| メイン |

2017年06月16日

子どもの問題は大人が問題~大人の思考停止が子どもを追い詰めている。

子どもの教育は大人の義務であるから学校へ絶対いかせなければならない。子どものためを思い習い事や早期教育に熱心になる・・・

子どものために大人たちがやっていることは本当に子どもためになっているのでしょうか?ひょっとしたら害になっている可能性もあるのでは?

今回は大人がもたらす子どもの問題を、五味太郎氏の「大人問題」より紹介します。

 にほんブログ村 子育てブログへ

以下「大人問題」(五味太郎)より引用します。
————————————
■どうしても義務と服従が好きな大人たち
○この世からもし「いじめ」というものをなくしたいと思うなら、まず今の学校システムをなくせばいいと思っています。つまり学校にいじめがあるのではなくて、学校という構造がそもそもいじめなのだと思います。

○学校に行きたい子って、ほとんどいないという事実があります。お休みと聞けばバンザーイというところです。友だちに会いたいから、プールで泳ぎたいから、図書館へ行きたいから行く、という子はたくさんいるけど、学校そのものに行きたいという子はまずいないのです。

○物の本によると、学校というのはスカンジナビアあたりの海賊が海賊予備軍を訓練するためのシステムとしておこったらしい。つまり、組織が力を持つために個を強くする。そのためのトレーニングの場というところなわけです。歴史的に。
だから、子どもの文化の専門家みたいな人が学校と個のバランスについてなどと議論していますが、はじめから学校に「個」なんてないのです。組織の単位としての個があるばかりなのです。そうでなければ、何歳が何年生という学齢区分がこうも機械的に出るわけがないし、何時何分から始まる、あとは遅刻などと神経質になるわけもありません。

○自然発生的でなく、個人差をまったく無視した形のなかで、子どもを並べたり、区分けしたり、順番つけたりという、この構造自体がいじめの構造だと言ってまちがいないと思います。作為的に作られた動物園のサル山が自然とはまったく違った構造になるのと同様に、今、理由なく寄せ集められた子どもたちが、そのなかでいろんな反応をしているにすぎない。いじめも登校拒否も、不思議でもなんでもないことです。当然の現象だと思います。

■他をおとしめても優位を保ちたい大人たち
○ヨーロッパから入ってきた近代教育の理念というものは、どうも獣から人間になるための教育という感じがします。○○段階という区切りで分けていったりするやり方は、このままだったら動物だ、そこから一歩でも出るためにはどうするか、ということのために必要なんだろうと思います。でも、ぼく個人の実感としてはそういう人間性と動物性の対立でがんばってきた感じ、あまりなかったような気がします。

○多くの人が単純に「原始人は頭が悪い」と思っています。そんな映画、よくあります。ま、コミック系ですが。原始人はすべからく「オオウ、ウウー」といってたと思っているわけです。
ぼくの予想では、今以上喋っていたと思います。言葉を使うレベルはかなりちがっていただろうけれど、今の人よりも不自由なことばをつかっていたとはどうしても思えません。言ってみれば、言葉がもっともっと重要だった気がします。今のほうが言葉のパワーが落ちてると考えるほうが合理的です。
でも、現代人は言葉だけでなく、すべてにわたって原始人の実力を過小評価したがります。自分たちが立派になってきたことをなんとか証明したいからです。現代人は自らの過去も差別の対象にします。救いがたいやつらです。

■よせばいいのにいろいろと教えたがる大人たち
○赤ちゃんはだれも、飲み方を教えなくてもおっぱい飲んでるし、そのうちコップで飲みはじめます。おしっこもうんちも、大人になって漏らしてるやつなんてあまりいません。もしいたら、別の問題です。すべてまさに自然のなりゆき、それを楽しく、穏やかに「お手伝いする」ぐらいなつき合い方で十分やっていけるはずです。

○文字などにしても、いつの間にか読んで、書いているものです。最初のうちは左右逆に書いたりしながら、そのうちみんなの真似して、ちゃんと書けるようになる。漢字だって知らない字が出てくると「読みたいなあ」という気持ちが当然段階的に出てくる。

○子どもはほっといても育ってゆく、段階的に少しずつ進んでいく、そういうことにこの生物はなっている。ということが信じられない人は、この際、子どもとつき合うのはやめて、犬とかオットセイに芸をしこむほうに回ったほうがいいと思います。(中略)今はやりの早期教育ってまったくそんな感じです。

○脳障害による先天的な自閉症は別として、いわゆる自閉傾向的な状態はほとんどのケースが「大人が作った病気」だということが、最近わかってきているそうです。自閉傾向の子どもはいわゆるIQが高いんだそうです。IQが高いというのは、平たく言えばいろいろなことがすぐわかる。それゆえに趣味がはっきりしている。好き嫌いがきっちりしているということ。こういう傾向は新生児どころか胎児のころからあるのだそうです。胎児にも趣味があるんです。だから、母体を通して変な振動がしたり、親がけんかしたりして、いやな感じが伝わると、ギュッと体を体を閉じたりするんだそうです。ちょっと切ない感じです。

○趣味が合わないからむずがる、でもその信号が通じない場合どうするかというと、耳を閉じるしかない。閉じるといっても手でふさぐことはできないから・・・これが恐ろしいのですが、耳の中の聴覚神経を閉じてゆくのだそうです。あるいは鼓膜の振動を止めてゆくのだそうです。この辺のディテールはまだそう詳しくはわかっていないらしいけれど、ともかく感覚機能を閉じてゆくそうです。たしかにそれしか手はありません。

そしてそういうクセがついてくると、外からくるあらゆるものに対して、閉じるクセがつく。極端な話、たとえば栄養が来ても拒絶してしまう。さらに外に対して閉じるだけではなく、自分からすすんでは出さなくなる。だから、喋らなくなる。飲み込まなくなる。これが相乗して、生命体そのものの質になって、結果、脳障害がなくても後天的に自閉傾向をもった子になってしまうこともあるのだそうです。
————————————————
いじめ、差別、精神障害・・・現在の子どもをとりまく問題のほとんどは大人が原因!ショックな話ですが、冷静に振り返ってみるとなるほど思えることが多々あります。

子どものために良かれと思ってやっていること、常識として語っていること、当たり前と思っている学校制度・・・どれほど自然の理に反し、大人の都合中心であることか。一歩引いて冷静に考えれば見えてくるはずのことがまったく見えていない。これは恐ろしいことです。

多くのことは近代に入ってからの思想、教育、制度に起因しています。これを疑うことなく受け入れて、そのまま子どもに強制しているのが現実。大人の思考停止が子供たちをどれほど追い詰めているか?大人たちは自分の頭で考え始めなければなりません。

 

投稿者 hoiku : 2017年06月16日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2017/06/5678.html/trackback

コメントしてください

*