子供の仕事は遊びである!38 ~決め手は熱中力2 |
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2019年09月05日
たかが不登校を悪化させる親の対応(後編)
では、具体的に親はどうしたらいいのでしょう?
https://ai-am.net/correspondence2
より引用します。
学校へ行かなくっても子どもが健全でいられるかどうかは親しだい。そのとき親がすべきこと、後編です。
◆罪悪感や劣等感、恐怖感のある人とない人
学校に行く・行かないということを、子ども自らが選んだ。
そしてその選択を親はただ受け入れた。
シンプルなこの心境のお母さんのもとで過ごすお子さんは、100%、
学校には行ってないよ。
なんでって? 行きたくないから。
いとも軽く、こうこたえると思います。
そこには罪悪感がありません。
そう、この 罪悪感 がくせ者。
この罪悪感や劣等感、恐怖感に苦しめられるのです。
学校は行かなければならないと思っているから。
または、 行かなくてもいい 法律があって、そのことは知っているけれど、得体のしれない 恐怖感 に襲われるから。
一方で、公の学校に就学させる気はなく、「来春、子どもが就学年齢になるから、どこの学校がいいかなあとおもって、いろんなタイプの オルタナティブスクール を見学してるんです」と言って、全国をまわられている親子・家族もいます。
この親子・家族に罪悪感は微塵もない。
また、公の学校には行かず、 サドベリースクール や、 フリースクール、ホームエデュケーション・ホームスクーリングなど で過ごす子どもや、ときどき公の学校に行ったり、再度登校しだしたりしている子どもで、
イキイキしている子の親御さんは、ほぼ全員が、ただ、(公の)学校に行ってないだけ というふうに思われていて、罪悪感や劣等感、恐怖感などに苦しめられてはいません。
◆地球が がっこう
(公の)学校は行かなければならないと思っている人と、(公の)学校以外にも学び場があることを知っていて、地球が がっこうと思っている人。
(中略)
子どもの就学に合わせ、いろんなタイプのオルタナティブスクールを見てまわっている人の場合なら、はなっからだろうし、
子どもが学校に行かなくなったことで、実は外側があったことに気づき、世界の広さを子どもにも伝えることができた人が ただ、学校に行ってないだけ となるのでしょう。
◆本心は「行きたくないから行かない」
あなたが ただ、学校に行ってないだけ とおもっているのなら、子どもが発する言葉も「行きたくないから行かない」になっているとおもいます。
そこまでではないのだとしたら、子どももまた「学校に行きたいけど行けない」という言い方をしているとおもいます。
ただ、子どもははじめから、本心は「行きたくないから行かない」です。
でもそう言いきるのを子ども本人もまた罪悪感をもっているから、その罪悪感が自分(子ども)を許しません。
劣等感や恐怖感もジャマします。
加えて、学校に行くのはあたりまえと思っている家庭で育ってきた子どもが、「行きたくないから行かない」と言い切るにはすごいすごい勇気がいることだとおもうのです。
「行きたくないから行かない」。
それを言い切った子は「明日は行く……」とか、
「来週から行ってみる……」とか、
「春から行くから……」とかそういった言い方はしないです。
◆「明日は行く」と言って、行かない言動
「明日は行くから……」
そういって寝て、朝になると行かない……。
というか起きてこない……。
このご経験をされている親御さんは多いかとおもいます。
「行っても行かなくてもいいのよ、ただねお弁当の段取りがあるからどっち? 明日は行く? 行かない?」
こんなふうに言ってる親御さんもいるとおもいます。
あのね、この「明日は行くから……」。この言葉を訳すとね、
「お母さん、ごめんね。 学校に行けずにごめんね。ごめんね、ごめんね、お母さん。
お母さんを悲しませたくないから…
お母さんに嫌われたくないから…
だから明日こそは行こうっておもうんだ。
こんな自分ゆるせないから明日こそっておもうんだ。
でも行けないんだ…お母さん、ごめんね。
学校に行けずにごめんね。ごめんね、ごめんね、お母さん。
でもお母さん、ぼく(わたし)をきらいにならないでね。
お母さん、お母さん、見捨てないでね お母さん、お母さん…」
この想いの省略形が「明日は行くから……です。
お弁当の段取りがいるっていうけど、どうかお願いです。あなたの苦しみを子どもに担がせないでください。
お弁当よりも、からだは知ってる「本当」を、恐れることなく自由に表現できる環境、空気をつくってあげてください。
あのね、学校は行きたければ行きます!!
