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2020年08月06日
こどもが外で遊ぶことの大切さ ~そっか5
ところで、なんで、外で遊ぶのが良いのでしょう?感覚的に、経験的には解るのですが、そこにはどんな構造があるのでしょうか。一つは五感への刺激の豊かさ、それから生命にあふれていること、かなと考えています。成長に必要、とは即ち脳回路の成長です。人類が進化し、この脳を獲得する過程でものすごく考えたはずです。その考えた環境は自然の中です。考える対象は自然に対して「どうする」です。だから、成長過程ではそのトレースが必要なんだと思っています。
greenz さんより
“楽しい”からはじまる、小さな一歩を
ふたりの言葉に頷きながらも、「海や山に囲まれている逗子だからできることでしょ?」なんて思っている読者の方もいるのではないでしょうか。実際、逗子のように森から海までの距離が近く、つながりがこんなに見えやすい地域は、なかなかないでしょう。
でも今、「そっか」の活動は、様々な地域にまで飛び火中。東京都港区や目黒区、宮崎県市木といった地域でも、同様の取り組みの芽が生まれはじめているそうです。
八幡さん 俺は都会でもやる、って言ってますよ(笑)
たとえばキューバが食料自給率を急激に上げたように、自然があろうがなかろうが、使われていない土地をすべて食い物にしたら都内でも全然できることなんです。
その土地ではできないから生産高の上がるところに移住しちゃうとか、そういうことじゃなくて、ここで生きているから、ここで楽しむ。生産性が低くても楽しいことを生み出すことはできるし、なにより、自分でそれができたら楽しいじゃないですか。
また、小野寺さんは、今すぐ、ひとりでも始められるヒントを教えてくれました。
小野寺さん 共同体をつくったり半径2kmでまかなうのが難しくても、たとえば“友産友消(ともさんともしょう)”なら、自分ひとりからでも始められます。
田舎のおばあちゃんが送ってくれたお米と、自分のプランターで育てたハーブと、友だちが市民農園でつくったナスでご飯をつくるくらいなら、十分できますよね。
この前も、このエリアで “友産友消” をキーワードにしたマーケットをやったら、それはそれは盛り上がりました。工業製品はお金を払って買っておしまいだけど、誰かがつくったもののやりとりにたまたまお金が介在している、というかたちのマーケットでは、初めて会った人同士の会話もすごく楽しくて。
海に行くのがハードル高いお母さんだったら、友だちと小さくマーケットをはじめてみたりしてもいいし、やり方、はじめ方はいくらでもあると思います。
おしゃべりが止まらなかった“友産友消”マーケットの様子豊かな自然環境がなくても、ひとりからでも始められる“共同体”づくりの一歩は、すぐ身近なところにある。きっと、あなたの小さな “楽しい!”の種まきが、子どもたちと、私たちの未来をかたちづくっていくのです。
子どものとなりで、どうありたい?
最後におふたりに、本連載の問いである「子どものとなりで、どうありたい?」を訪ねてみました。
八幡さん 俺はいつもそうだけど、“楽しい大人”でいたい。「仕事しなくて大丈夫なの?」ってよく言われるけど、「一生懸命に楽しいことしてれば大丈夫だよ」って言い切ってる(笑)
苦労させないように先回りするのではなくて、「別に苦労したっていいじゃん、人生楽しければ、苦労も楽しくなる」っていう大人がまわりにひとりでもいれば、面白い。人生の選択肢がひとつ生まれるし、子どもももっと全方位的に「生きていても大丈夫」って思えるかな、って。
小野寺さん 私は、“幸せ”でありたい。
子どもは「優しくなりなさい」って言われて優しくなるんじゃなくて、優しい人に囲まれて育つから優しい人になるんだと思っていて。
私が子どもに望むことは、世界中のどこで何をしていても、自分にOKを出せて、幸せに生きていること。ならば、まず自分が何をしても幸せであって、子どもたちにそれを吸収してほしい。何を教えるより、自分がハッピーでいることが大事なのかな、と思います。
子どものこと、未来のこと。
ついつい、頭でっかちになって難しく考えてしまいがちですが、実はその根っこを育むヒントは、自分自身の足下にある。
ほしい未来が見えてきたら、まずは自分の足を使って、自分の地域を歩いてみることから始めてみませんか? その一歩の振動を自らの心と身体で感じたとき、「そっか!」という未来を変える気づきが生まれるのかもしれません。
投稿者 hoiku : 2020年08月06日 TweetList
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