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2016年06月10日
家庭のしつけには限界がある~「社会的なスキルは家庭の外で身につけるもの」
北海道小2置き去り事件では、しつけか虐待か?しつけに悩む親の意見や、教育専門家の見解が飛び交っていますが、単純な結論はなかなか出そうにありません。
人に迷惑をかけない、やっていいことといけないことの分別をつける・・・「社会性を身につける」ということなら、それは社会を対象化してはじめて身につくはず。それが社会と切り離された家庭の中で、親の責任で何とかしなければならない、というところには根本的な矛盾を感じます。とはいっても、社会制度として家庭のしつけをバックアップできるようにする・・・というのも何か違うような気がします。
なぜ家庭の“しつけ”はこんなにもむずしくなってしまったのか?
今回は「家庭のしつけ」の今昔をみながら考えてみたいと思います。
「最近の家庭のしつけはなっていない」という風潮もあり、まじめな親ほどしっかりしつけねば、と半ば強迫観念化してしまっているケースもあるでしょう。ところがそれは事実とは異なるようです。
以下(http://eduview.jp/?p=71)より引用します。
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【戦前・戦後、しつけが厳しい家庭は少数派だった】
礼儀作法や道徳などを親が細かく子供に教え込んでいたのは、もっぱら都市のサラリーマン・インテリ層や地方農村の富裕層にすぎなかった。かつての農村社会では、子供の自然の成長や自覚を期待する放任的なしつけが庶民の一般的なあり方だったため、多くの階層では、〈労働のしつけ〉を除けば、子供のしつけは「ゆるゆる」の状態であった。伝統的な庶民家族では、基本的生活習慣のしつけはほとんどなされず、礼儀作法のしつけも士族の家庭や村内上層のごく一部の層に限定されていたし、戦後の1950年代農村のしつけ調査でも、親が小学生の子供をほめたり叱ったりするのは、もっぱら家の手伝いに関してのみであった。
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一昔前、日本の家庭のしつけは「ゆるゆる」だった。とすれば現代の家庭のほうがよほどしつけに対して気を使っていることになります。
ではその昔、社会性はどうやて身につけていたのでしょう。
以下(http://www.mammo.tv/interview/archives/no189.html)より引用します。
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家族が小さな独立した単位になってきたのは17世紀くらいで、それまではお金持ちの家に作男のように住み込んで一生を過ごす人がたくさんいました。江戸時代になると開墾が進み、個々の農家が小さな家族で暮らしを営むようになりました。これは「小農自立」と呼ばれています。
ただし、そこではムラ共同体の影響力が強かった。ムラのルールの中で暮らしていけば、自然にいろんなことが身に付く、という考えが普通で、親があまり教育的な配慮をすることはありませんでした。商いの取引や訪問客が頻繁な豪農や豪商を除くと、普通の人は「自然に放っておけば一人前になる」という考えが当たり前でした。
変化が起きたのはサラリーマンの原型が出てきた明治の終わりくらいです。幼い頃からいろんなことを覚え、学校教育で成功することで「よりよい仕事に就き、よりよい人生を送るチャンスを得られる」というライフコースができた。
教育熱心な親は大正期から昭和にかけては、まだ社会のごく一部分の階層にいただけですが、1960年代の高度経済成長期に日本全体に広がりました。子供は学校を卒業することで職を得て、働く。誰もが雇われて働く社会になって、同時に、それなりの豊かさが家庭の中で実現してきたとき、時間やお金をかけてきちんと子育てをする。そういう「教育する家庭」が社会に広がったのです。
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なるほど、昔は共同体の中で暮らすことで基本的な社会性を身につけていたようです。まさに社会の中でこそできる“しつけ”だったのです。
そして家庭での“しつけ”が一般に広まったのが高度成長期以降、ここ50年くらいのことです。そのバックボーンとなったのが「幼いときから親の言うことを聞き、勉強していい学校に入り、いい仕事に就くのがいい人生」という価値観でした。だから“厳しいしつけ”も我が子のためであり、子供もまたそれを受けて人生の階段を上がっていったのです。
当時は社会全体がこういう価値観を共有していたので、ある意味社会と繋がった“しつけ”でした。厳しいしつけも一定は有効だったのだと思います。
ところがバブル崩壊以降、勉強だけでは役にたたない、出世には興味がない、大企業もいつ倒れるかわからない時代になり、これまでの家庭の“しつけ”はその神通力を失ってしまいます。
現在、親の“しつけ”のメインは、「社会に出ても生きていける力をつけてほしい」というあたりでしょうか。人の迷惑をかけない、やっていいことといけないことの分別をつけるのもそのひとつでしょう。でも社会と切り離された家庭の中でいくら世の中を語っても全くリアリティがありません。
最後に一昔前の“しつけ”観について同サイトから引用します。
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民衆レベルの子供観では、「七つまでは神の内」と言われるなど、小さい間はまだ物事の分別がつかない、と思われていました。いずれ大きくなってきたら自然に物事の善悪がわかってくるんだという子供観です。「小さいうちから厳しく」という欧米と対照的でした。日本の場合は、いわば植物と同じで、適当な水と日当たりだけ確保しておけばそれなりに育つ。小さいうちにあれこれいじってみてもどうしようもない、と考えていたようです。
(中略)
わが子に対する愛情は昔もあったけれど、子育ては大の大人が手間ひまかけてやることではない、と思われていました。働けなくなった年寄りや年長の子供が子守りや世話をしていました。子供を産んだ母親は、嫁として農作業や夜なべ仕事で休みなく働くので、仕事の合間に子供に乳を与える時なんかが唯一のほっとできる時間だった。産んだ子供への愛情は昔も今もあるでしょうが、昔はなかなか手をかける余裕がなかった。生活に追われているし、子育ての優先順位が高くなかったのです。
つまり、一人前の労働力を持った母親が子育てに時間や熱意をかけるのは、決して当たり前ではなかった。また、少し大きくなれば、奉公先や村のネットワークでしつけをしてもらう。だから、礼儀作法をはじめとして社会的に必要なスキルの多くは、家庭の外で身に付けるものでした。
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時代は異なりますが、「社会的なスキルは家庭の外で身につけるもの」という考えは普遍的です。父親も母親も社会を支える存在。そんな大人たちが営む社会に触れながら、子供たちは礼儀や作法~社会性を学んでいくのだと思います。
企業の託児所、地域でつくる保育園・幼稚園、そして学校・・・自分の子供の“しつけ”をどうする?ではなく子供たちが育ち、社会性を身につけていける環境をどうつくっていくか?
一見遠回りのようですが、ここにこそ“子供のしつけどうする?”の答えがあるのではないでしょうか。
投稿者 hoiku : 2016年06月10日 TweetList
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