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2019年03月14日

子供の仕事は遊びである!14 ~経験は遊びの中で

「遊びの必要性」を続けます。子どもたちにとって、人として成長するために必要な経験は、勉強では出来ないですよね。

幼児教育等に学ぶこと

1 遊びの中で自主性と思いやりを育む

(1)「遊び」を大切にした保育
①よく遊び、よく遊べ
ある幼稚園のプレイルームの正面にこのひらがなの大きな文字がおどっている。
「よくあそび、よくあそべ」である。
かなり時代物の額縁だ。このことばには、この幼稚園の歴代の園長の幼児教育への熱い思いが込められている。遊びと生活が学びそのものの幼児教育であるが、これを正面に飾った人の勇気が伝わってくる。
そもそも、遊びが子どもたちの生活の中心であることは誰もが認めるところであるが、それが教育(学び)とは結び付きにくい時代があって、その考え方が今も引きずられている。そのことが子どもたちの発達を阻害し、小学校教育へスムーズにつなぐことができない結果を生み出してはいないだろうか。
子どもは「遊び」ながら、知識・技能をはじめとして自主性や思いやりなどを自発的に学んでいると言える。遊びの世界での学びは「子どもにとって価値ある知識・技能や活動」であるが、大人もそのことを価値あるものとして認めていくことが大切であり、「遊び」を幼児教育等のみならず、小学校教育へ、「遊びを通した自発的な学び」としてつないでいくことが大切である。あおぞら

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②「遊び」に見える幼児期の学び
幼児は友達と遊びの中で、いろんなことを学び日々成長している。次の事例は、ある幼稚園の自由遊びの時間の光景である。
年中クラスの10人ほどの園児が、砂遊びをしていた。砂山を作ったり、川を作ったり、どろだんごを作ったり…。そんな中、アキラが、生きたカエルを中に入れてどろだんごを作り始めた。得意気に友達に見せている。
「ほら、このだんごの中にカエルが入っているんだよ!」
アキラの周りに子どもたちが集まり、複雑な表情でその手元を見ている。その様子をいぶかしげに見ていたサトミが、アキラに向かって強い口調で責め立てた。
「カエルさんがかわいそうでしょう?やめなさい!」
「いやだ。だって、楽しいもん。」
「カエルさんにもいのちがあるんだよ。ひどいよ。」
アキラはどろだんごを丸め続ける。
アキラを男児たちが取り囲み、遊んでいる。いくらサトミが訴えても、アキラたちは全く聞く耳をもたなかった。
むしろむきになり、今度は、雨樋を滑り台にし、カエルの入っただんごを流して遊んでいる。カエルがだんごからはみ出ると、また、大きなだんごにして雨樋を滑らせ遊んでいた。
最初は勢いよく責め続けたサトミも、責めるのが自分一人であることに気づき始め、それまでの勢いがなくなり、何も言わなくなる。アキラはサトミの訴えを気にしつつも、自分の行動を正当化するような言葉を発しながら、どろだんごを丸め続けた。アキラと取り巻きの子どもたち、そしてサトミの間に微妙な空気が流れる。あんなに元気に話をしながら遊んでいたサトミが、その後は誰とも口をきかず、黙って遊んでいるのだ。心ここにあらずといった感じが伝わってくる。
しばらくして、サトミは意を決したように、しかしながら弱々しい声で、こうつぶやいた。
「逃がしてあげて。カエルさん、死んじゃうよ。」
すると、このやりとりを黙って聞いていたダイスケが、こう言った。
「ぼくの家でもミミちゃん、死んじゃったんだ。その時、すごく悲しかったよ。」
自分のペットの死に直面し味わった悲しみと、目の前のカエルのいのちを結び付け、サトミの意見に同調せずにはいられない様子であった。ダイスケの意見を受け、サトミは再び意見する。
「逃がしてあげようよ。かわいそうでしょう?」
口調には先ほどの勢いはなく、アキラを、周りを、諭すかのようである。するとミツルが、「ぼく、前にカマキリいじめたけど。大丈夫だったよ。」
「大丈夫じゃないよ。カエルさんにだってお母さんやお父さんがいるんだよ。カエルさんだけじゃなく、お母さんもお父さんも悲しくなるよ。」
「そうだよ。ぼくも逃がしてあげた方がいいと思う。」「そうだよ。」「そうだよ。」
今まで口を閉ざし、状況を静観していた周りの子どもたちも、々につぶやき始めた。
この目の離せない議論は、延々30分以上も続いた。担任を呼びに行こうかどうかでも議論が始まった。この場の雰囲気に耐えられなくなったのだろう。遂に、誰かが担任を呼んできた。途中、状況を説明してきたようである。担任は、静かな口調で子どもたちに問いかける。
「カエルさんは、そのどろだんごの中にいるんだね。どうしようか?」
子どもたちがこれまでの状況を口々に担任に伝える。すると、これまで口を閉ざしていたカオリが突然、アキラからカエルのだんごを奪い取り、ものすごい勢いで園内の隅にある小川に走っていった。そして、カエルを小川に放した。しかし、カエルは動かない。カオリの後を追いかけていったサトミは、「ああ…、死んじゃった…。」とうずくまった。
アキラもカエルの様子が気になっている様子で、一緒に小川のところまでやってきた。しかし、カエルは動かない。その姿をじっと見つめる子どもたち…。
すると、しばらくしてカエルがゆっくりと動き始めた。そして、泳ぎ始めた。子どもたちは初め驚いていたが、次第に笑顔になった。誰からともなく拍手がわき起こる。ふと気がつくと、アキラも一緒に拍手していた。元気に泳ぎ始めたカエルの姿を見届けた子どもたちは、はずんだ足取りで園舎の方へ向かう。もう片付けの時間なのだ。
園舎に向かう途中、担任がサトミにそっとささやいた。
「きっと今頃あのカエルさん、お父さんやお母さんと会って喜んでるね。よかったね。」
サトミはとても満足そうにうなずいていた。ペンペン草2

