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2018年01月09日

野外保育の可能性1~屋外での遊びはDNAに刻まれている

自主保育を調べていて、野外保育の動きがどんどん広がっていることに気付きました。生産体での自主保育に野外保育の形を組み入れているところを探しましたが、残念ながら見つかりません。共同体化出来ている企業体が未だ少ないということでしょう。

なので、野外保育の流れをもう少し追っていきます。

森の風ようちえん

今、野外で子育てをしようとする人たちが増え、「森のようちえん」が全国的に広がりを見せています。

「森の風ようちえん」もその一つとして菰野町に2007年誕生しました。
昔スーパーだったところを保育室にして下さる方があり、「森のようちえん」としては珍しく立派な保育室を持ってスタートしました。森の風1

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見える野山を探検し、田んぼや畑を持ち、農を大切にしながら活動の場を広げていきました。
地域の方達から学び、支えられて「子ども達が暮らしていく場」が出来上がりました。
子ども達は3歳であっても生活者として逞しく、本当に働くことが好きで、自分達で話し合い、自分達で決め、行うことの出来る存在なのです。

児童憲章には「われらは日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、全ての児童の幸福を図る為に、この憲章を定める。児童は、人として尊ばれる / 児童は、社会の一員として重んぜられる / 児童は、良い環境の中で育てられる」とあります。
私達の国はこの児童憲章を定めてこのように子ども達を育てていきたいと決めたのです。

日本人が大切にしてきたものが地滑りを起こすかのように流れていってしまいそうで不安を覚えるこの頃ですが、子ども達の体に刻み込まれたDNAは「良い環境」に置かれたとき目覚め、弾け、お互いに尊びながら群を作っていくのです。このことを保障していくことが大人としての責任だと肝に銘じています。

子ども達が希望を持って生きることができますように。

何も無いところで楽しいことを見つけ、作り出し・・・
そうしながら幸せに生きる能力も身につけていきます。

子どもにとって遊びは学習であり、仕事であり生活です。森の風2

大人は頭で学んでそれを体におろしていく、
あるいは頭でわかって判ったつもりになっているというやり方をします。
人の実力とは知っていることと判ったこと、出来ることがひとつになったときに本物になります。
子ども達のやり方はやってみて感じて、やってみて感じて、それを何度も繰り返して「判る」のです。

自然の中ほど子ども達を驚かせ、目を輝かさせる場所はありません。
自然は全て神秘に満ち、完璧な美しさがあり、全ては芸術ですから。
そして、ひとつとして同じ場面がありません。いつも違います。
「お決まりの遊具」ではない常に変化のある自然の中で思い切り遊ぶ子ども達の体の感覚は常にフル回転しています。

その体には技としての好奇心が毎日刻み込まれていきます。そして知らず知らずの内にしなやかで忍耐力があり集中力のある体がつくられていきます。
全ては「体験」。体験は細胞レベルに刻み込まれ、生きる知恵と力となっていくのです。

>子ども達の体に刻み込まれたDNAは「良い環境」に置かれたとき目覚め、弾け、お互いに尊びながら群を作っていくのです。

ああ、子供の頃、森や海岸や田んぼの中で楽しかったのは、このことなんですね。今の子供達にも思い切り楽しんでもらいたいと思うのです。

投稿者 hoiku : 2018年01月09日 List   

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