子どもの可能性を潰してきた学校教育。 |
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2017年10月04日
自主保育とは?4~野毛風の子、ムラの復活
野毛風の子という自主保育のグループがあります。結構、ネット上ではよく出てくるので有名です。
せたがや子育てネット より
園舎も先生もいない、お外の幼稚園です。0〜3才は親子参加、4〜6才は母親たちが当番制で預け合いをします。子供が自然の中でのびのびと遊び、自分の気持ちから動き出すのを見守ること、親も楽しみながら活動することを大切にしています。親子で「自分らしさ」を大切にし、ゆっくりとした子育てを一緒にしてみませんか?ぜひ一度遊びにいらして下さい!
対象 | ベビー(1歳未満) / キッズ(3歳未満) / キッズ(3歳以上) |
活動地域 | 玉川地域 |
活動場所 | 毎月の活動場所のスケジュールはブログから確認出来ます。 多摩川河川敷や、野毛、等々力、玉堤の公園、プレーパークなど。雨の日は児童館など。 |
活動日・曜日・時間 | 活動日時 火・木曜日の9:30〜14:00(0〜3才) 月・火・木・金曜日の9:30〜14:00(4〜6才) |
参加費・会費・利用料 | 見学、ゲスト参加は無料。入会すると1000円〜 |
【赤ちゃんにやさしい国へ】これは大きな家族であり、ひとつのムラかも
「預けあうためには信頼関係が重要で、月に一回のミーティングで意見を言いあうことでそれが築けるそうだ」と書いた。そのミーティングの場におじゃました。(中略)
そこにお母さんたちが集まっていた。子供たちも連れてきている。広い部屋がうれしいのだろう、ドタバタ走り回る子もいてなかなか賑やかだ。そんな中、ミーティングがはじまる。
話している間、小さい子はテーブルがロの字型に組まれた中に入り込んだりする。置いてある紙をつかんじゃったり。走り回っていた子がお母さんのところに行って話しかけたり何かをせがんだり。
「会議」としてはせわしなく落ち着かない。自分の子どもの相手をするので、他の人が話していることに耳を傾けられない人もいる。見ていて、この会議は大丈夫なの?と、やきもきしてしまった。
でも、誰一人としてその状況にいらだったりする人はいない。聞ける人が聞く。そんな進み方。時折、それなりに深刻な内容を話す人もいる。それに対し真剣に意見を返し議論になったりする。でも横では子どもの相手をする人もいる。(中略)
信頼関係ができてくるのは、こういうことなのだなあとわかった気がした。話をする時間をじっくり持って、問題を共有し対処をみんなで考える。言いたいことを呑み込んだりガマンしたりしない。だって我が子のためでもあるから。(中略)定例ミーティングの取材のあと、3月はソツカイシキがあるからよかったら来ませんかと誘われた。ソツカイシキ?あー、卒会式!幼稚園なら卒園式だが自主保育は”会”なので卒会式と呼ぶのだと気づいた。保育活動と同じ多摩川の河原でやるという。河原でそんな行事を行うなんてどんな感じなんだろう。面白そうなので行ってみた。
行ってみたら会場はこんな感じだった。ほんとうに河原で卒会式。東京都内の、世田谷区で、こんなにラフな雰囲気の催しが行われるとは。そこからして、面白い。
保育活動を見学した時より人数がずっと多い。卒会式には、日頃のメンバーが勢ぞろいするだけでなく、お父さんも来ている家庭もある。少し前に卒会した子どもやお母さんも来ていたり、他の自主保育のメンバーも招待されていたり、いつもより断然賑やかに開催されるのだ。(中略)
みんなで昼ごはんを食べたあと、卒会式がはじまった。手作り感満載の会場で、意外に多様なプログラムだ。
卒会するお母さんが挨拶をするのだが、その中のひとりのお母さんが途中で号泣。楽しい思い出がいっぱいあっただろうし、でもつらかったこともあったに違いない。つらいことも、大変なことも、この仲間たちと一緒だったから乗り越えられた、そんな思いが彼女ののどを詰まらせたのだと思う。
場所が屋外、河原だったこともあって、見ているとそこは”ムラ”のように思えてきた。それぞれが住んでいる場所は近所とは言えない離れた家ではあるけれど、毎日のようにこの河原に子供たちと一緒に集まって、夕方まで過ごしてきた。家が別々なだけで、ここにいるお母さんたち、子供たちは一緒に”暮らして”きたのだ。日常的に時間をともにし、ミーティングでは言いたいことを言いあう。そうやってこの共同体は続いている。そこにあるのは疑似的ながらはっきりと”ムラ”なのだ。
“ムラ”の中心は子供たちであり、お母さんたちだ。お父さんたちはその周りにいてお母さんたちをサポートしている。周囲の”ムラ”の人たちとも連携があり、OBたちも支援してくれている。人びとが一緒に暮らす形の原初的な姿がここにある気がする。
ムラが”くに”になり、国になって国家になっていった中で、ぼくたちが落っことしてしまった何かがこの河原にはあるのだと思う。子育てがどこか息苦しくしんどいものになってしまった時、子育てを軸に共同体ができたら、人が集う本来的な姿が見えようとしているのかもしれない。
自主保育の活動に接して、子育ての問題解決の大きなヒントがそこにある気がしている。別にみんな幼稚園や保育園をやめましょうということではない。お母さん同士で自主的に保育活動することで万事解決と言いたいわけではない。相変わらず保育所は足りないのだから、増やすべきだと思う。
一方で、保育所を増やせば、待機児童をなくせばそれでいい、ということでは決してないと思う。自主保育から感じとれるのは、子育ては本来、みんなで力を合わせるものだということだ。誤解を恐れず言えば、行政なんか当てにしないで考えよう、ということだ。
幼稚園や保育所を利用したにしても、しないにしても、子育ての問題には自分たちで考えて自分たちで立ち向かうべきなのだと思う。そしてお母さんたちがそうすることで、河原という場所さえなくても”ムラ”がきっとできるのではないだろうか。
まだ全然考えがまとまらないのだけど、そんな考え方の延長線をぐいーっと引っ張って進んでいくと、子育てだけでなく社会全体の様々に波及する何かができる気がしている。でもまだまとまらないのでそれは追い追い書いていきたいと思う。
それから、自主保育はあくまで仕事を持っていないお母さんへの処方であって、パートや時間に融通の利く働き方の人なら参加可能だが、フルタイムで会社勤めする人にはできない。できないけれど、これもやり方があるのではないかと思う。これについても、また追い追いですね。
「ムラ」なんですよね。保育という必要にかられて活動が始まっていますが、本来は日本の村落共同体で当たり前に機能していた地域で子どもたちを見守る機能の復活なのだと思います。
投稿者 hoiku : 2017年10月04日 TweetList
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