているのだろう。何も焦ることはない。先ず自分がどういう生き方をするかを決めてから大学へ行っても遅くない。

(中略)

十五から二十歳って人生で一番大切というか、成長する時期なんだよね。その時を無為に暮らすなんて。学校に縛られることはないよ。学校に縛られていたら、学校の序列で人生が決められてしまう。学生時代の偏差値によって人間の価値まで決められたら、自分の一生を決められたらたまったらないよ。

経営の神様、松下幸之助だって、シャープの早川徳次だって、三洋電機の井植歳男だって、牧野富太郎だって、ブリヂストンの石橋正二郎、ホンダの本多宗一郎だって、トヨタの豊田佐吉だって、山善の山本猛夫だって、岩谷産業の岩谷直治だってみんな大学なんて出ていない。

近代物理学の祖の一人、ファラデーは、小学校しか出ていない。発明王エジソンは、小学校に入学したけれど、先生とすぐに衝突して家で勉強したのは有名な話。近代数学の基礎を作ったガロアだって、数学に興味を持ったのは、成績が悪かったからだし、大学を二回落第した。しかも、その試験官は、ガロアの解いた答えが理解できなかったからと言われている。

今は、大学へ行かないなんて言うと、親が反対するけれど。昔は、大学なんて出ても一文の得にもならない。世間知らずの馬鹿になるだけだと反対する親を押し切って、大学へ行ったものだ。本来それが大学というものだ。なぜならば、大学は、学問をしに行くところだからである。学問なんて、飯の種にはならない。

以前は、中卒高卒だって胸を張っていた。誰もそれだけで馬鹿にしたりはしない。それよりも、経営の神様と言って褒め称えた。大学へ行けさえすればと言うのは、逃げ口上さ。中卒だから、高卒だからというのは、自分に対する言い訳に過ぎない。大切なのは、自分が望んだ生き方だよ。
———————————–
大学に行く必要がなければ、大学に行くための高校に行く必要もなくなります。義務教育が終る中学卒業を一区切りに、仕事のこと、生き方について考える。受験勉強などという不毛なことに貴重な時間を費やすのではなく、社会に出て働く中で学んでいく方がどれほど役に立つか、今一度よく考えてみる必要があるでしょう。

投稿者 hoiku : 2020年08月21日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2020/08/7713.html/trackback

コメントしてください

*