さて、この「砂遊び」の中でのアキラを中心にした幼児の学びについて考えてみたい。
まず、ここには、幼児が夢中になって遊ぶことができる環境がある。そして、アキラはその環境に生きたカエルをもち込み、楽しく遊んでいる。山やトンネル、川作りだけでは満足しないアキラの、環境に主体的に働きかける行動が見られる。
また、ここには共に学び合える仲間がいる。学び合える仲間とは、互いに考え合い、表現し合いながら、見方・考え方を変えていける仲間である。
アキラがカエルに興味・関心をもち、主体的に楽しく遊んでいることは評価されるべきことである。しかし、「いのち」という見方をした場合、自己コントロールしなければならないことがある。アキラもサトミや友達の意見に心は動いていたはずである。しかし、それが素直に表現できない気持ちも理解できる。カオリの突然の行動がこの事件に終止符を打ったわけであるが、これもまた予想外のことであった。しかし、言動に出るかどうかは別として、全ての子どもに、自ら考えて行動する「自主性」や「思いやり」の芽はあり、このような学び合いの中で、その子なりにその芽が大きく膨らんでいく様子がうかがえた。
子どもたちは、日々の「遊び」の中でかかわり合いながら、このように多くのことを学び成長していくのである。

③遊びがもたらす価値
遊びのもつ意味と、遊びにより育まれる力について、丸野俊一氏は、その著書の中で、遊びの中で育まれるものを次のように整理している。こうした遊びのもたらす多様な価値についても、実践の中で意識していきたい。(丸野俊一「遊び体験がはぐくむもの」『児童心理 95 年 9 月号』)

ア  具体的なモノを動かしたり、操ったり、道具を発見、創造、製作する体験世界

イ  動き、音、におい、光の世界で戯れる中で、五感を通して感性や感動を育む体験世界

ウ  現実と想像の世界を出たり入ったりしながら想像力を育む体験世界

エ  問題に直面しそれに挑戦する中での失敗や成功を通して、意欲や創造力や問題解決能力といった認知面のみでなく、気力、忍耐力といった精神面をも育む体験世界

オ  いじめる-いじめられる、助ける-助けられる、嬉しい-悔しい、喜び-悲しみといった感情を通して、思いやりの精神を育む体験世界カ 他者との約束やルールを破ったり守ったりした時に生じる事象を通して、自主性や社会性を育む体験世界

続けます。

投稿者 hoiku : 2019年03月14日 List   

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