| メイン |

2019年02月01日

学校教育~生命進化の歴史こそ最初に学ぶべきことではないか。

最近では環境問題や健康問題も小学校の授業で扱うようですが、あくまで近代科学に立つ自然観や、近代医学に基づく健康観に過ぎません。人間の立場から利用したり守ったりする自然。意識と切り離した装置としての人体観など、自然と人との根源的な関わりや、人の成り立ちから考えることはありません。

今回は人の内臓が宇宙と繋がっているという話から、私たちが自然を、自身の体をどう捉えるかを考えて見ます。

 にほんブログ村 子育てブログへ

以下(https://toyokeizai.net/articles/-/170332)より引用します。
———————————-
ヒトの「内臓」が宇宙とつながっている神秘

ヒトの体の原点

──ヒトの体内を植物性と動物性とに区分して見るのですね。

元は古代ギリシャのアリストテレスです。植物性器官とは栄養やエネルギーを体内に取り込み、吸収→循環→排出という流れで生きる力の働きをする部分、つまり内臓を指します。一方、動物性器官というのは知覚→伝達→運動という一連の機能を担い、餌を知覚する目や耳、それをとらえるための指令を出す脳と、指令をキャッチして動く骨や筋肉を指します。

──全体を通して三木先生は、植物性器官こそ生の営みの根源である、と強調されています。

そうですね。魚以前からの生命の歴史を考えてみると、基本は植物的なものなんですね。ナマコのような無脊椎動物、1本の内臓の管が生物の体の始まりで、そこに手足や目玉などが後からくっついてできたのがヒトの体。そう考えると本来の中心というか原点は植物的な部分にある。ところが現代文明、現代社会が人体の中で圧倒的優位に置いているのは脳です。

ヒトの体の真ん中には口、胃、腸、肛門と1本の管がデンとあって、それが吸収し消化し排泄(はいせつ)するという生命の営みの中心。そこを意識しなくなっていることに、三木先生の強い違和感がある。

──ヒトの体と魚時代の痕跡との関係性が新鮮でした。

上陸して空気呼吸を始めるとエラは不要となり退化して、くびれ、つまり首ができた。筋肉は上に移動して哺乳(ほにゅう)のため口周辺の筋肉が充実し、顔の表情筋、のどの筋肉、耳に進化した。顔面に集まっていた味覚細胞は乾燥を防ぐため口の中の舌へ逃げ込んだ。ヒレは伸びて手足となり、呼吸器という新しい器官が付け足された。

ヒトの耳の奥には液体があって、空気の振動が耳の中で液体に伝わり、液体の波に変換されて脳に伝わる。これも海の名残ですね。太古の海で単細胞の生物は海水中の栄養を全身から吸収していたが、陸に上がっても液体の便利な特性を捨てられず、体の中に血液などの形で液体が残った。これも生命進化の記憶です。

──胎児の世界でも、生命の進化が繰り返される──。

ヒトの胎児は「受胎から30日を過ぎてわずか1週間で、1億年を費やした脊椎動物の上陸誌を夢のごとくに再現する」という言葉を三木先生は残しています。受胎32日目の顔には魚の面影があり、エラ孔の列があって、手はヒレの形をしている。34日目になると両生類のカエルの顔に、36日目に爬虫類の面影になる。心臓には隔壁ができ、つまり空気呼吸の準備が整った「上陸」の再現ですね。体が水中仕様から陸上仕様になるという生命進化上の劇的変化に必死で対応し耐える苦闘が、ちょうどその時期、つわりとなって母体に表れる。そして38日目にようやく哺乳類の顔になる。

先ほど、血液という形で本来海の中にあった何かを体内に持ち込んだという話をしました。実際に母胎の中にマイクを入れて音を拾うと、血管を流れる血の音がまさに波の音に近いんです。ザーッと寄せてヒューッと引いていく。
太古の海辺のリズム

──ヒトの呼吸にも、太古の海辺のリズムが刻まれているとか。

太古の昔、海の中の生き物が上陸し、海の浅瀬に転がって長い暮らしを送っていたとき、呼吸は寄せては引く波のリズムとともにあったに違いない。

海辺では数十秒ごとの潮の満ち引きに加え、月の引力によって1日2回の干潮・満潮があった。それが1年で約700回、1億年なら700億回起きてきたわけですね。1本の管にも当然何らかのリズムが記憶され、対応力を備えないと生きていけない。さらに太陽と地球の関係で昼と夜が繰り返される。そして太陽に対する地軸の傾きで春夏秋冬の四季がある。つまり海辺には干満が昼夜が四季が作り出すリズムというか繰り返しがあって、1本の管にその変転のリズムが刻まれないはずがない。その1本の管が現代の私たちの体の真ん中に残っている。

───内臓という1本の管に刻まれた海辺のカレンダーで、春になると何となくウキウキする?

そうですね。無意識の中で繰り返し刻まれたリズムに人間は支配されていて、そのときに起こる“そこはかとない感覚”みたいなものを三木はこころと表現した。それは地球と月と太陽と、もっと大きな宇宙と対応しているわけで、そこがとても大事なのです。結局バランスですよね。動物的な体が持つ意識と植物性器官である内臓が持つこころのバランスが崩れてしまって、内臓のこころみたいなものがないがしろになっている。でも人間とはそんなものじゃないというのが三木先生の考え方。
内臓が宇宙とつながっている

──こころとは体にある、と。

脳で考える意識とは別ですし、感情とも別。喜怒哀楽は脳にスイッチがあり、ある種の無意識も脳の働きですけど、でも人間が持つこころには、それではすくいきれない、もっとそこはかとない何かがある。緊張すると胃がキリキリしたり、お腹の具合が悪いと落ち着かなかったり。つまり内臓がつながってる。そもそも体ができてきた由来を考えたときに、先程話した波のリズムと体のメカニズムが対応してるのと同じで、すべての内臓が宇宙とつながっていると三木成夫は考えた。
-———————————-
私たちの体がいかにしてつくられたか、体の営みが自然そのものであることを知ると、意識もその上に存在していることがわかります。頭の先っぽで環境とは、健康とは、などちまちま考えるのではなく、私たち自身が自然であるという捉え方はとても大切な認識だと思います。

近代科学の立場では、このような自然観は思想や宗教的なものとして排除されることが常ですが、自然破壊・健康破壊の元凶こそ近代科学。科学的思考でいくら自然や環境のことを考えても答えが出せないことは明白です。

環境であれ健康であれ、まずは自分たちの成り立ちを自然の摂理として知ることが学びの第一歩ではないでしょうか。学校で教えるなら行き詰まった文明史ではなく、生命進化の歴史こそが必要なのだと思います。

投稿者 hoiku : 2019年02月01日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2019/02/6706.html/trackback

コメントしてください

*