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2018年11月29日

「人間として調和のとれた育成」を行い、「生きる力をはぐくむこと」。今の小学校は義務教育の意義に反している。

毎年春になると就学期を迎えた子どもたちは小学1年生になります。
その前年に自治体から通知が来て「入学までに、○○ができるようにしてきて下さい」などといわれ、親の義務だとばかりに一生懸命練習させたり・・・小学校に入学するのが決められた道みたいになっています。

しかし良く考えると、小学校は必ず行かなければならないところではなく、義務教育の義務とは子供に教育を受けさせる義務であって、小学校に生かせる義務ではないことがわかります。

今回は小学校=義務教育が何のためにあるのか?を考えてみます。

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以下(https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=25533)より引用します。
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小学校は何のためにあるのか?

小二の娘は、学校がつまらないと言う。何となく馴染めないようだ。「行きたくない」とは言わないが、「なんで学校にいかないといけないの?」と問われたら、何と答えるのかと自問する。なぜ、子どもを小学校に行かせないといけないのか?そもそも小学校は、何のためにあるのだろうか?

 憲法第26条は「1.すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。2.すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする」と定めている。小学校に行くのは、児童の権利であり、行かせるのは、保護者の義務である。そして、この保護者の義務は、「病弱、発育不完全その他やむを得ない事由のため、就学困難と認められる者の保護者」でない限り、免除されない(学校基本法第18条)。

 親は、子どもを学校に行かせないと憲法違反になるのだ。だが、親が負うのは、「普通教育を受けさせる義務」であって、「小学校に行かせること」とは書かれていない。ならば、その「普通教育」とは何か。

 文部科学省の「小学校学習指導要領」(平成20年3月改定)によれば、小学校が目指すのは、「児童の人間として調和のとれた育成」である。そして、教育活動を進めるに当たっては、「児童に生きる力をはぐくむこと」を目指し,「基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得させ,これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力その他の能力をはぐくむとともに,主体的に学習に取り組む態度を養い,個性を生かす教育の充実に努めなければならない」とされている。今の「普通教育=義務教育」が目指すのは、「人間として調和のとれた育成」を行い、「生きる力をはぐくむこと」である。小学校はそのための場として存在する。

 逆に言えば、それを小学校以外でもできるなら、わざわざ行かせる必要はないということになる。実際に、そういう理由で、子どもを学校に行かせない親達がいる。いじめや引きこもりなどで学校に行けない(=不登校、登校拒否)のではなく、あえて学校に行かないことを選ぶのである。

 一般に、「ホームスクーリング」と呼ぶが、自分の周囲には、このホームスクーリングを選択している親が存外に多い。そして、その子ども達と話してみると、これがびっくりするほどしっかりしていて、魅力的な子が多いのである。ことに印象的なのは、自分の頭で考え、自分の言葉で話そうとする姿勢が身についていることだ。自分が感じていること・考えていることを大事にし、周囲に流されない。だから、初対面の大人にも、物怖じせず、本質的な議論をしかけてくる。読み書きソロバンのレベルはわからないが、「人間としての調和」がとれているように見えるし、「生きる力」も身についているように思える。

 現在、どれくらいの児童がホームスクーリングをしているかは不明だ。文部科学省の調査では、平成22年度の不登校児童数は、小学校で22,463人(全体の0.32%)、中学校で97,428人(同2.73%)となっている(「平成22年度 児童制度の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」)。ただし、不登校の理由を見ると、そのほとんどは、何らかの問題があって学校に来られない・来ない場合である。唯一の例外が、「意図的な拒否」を理由にしている場合で、仮にこれをホームスクーリングの子達と見なせば、その数は5,391人(小学生1,098人、中学生4,293人)である。

 ホームスクーリングが法的に認められている米国では、90年代後半からその数が急増し、2007年時点で、約200万人、全児童の約5%がホームスクーリングをしているという(National Home Education Research Institute調べ)。
 日本では、ホームスクーリングは、法的には認められていない。しかし、教育の現場では容認されている。そもそも、今の公立小中学校は、一日も学校に行かなくても、ちゃんと卒業証書を発行してくれるから(!)、ホームスクーリングでも、何ら問題はない。

 では、自分の子どもをホームスクーリングするかと問われれば、現時点では、しないと答える。だが、もし、子どもが学校に馴染めないまま元気をなくしていくようなら、その時は迷わずにホームスクーリングにしようと妻とは話している。無理に学校に行かせることで、「人間として調和のとれた育成」が阻害され、「生きる力」を失うならば、本末転倒だからだ。ちなみに、もう何年もの間、10~30代の死因のトップは自殺である。義務教育が、「生きる力をはぐくむ」ものになっているならば、そういう事態にはならないはずだ。

 だから、子どもが小学校に適応できないことを恥じる前に、本当にそこが「調和のとれた育成」をし、「生きる力」を育む場になっているか、きちんと見極めるべきなのだろう。学校を批判するのはたやすいが、残念ながら、いくら学校を責めても、教育の質が簡単に変わるとは思えない。ならば、最後は、学校に行かせず、自ら教育するほかないだろう。そういう覚悟を持って、子どもと向き合っていくのが、親の義務ではなかろうか。
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小学校の目的が「人間として調和のとれた育成」を行い、「生きる力をはぐくむこと」であるなら、根深いいじめがなくならず、不登校が増え、子供の自殺が後を立たない現実を見る限り、それは失敗だったといえるのではないでしょうか。

小学校自体が義務教育の意義に反しているといっては言いすぎでしょうか。でも学校に通うことで子供が元気をなくし、生きる気力を失っていくようなら、それは子供のせいではなく、学校に原因があるのだと考えるべきでしょう。

投稿者 hoiku : 2018年11月29日 List   

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