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2018年07月27日
熱中症問題~教師や学校批判でなく、学校制度そのものの問題を切開しなければ解決しない。
猛暑のなかの熱中症多発では、学校の硬直的な運営判断や旧態然とした指導方針(我慢や様々な禁止事項)が問題視されています。
自分自身学校に通っていた頃は、それが当たり前でしたが、社会人になって改めて振り返ると、学校は非常に特異な空間であったことに気付かされます。
今回はそんな学校の実態について、教師に焦点をあてて見ていきます。
以下(https://papimami.jp/56434/)より引用します。
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こんにちは。ライターのakiです。
教員経験ありの筆者から言わせていただくと、ほとんどの先生は尊敬できるいい方が多いと思います。教師を志すということは、本気で子どもたちを愛し教育に情熱をささげてるんだな……と感動すらします。
しかし、確かに中には、「ええ?」と思われる同業者の方もいました。相談者様がおっしゃるようにいわゆる世間知らず、非常識、と思われる先生方です。
・無断欠勤する
・生徒やその保護者に失礼な物言いや態度をする
・好き嫌いで生徒をひいきする
・自分を正当化して絶対に謝らない
などです。
では、そのような先生方が輩出される原因はなんであるのか。教員の方々から匿名で聞いてみました。
(1)先輩後輩の概念がなく、上司もおつぼねもいない
教員は、なったその日から一国一城の主人。この春まで大学生だった人も配属されれば『先生』。基本的に、先生同士は先輩後輩の概念がないので年齢に関わらず同等の同僚。もちろんお互い敬語です。
新米の先生ほどなめられたらダメと思うのか、生徒や保護者に対して必要以上に厳しかったりもします。あまりにもトンチンカンな振る舞いをしている先生がいたので、さりげなくアドバイスしたのですがプライドを傷つけられたといわんばかりの顔をして無視してくるようになりました。
『民間企業でそれなりの役職についてる保護者から、懇談会でこてんぱんに論破されている先生もよく見かけます。実際、保護者の方の方が社会をわかっているのかもしれません。会社では上司やおつぼね様がいて社会のマナーを教えてくれるものですが、そういう人がいないので我流でどんどん勘違いしたまま年齢を重ねる人がいるのかもしれません。もちろん、そんなこと関係なくしっかりと責任感と常識をもった先生の方が多いんですけどね』(30代中学教員)
(2)「他のクラスのことに口を挟まない」という暗黙のルールがある
隣のクラスの担任の先生が、忘れっぽく情緒不安定なタイプの先生でよく生徒に迷惑をかけていました。でも教員の世界では基本、自分のクラス以外のことで口を挟むのはタブーとされています。個々の先生が責任をもってそのクラスを任されているのですから。明らかに、「おかしい!」と思ってもスルーするしかないのです。自分だって、他のクラスの担任から自分のクラスのことをあれこれ言われるのは嫌ですし、そういうことをお互いやりだすと収集がつかなくなります。
『学年主任はいますが、その先生も自分のクラスを持っているので、自分のクラスで手いっぱいです。そういう意味で、複数の人間が客観的にクラスを見れる環境ではないので一元的な意見がまかり通ったりするのかもしれません』(20代中学教員)
(3)アウトプットばかりで自分が吸収できることが少ない
勉強を教えるのはもちろんのこと、ときには人としての振る舞いなども壇上で話さなければなりません。でも、先生になってから人に教えるばかりで自分が学んだり教えてもらえることって少ないんです。ですから、ゆっくり時間をかけて研修に行ったり自身の見聞や知見を広めたいなあ……と思うこともあります。
『思い切って退職して2年間海外留学して帰ってきた先生は、いろんな経験をして引き出しが増えました、と生き生きしてましたっけ。そういう意味では、教員もどんどん外に出ていろんなことを吸収できる機会がほしいな、と思います』(40代高校教員)
(4)叱られたことがない人が人を叱れるわけがない
教員になる人は、ほとんどが学生時代は優秀な模範生。先生に怒られることも少なかった人が多いです。ですから、最初は生徒にどう叱っていいのかわからない先生も多いと聞きます。感情論で怒ってるだけだったり、ただ単にくどくど心に響かない言葉を言ってるだけだったり……。
『会社にいると、お客様からお叱りを受けたり頭を下げたりする機会もあるのですが、そういうのもないですしね。ですから、妙にトンチンカンだったり横柄な先生も多いです』(30代高校教員)
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子どもを評価するけれど、自分は評価されることはない。
学ぶ姿勢を身につけさせるというけれど、他教員の意見を受け入れようとはしない。そんな姿が浮かんできます。
学校制度という枠の中で安住し、一国一城の主として絶対的な権限をもち、一方で保護者対応に気をつかいながら目先の校務で忙殺されている。教師の質云々ではなく、学校制度の在り方が社会と乖離し、時代の変化や社会状況、猛暑の危険性すら捉えることができなくなってしまってるのだといえそうです。
校長や教師の判断・対応に批判が集まりがちですが、そもそも学校制度そのものが社会を直視し考え判断できる人材育成の場になっていないこと、その教育を受けてきた教師もしかり。今回の問題も単なる学校批判にとどめず、学校制度という根本に踏み込んだ切開が必要です。
投稿者 hoiku : 2018年07月27日 TweetList
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