お弁当なくったって、行きたきゃ行きます。
柱にロープでくくりつけたって、「好き」なら行きます。
◆純真のメッセージ
学校に行かすことが大事なんじゃない。
行きたくない子を無理に行かすことが教育なんかではない。
◯◯ができないなら△△? △△もできないんだったら せめて□□? そんなね生きることに条件はいりません。
◯◯も、△△も、□□も、できなくていい。
世界はそこだけじゃない。
世界は広いんです!
あなたはあなたのままでいいんです!
小学1年の子が学校が合わなくて行かなくなるときの罪悪感や劣等感と、中学2年生や高校生が行きたくなくなるときのそれとは比べるまでもありません。
年齢が上がるにつれ、学校に行けないことは、 弱い人間が行う惨めな行為だととらえるし、襲いかかる恐怖感は精神を痛めます。
そこで親が、
世界は広いよー☆
学校に行こうがやめようがそーーんなことどうでもいいよ!
あなたはあなたのままで価値があるんだよー♡
学校に行こうがやめようが関係なく、どんなあなたもわたしは好きだよ、愛しているよ♡
というメッセージを100%の純真でおくれたなら、
年齢の高い子どもであろうとも、子ども本人が抱いた罪悪感や劣等感、恐怖感等はその瞬間に消え去ることとおもいます。
90%なら1週間ほど?
80%なら1ヶ月ほど?
20%なのに、100%だと言ってもそれはNG! 子どもにはウソがまるみえです(よけいに辛い)。
90%の親を見て……、
80%の親を見て……、
親が深刻に悩むのは学校に行けない自分のせい……、
自分が学校に行けれたら悩まない……、
やっぱり自分はどうしようもないダメな人間なんだ…… そうおもいます。
「明日は行くから……」のとき、
女優になりきって、子どもが行かなくっても、起きてこなくっても、にこにこしとける自分を演じてみて!
学校を休むようになって、
家にこもるようになって、
時に子どもがどこかへ出かけるとき、うれしい表情をみせないで! こんときこそ平常心装う女優になりきって!
学校に行った日と、自分(親)が思い描いたのと真逆の最悪の日に、ご飯や言動に差異をつけないでね。
ドアは静かに閉めてね。(思い描いた通りにならなくってもドアや言動はおだやかでいてください)
学校に居場所をなくした子どもが家でも居場所をなくしたらどうなるか?
どうなる?たかが不登校なだけやで?
いつか「不登校」なんて概念なくなるのにやで。
ただ、学校に行ってないだけ
親が子どもを信じられないのなら子どもは親を信じられません。 わたしたち親はそのことを子どもたちからすでに学んでいます。
みんながそれぞれ自分に合った選択をするのがいちばんいい ということも、
学校に行きなさいという言葉は子どもの正直さを奪う事実 も知っています。
親子や家族が信頼しあえないのは、体(魂)ではなく、頭で子育てをしてしまう ときです。
ひとのからだは頭がいいのです。
学校は自分の感性と合わないんです。からだはそのことをよーーーく知っています。
学校と合わないから行けないんです。
靴ずれする靴を履かなくたって、自分に合う靴を履けばいい。
合わないのならかえたらいい。
自分を大事にできるとこ、自分を大事にしてくれるとこにいるのがいい。
子どもにとって学校だけが社会ではありません。
何回だって言うで。
ただ、学校に行ってないだけやで
投稿者 hoiku : 2019年09月05日 TweetList
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