当事者が語るひきこもりの気持ち |
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2020年01月30日
お手伝いできる子は出来る子?8 ~そのうち起業する子も出てくる2
続きです。
柔軟に対応するために、あえて”手段“から考える。アパレル業からPR・マーケティング業へシフトチェンジしたワケ
―起業された当時は、アパレル業をされていたんですよね?なぜアパレル業だったのでしょうか?
大関さん 今から8年前、当時はITを武器に起業する会社が多かったというのもあり、流行であるITとある種対極を行くような「ものづくり」で新しいことができるんじゃないか、と考えていました。そして、知的財産を使ったビジネスをやろうと思いました。しかし知的財産権を取得するとなると、どうしても「もの」を対象としたビジネスでないと厳しい。今この世の中にあるものに新しい要素を加えたり、アレンジしたりすることで知的財産権を取得し、販売することでビジネスをしたいなと思ったんです。そうしてさまざまな試行錯誤を繰り返した結果、男性用のネクタイ『ノーブルタイ』や女性用のネクタイ『セパレディ』などを開発・販売をしていきました。―今のお話を聞く限り、もともと「アパレルをやりたい!」という感情があったというよりは、起業するビジネスモデル手段としてアパレルが最適だった、ということでしょうか?
大関さん
そうですね。小学生の頃から漠然と起業したいと思っていて、高校生になってこの知的財産を使ったビジネス(=アパレル)ならイケる!と思い起業しました。
普通は、まずやりたいことがあってそれを達成するための手段として起業という選択肢を選ぶと思うんですが、私の場合は「起業したいけど、どんなことで起業しようかな?」と目的ではなく起業ありきで考えていました。
そういう意味では、セオリーから考えたら逆になりますね。
だからいい意味で「アパレル業でなければならない」という強いこだわりがあったわけではありませんでした。
―たしかに大関さんが運営している会社「ノーブル・エイペックス」では現在、PR・マーケティングを専門としていますよね。
大関さん
はい。アパレル業もそれなりに順調に業績を伸ばしていました。
しかし業種の特徴がら、先行投資で商品を作って売る、というビジネスなので在庫を抱えるリスクは常にありました。
故に、ベンチャー特有のスピード感みたいなものを持って仕事をしていく上では、かなり難しい状況だったんですよね。
そして何より私自身、新しい事業に挑戦してみたいという想いが強くなり、3年ほど前に、アパレルの事業をスピンアウトさせました。
私はそのまま「ノーブル・エイペックス」の代表として、アパレルの事業で培ってきた経験を活かし、主に女性をターゲットにした商品・サービスを専門とするPR・マーケティングの会社として再出発を果たしたのです。 ~後略
特別な事例かもしれませんが、お手伝い~日々の仕事が子供たちの仕事~生産への渇望を育むような気がします。
投稿者 hoiku : 2020年01月30日 TweetList
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